フェアじゃない



「乗って」

アスマさんの乗せたタクシーが消えた直後もう一台タクシーがやって来た。この人があらかじめ呼んでいたのかもしれない。きっと、そうだ。今日こうなったのは全て彼の筋書き通りで。だとしたら、彼はきっと分かってる。私が断らないことも、きっと分かってる。

開かれた扉から後部座席に滑り込めば、彼も続いて乗り込んできた。奥に追いやれられるのに任せて、隅に座る。彼が座って扉が閉まった。窓から外を見る。さっきまでの居酒屋も路地に溢れる酔った人達も同じようにそこにあるのに、彼とのこの空間から見ると、まるで違う。薄いガラスの隔たりが、あまりにもありありと私たちと、外の世界とを線引きしているように感じた。

彼は運転手に、彼の家の住所を告げた。ゆっくりと走り出したタクシーは、路地から駅前を通り抜けて、大通りに出た。眩しくて賑やかな光景が少しずつ暗く静かな風景に変わる。

「今日のこと、怒ってる?」
「いえ、」
「でも、驚いた?」
「…まあ、そうですね」

驚いたに決まってる。だって私は、あの日で最後にしたつもりだった。だから、涙が出たし、身勝手に繋がりを求めたし、彼を待たずに家を去った。私は、彼と会わない方を選んだのに。

「俺だって驚いたよ。帰ってきたら、割れたマグもこぼれたコーヒーも、それからお前も綺麗にいなくなってて。でも、それもお前らしいから。またバイトのある時にでもくるのかなって、思ってたわけ、はじめは。だけど、何日経っても会わなくて。それでも、もともと俺たちすれ違うことあったから、タイミングが悪いだけなんだろうって思ってたんだけど。やっぱりベッドも洗面所もどこも使われた形跡一度もないから、さすがにね、俺も待つのやめようと思ったわけ」

こんなに一度にたくさん話すのは、彼らしくない。それに、やめるまでは私を待ってた、なんて。そんなの彼じゃない。最後の言葉に引っ張られるように、反射的に彼の方を向く。薄暗い車内でも、彼の視線がまっすぐこちらに向いているのは分かった。でも、灯りのないせいで、彼の目の色も熱もわからない。どんな顔をして、こんなことを言えるのだろう。

「それなのに、今日会ってみれば、お前は楽しそうにサークルの手伝いしてるじゃない?俺が想像してたより、ずっと大学生だったから驚いた。慕われてる先輩らしく振舞ってるし、同学年とは良い付き合いしてるみたいだし」
「そうですね、」

街灯が流れていくたび、彼の口角がオレンジ色の光を受けてよりはっきりと見えた。綺麗な、曲線。左右対称に上がった口角。私が大学生でいるのがそんなにも、面白いのか。それとも、たださっきまでのお酒のせいか。

「でもまあ、元気そうで良かったよ、本当。会えるとは思ってなかったけど、アスマの誘い乗って良かった。大学生のお前見れて良かった」

そう言う彼の目から逃げた。だってあまりにも優しくて、私が彼にしたことを悔いたくなった。そうしないためにまた外を見ていると、見慣れた景色があった。彼の家が近い。彼はこの後、どうするつもりなのだろう。否、私は、どうしたいのだろう。

「どうしたの、おいで」

タクシーがゆっくりと止まって、彼は清算を済ました。私がいつまでも座っていていいわけはない。けれど、どうすれいい。タクシーを降りたとして、彼の部屋に行ったとして、その後どうなるのだろうか。考えていれば、先に降りた彼が、外からこちらを覗き込んでこちらに手を差し出てきた。

ずるい。そう思った。だってきっと彼は分かってた。私が、彼の手を取らないわけがないって。彼ははじめから、分かってた。