不愉快な言葉たち



ただでさえ遅刻なのに、足首が腫れていて急ごうにも片足歩きで上手くいかない。 出来る限り素早い動作で学校に向かう準備をした。最後に玄関の姿見で全身をチェックする。どんなに急いでいてもこれは欠かせなかった。軽く動いて、折っていたスカートを一回分下ろして、シャツも第二ボタンを閉めた。大丈夫。ローファーが腫れた足に歩くたびに当たるのを無視して、学校に向かった。

結局、学校に着いたときには一限のチャイムが鳴っていた。下駄箱まで着いて、やっぱり休んでしまおうと上履きに履き替えずに考えていると、たまたま通りかかった教師に捕まってしまう。

「また、水木か!」

2年の学年指導をしている教師だった。この教師には入学してすぐに目を付けられた。1年の私を捕まえては、しつこく説教をする。この教師は担当の学年であろうとなかろうと、怒鳴れる生徒がいればいいのだと、早い段階で気づいた。寝不足と足首の痛さでイライラして、その教師の言葉を無視していれば、腕を掴まれて引っ張られる。反射的に持っていた鞄で、相手のことを叩いた。

「触んないで!」
「教師に向かって、その口の聞き方はなんだ!」

顔を赤くした教師は、さっきよりも強い力で私を引っ張りそのまま廊下を進み、階段を上がり、生徒指導室に放り込んだ。バランスを取ろうとして、間違った足首に体重が掛かり痛みが広がった。文句を言おうとすれば、教師は私の鼻先で扉を閉めた。きっと、学年主任と担任を呼びに行ったんだろう。ここで抜け出しても、後日またここに連れて来られてるのはわかっているので、部屋の椅子に座って待った。

「ジュリ、また遅刻したのか」

扉が開いて、入って来た教師はさっきの教師でも学年主任でも担任でもなく、副担任のうみの先生だった。「先生方、いま授業中だから俺が話すことになったんだ」と聞いてもいない説明をした先生の視線は私の足元で止まった。なんだと思っていると「お前、ローファーのまんまじゃないか」と零した。

「履き替えてないのにここに連れて来られたので、ローファーのままなんですよ」

そう言えば、うみの先生は一度生徒指導室から出ていき、来客用のスリッパを片手に戻って来た。足元の放られたそれに履き替えると、腫れた足首が少し楽になった。

「で、今日はなんで遅刻したんだ」
「寝坊です」
「これで、二学期の遅刻五回目だぞ」
「だったらなんなんです」
「学校としては、親御さんに電話しなきゃいけないんだけが、何か理由があるんじゃないか」
「そんなのないですよ」
「足首、痛めてるんだろ」

変なところで目ざといな、と思った。黙っていると、先生は諦めたようにため息をついた。

「…遅刻ごときで学校から連絡もらうなんて、親御さんも悲しむんじゃないか」
「あの人達が悲しむわけないじゃないですか」

馬鹿だな、と向かいに座っている新米の副担任を笑う。うみの先生は手元に持っていた名簿を静かに閉じると、私に向き合った。その顔は授業で見せるときよりもずっと真剣だった。

「親御さんをあの人達なんて呼ぶんじゃない」
「なんて呼ぼうが私の勝手です」

少し年上で教師だからって、偉そうな口を聞いてくるうみの先生に黒い感情が湧き上がる。何も知らないくせに、偉そうに。先生を睨み付ければ、先生はそれを黙って受け止めて、それから、「俺、孤児なんだよ」と話し始めた。

「養子にもらってもらえたけど。やっぱ、養父養母には心のどっかで打ち解けられない部分があって。周り見て、本物の親ってうらやましいなって思うんだよ」
「なんですか、本物の親って?」
「難しい質問だな。でも、とりあえず、お前は両親の間に生まれて、愛されて育てられて、お金も掛けてもらって、温かい飯作ってもらって、怪我とか病気したら心配してもらえて。…だから、俺が言いたいのは、そういう存在のことを、あの人達なんて、言うなよってことだよ。ちゃんとお父さん、お母さんって呼んでやれよ」

目の前の人間の言ったことに呆れて、笑いが零れた。

「じゃあ、血の繋がってない書類上のお父さんに殴られて蹴られてるせいで足首怪我して、実のお母さんはそれに気づいてるのに心配するどころか何もなかったふりするけど、それでもふたりは本物の親ってことになるんですか」

そう言い終わると、沈黙が訪れた。部屋の掛け時計の秒針の音が響いた。そうして、一限の終わりを告げるチャイムが鳴ったとき、私は立ち上がった。

「もう行っていいですか。二限には出たいんですけど」
「…え、ああ」

足首を庇いながらのろのろと出口へと向かう。背中に、「ジュリ、今日の遅刻は怪我のせいって俺から先生方に説明しとく」という先生の声が掛かった。声の感じで、いまだに驚きと困惑が残ってるんだろうなと想像した。ドアに手を掛けたとき、先生を振り返った。

「両親の話、一応言っとくと嘘ですから。あの人達は、ちゃんと私を愛して大切に育ててくれてますよ」

だから安心してくださいね、と微笑んでから生徒指導室を出た。最後に放った私の言葉を信じたら、とんだ幸せな人間だし、信じないにしても先生が知ったかぶりの愚か者だということは変わらない。先生が前者か後者か分かる前に、教室に向かった。