おれは世界一の幸せ者です



「徹、どうかな…?」

ウエディングドレスをまとったなまえが仕切りのカーテンの裏側から現れたのは、なまえにそのドレスを着せた女性やヘアメイクのひとがみんな部屋から出て行って、十分近く経ってからだった。

「似合ってる」
「ほんとう?」
「すごく綺麗だよ」

きっとカーテンの奥にいた十分の間、鏡に映る自分の姿を見つめて色々なことを思ってたに違いない。他人のいいところにはよく気がつくくせに、自分のことは過小評価がち。不安になると、ちょっと口をすぼめる癖は昔っからずっと直ってない。そんなんじゃ、せっかく綺麗に塗ってもらった口紅がよれちゃうよ。何か気の利いたひとことでも言ってやらなきゃと思うのに、口から出るのはありきたりの褒め言葉。

男の俺には分からないけど相当着ずらいんだろう、豪華なドレスに身を包んだ彼女の手を掴んでそばのテーブルの前の三人掛けのソファに導いて、俺も向かいの肘掛けいすに座る。ありがとう、そう微笑むなまえは、やっぱりまだ自信なさげだ。世界の及川さんが言ってるんだから、信じてよって言えば、力なげだけど優しくふふって笑った。

「及川選手、世界大会直前にわざわざご足労いただいて、ありがとうございます」
「何言ってんの?俺が居なきゃ、なまえは結婚できないでしょう」
「あはは、そうでした」

そんな約束をしたのはランドセルを背負うようになってすぐ。なまえとは、バレーボールを触るよりずっと前から一緒にいた。幼馴染の俺たちはことあるごとに約束だよって指切りしてきた。

「これが、最後の約束だね」
「色々指切りしてたよね、私たち」
「そうだね」
「小学校のときさ、牛乳パンだけで一週間過ごすって、いま思うと約束っていうより賭けみたいだけど、徹、おばさんに止められるのにムキになってやめなかったよね」
「あー、そんなこともあったね。でもなまえも中二のとき、いきなり青城一緒に行くって。万年赤点だったのに。三年になって結構無謀なこと約束したのに気づいて、慌てて親に塾行かせてって泣きついてたよね。俺までなまえパパに頭下げたし」
「そのおかげで私は塾に行けたし、徹も私が成績上げたおかげで私と青城通えたんだよ?」
「ハイハイ、そうだったね」
「なんか、…色々懐かしい。私たち、いままでいっぱい約束してきたね」
「でも、それも今日で最後だよ」

幼なじみの俺たちがいままでしてきた約束。そのなかでたったひとつ、果たせなかった約束がある。中三で白鳥沢中等部との試合に負けたとき観覧席から駆け寄ってきたなまえに、高校では絶対白鳥沢に勝って全国行くって指切りした。

十五にもなれば子供なりに世界が見てえくる。もう無謀な約束も馬鹿みたいな決意もしなくなってた。それでも、そうなまえに約束したのは、全国進出が無謀だとも馬鹿げてるとも思わなかったし、現実にするくらい練習するつもりがあったからだ。

それに、それまで無敵だった幼馴染の絆に、本当はちょっと験を担いでた。そのあと高校三年間で指切りした他の約束はどれも果たしたけど、結局高校での全国出場の約束は叶わなかった。それ以来、俺は幼なじみの約束をしなくなった。すでにしてた約束だけ果たしていって、最後に残ったのが、まだ結婚の意味も知らないころにしたこの約束。

マナーモードの携帯が振るえて取り出すと、メッセージが一件。それを読んで立ち上がる。

「それじゃあ、俺は先に行くよ」
「ええ、もうちょっといてよ…」
「ざーんねんでした。及川さんは人気者だからね」

そう言って部屋を出て行こうとしてドアノブを握って立ち止まる。

「なまえ、」
「なーに?徹」
「…お前は、世界一幸せになるよ。それぐらい、分かってるでしょ?」
「うん」
「じゃあ、いつまでもそんな顔してないで、笑ってな」

じゃあ、またあとでね、にっこり笑って俺は、別の部屋へと向かった。