背中


「カカシ、」
出て行こうとする背中を呼び止めた。ゆっくりと振り向いたカカシとこうして向き合うのは、いつ振りだろう。
いつから、彼がここに来るのが当たり前になったのんだろう。そして、いつから、私の家は彼の帰る場所から、立ち寄る場所に変わってしまったんだろう。私たちは長い間一緒に居た。戦いの場で背中を預け合い、痛みを分け合った。友人となり、過去を打ち明け、未来を語った。そのうち、私たちは同じ未来を見るようになった。背中を預けその暖かさを感じるようになった。指を絡め、見つめ合い、唇を、重ねた。そうして私たち二人は恋人になった。一緒に時間を過ごし、互いの癖も好みも理解し合い、嫌いな所も認め合った。その心地よさに甘えた。お互いの事は自分の事よりも分かるようになった。相手の喜びも悲しみも手に取るように分かるようになった。そうして、言葉よりも無言のやり取りが増え、顔よりも背中を見つめることが多くなった。いつも誰かに必要とされ、それに応える彼の大きな背中を見た。彼の、人のために生きる強さも、仲間を思う優しさも、重責を果たす辛さも、全部知っていた。理解しているからこそ、出ていく彼を止めることはできなかった。そばに居て近すぎた私は後回しになっていった。家に来る彼を迎え入れる言葉がお帰りなさいからいらっしゃいになり、いらっしゃいが無言になった。私の脇を通り抜け部屋に入る彼の背中を見、玄関で靴を履き外に出ていく彼の背中を見た。私ではない誰かのために出て行く彼に、見送りの言葉なしにひたすら恨めしさを送る私の視線を彼は背中で受けた。ごめんねという彼の言葉を聞きながら、去っていく彼の背中を見るばかりになった。それが私達の日常になっていた。もう互いの気持ちにはとっくに気が付いていた。どちらかが終わらせなければ、終わらないことは分かっていた。
「もう、うちには来ないで」
向き合ってカカシと話すのは、本当に久しぶり。今日で、全部終わりにしようと思った。見つめ合う彼の眼には、苦しいくらいの優しさが詰まっていた。他の誰でもない私を見る時だけの特別な視線。どうしようもなく、恋をしたその視線。どうして、と彼の唇が紡いだ。
もう終わりにしたいの。俺の事、嫌いになった?嫌いになんてならないよ。なら、何で?もう他の誰かのため出ていくカカシの背中を見送るのは嫌なの。いつもごめんね、だから別れるなんて言わないで。もう無理なの、だってカカシはこれからも呼ばれたら行っちゃうでしょ。それでも、俺が一番大切なのはお前だよ、いつだってお前の事考えてる、俺が好きなのはお前だけだよ。私の事、大切?うん。私の事考えてくれる?うん。私の事、本当に好き?うん、どうしようもないくらい好きだよ。じゃあ、今日くらい私の事一番に考えて、
「私と別れて」
これが最後のお願いだから、と言う私の瞳から涙が溢れた。
他に俺にできることは何もないの?もう、これしかないの。
「じゃあ、これでお別れか」
力なく笑うカカシは静かに言った。そんな彼のことが私はどうしようもないくらい好きで、どうしようもなく苦しかった。涙を隠すように、顔を覆った私の手を彼は優しく外した。彼がのぞき込む様に顔を近づける。お前の泣き顔見るのもこれが最後だから良く見せて、と言う彼。濡れた視界でも、彼の真っ直ぐな眼差しははっきりと分かった。俯こうとする私の頬を撫でて、涙を掬った。
「辛い思いさせてごめんね」
その言葉でまた新しく涙が流れる。息が上手くできないくらい咽び泣く。右手にカカシの手が重なり指を絡めて繋がれた。私の手を覆う手は、大きくて少しかさついていて何より温かくて、昔と同じだった。その手の温もりが愛おしくてたまらない。これで最後だから、そう言って彼は口付けをした。唇が離れると、彼は、もうお前を傷つけることはないんだね、と優しく笑った。大好きだったその笑顔につられて、私も微笑む。それが終わりの合図になった。繋いだ手を解き、視線を外した彼は私に背中を向け、玄関の扉を開けた。もうこれが最後の見送り。次はもうない。これで全部全部最後だった。出ていく彼の背中を見送るのも、最後。その背中に視線を投げるのも最後。大好きだった彼の、後ろ姿。開かれた扉は、カカシが外に出て手を離すと、ゆっくりと静かに閉まった。これで、もうおしまいだった。