あなたの身体を眼下に見る



彼とこうして手をつなぐのは、これが二度目だった。エレベーターを乗って、逃げ場のない箱に収まれば、もう、後に起ころうとしていることは明らかだった。だって、私たちは、いつだって肌を重ねていた。少なくとも、私も彼も部屋にいる時は。

彼の部屋には、都合のいい時にしか寄らなかった。彼も同じなんだと思う。彼の部屋なのに、彼にとってもひとつの場所でしかない。都合のいい時に帰ってきて、私がいれば肌を重ねる。つまり、彼の部屋は、お互いに都合のよいときに会える場所。都合よくベッドがあって、相手がいて、それで不毛な関係を持つ。だから、連れ添うように手を握り合う必要なんて、始まりの一回以外なかった。もし、あれが始まりに必要なものだったとすれば、今回の彼の手はなんなのだろう。

沈黙のままエレベーターからおいて、彼の部屋に向かう。彼は私の手を握ったまま、反対の手でポケットから鍵を取り出し差し込んだ。彼に促されるままに玄関に入ると、そこで私の手のひらは解放された。背中で、彼がカウンターに鍵を置いた音を聞く。暗い玄関でも、どこに玄関の電気スイッチがあるかは覚えているので、手さぐりに電気をつけようとすると、それより先に彼にまた手を掴まれた。

「な―――っ」

私の声と重なるように、玄関の床に持っていた鞄が落ちて音を立てた。彼は私を引っ張ると肩をつかんでそのまま壁に押し付けた。激しくはないけれど、決して優しくはない。肩に加わる力で、彼もまた紛れもなく男なのだと、また思い知る。穏やかじゃない。彼は、はぎ取るように私のジャケットを脱がすと、そのままニットを脱がしに掛かった。その性急さに驚く。やり場に困った両手で、そっと彼の胸を押して制しようとした。

「…いや、です」
「………」
「やめてください」
「………」
「―――カカシさん!」

いつだって、そうしてくれたように。今度も彼の名前を口にすれば、彼は答えてくれると思った。けれど、それは私の想い違いで。むしろ彼は、行為を加速させようと、私の脚の間に、自分の片足を入れて距離を詰めてきた。

「俺は、『はたけさん』なんでしょう?」

暗闇で表情が見えない。でも、彼の声色は言葉以上に私の気持ちをえぐった。心がひやりとした。彼は私の両手の制止なんて微力だとでも言うように、簡単に私のニットを脱がした。そう、力は、いつだって男の人の方が強い。ずっと昔に知っていることだった。

「どうしたの」
「やめて、ください」
「なんで」
「なんで、って…」
「だってお前、セックスする為にここにきたんでしょ」

そうやって彼は、遠慮なく私の心を冷やす。でも、泣くのは、都合が良すぎる。あの日も今日も、彼の手を取ったのは私で。彼の部屋で何が待っているか分かった後も、訪ね続けたのも、私で。彼との不毛な関係が、セックスの上に成り立っているなんて、分かり切ったことだった。

―――でも、できない。

「俺はそのつもりなんだけど」

さっきまでのおしゃべりな彼はどこかにいなくなっていた。と言うよりも、今日の彼は終始嘘くさい笑顔と偽物の陽気さの塊だった。だから、きっとこれが本来の彼なのかも知れない。それを判断するほど、私は彼を知らない。でも彼の言う通り、私達はセックスを共にする以外に、何も共有することも分け合うこともしていなかった。今日のことが彼の筋書きなら、結末はセックスでしかない。そんなこと、考えてみれば明白なことなのに、愚かな私は何か別の事を期待して彼の手を取った。

彼がとうとう私のデニムパンツのボタンに手を掛けた。間違いなく彼の結末はそうなのだと、はっきりと分かって身体が強張った。だめ。彼とは、セックスできない。もう、私は彼とはできない。彼と壁の僅かな隙間で抗う。と、一瞬眩しさに目がくらんだ。がむしゃらに動いたどこかで、肩で玄関の灯りのスイッチを押したらしかった。それが合図のように、私も彼も動きを止めた。明るい空間で、お互いの呼吸を聞きながら、私は彼を見上げ、彼は私を、私の身体を見下した。