「行きたくねえ」
「マッキーと松っつんにじゃんけん負けたんだからしょうがないじゃん。それに、上からの指示だし仕方ないでしょ」
「分かってっけどよ…」

普通だったら、及川にあーだーこーだ言わせずにするのが俺の役割のうちだが、今日ばっかりは違う。これから向かうのは、みよじ邸で主催されるチャリティーパーティー。みよじ家はその昔からこの辺一番の資産家一族。普通に考えたらそんな上流階級の集まりにたかだか地方警察が呼ばれることなんてないが、のちのミヤギ県警長がみよじ家に婿養子に入り、警察内で頭角を現したあたりから警察や政府への寄付などをするようになり、みよじ家と警察との付き合いははじまった。県警長に上り詰めた頃には、昔からずっとささやかれていたみよじ家の黒い噂は消え、みよじ家と警察のつながりは切れないものとなっている。

「つべこべ言わなーい。岩ちゃん、支援者のご機嫌取りも大切なお仕事だよ」
「へいへい」

及川が運転する車はすでにみよじ邸の私道に入っていた。以前来たときと違い、今回はゲートから玄関までパーティー仕様なのか花が植えられてる。はじめっから逃げる気はなかったが、普段の仕事とは何もかもが違う。いずい。特に今着てるフォーマルスーツは及川の見立てだ。今夜だけのために、安月給叩いてくそ高えスーツ一式買いそろえるのなんてごめんだったが、及川に押し切られて買わされた。その記憶を思い出して、思わず助手席のドアを閉める手に力が入った。

「岩ちゃん、お行儀よく!」
「…へいへい」

バレットに鍵を預ける及川を忌々しく思ったが、受付を済ませて屋敷のなかに入って考えが変わった。上等なスーツ着た男といろんな色のドレスをまとった女がごろごろ。及川と違って身のこなしも雰囲気もなにもかもここで浮いてる俺がこのスーツ着てなんとか紛れ込めてる。もちろん、話したりしたら一発でアウトなのは百も承知なので、ほかの招待客との社交は及川に任せ、俺は最低限しか口を開かない。

「ようこそいらしてくださいました。及川さんに岩泉さん」

話しかけてきたのは、現当主のミセスみよじだった。彼女と及川はどちらともなく顔を近づけて頬接吻の挨拶をする。そうなればもちろん俺の番もあるわけだ。俺たち警察の資金提供者を前に断れるはずもなく、見よう見まねで顔を近づける。彼女がつけてる香水の匂いを吸わないようにこっそり口で息をすると、視界の端で及川が笑いをこらえてるのが見えた。後でしばく。

「お久しぶりね。主人の件ぶりかしら…?」
「ええ。県警長の葬儀でご挨拶したのが最後かと」
「そうね。お二人とも今じゃ、刑事ですってね。立派ね」
「ありがとうございます」

ミセスみよじの夫が死んだのは五年以上前だ。県警長の座を退いた年に、まさにこの屋敷で死体で発見された。通報を受けて駆けつけたのが当時新米パトロール隊員だった俺と及川だった。エリアとしてはここは今も昔もセイジョーの管轄だが、死んだ人間が死んだ人間だっただけにマフィアの報復か、なんてマスコミが煽ったのもあってか捜査の権限は上に渡った。とは言っても、捜査結果はなんてことない病死。心臓発作を起こして返らぬ人になった、県警長を二期八年勤め上げ、汚職と組織犯罪と戦った英雄としてマスコミは報じた。が、一番に駆けつけた俺たちとみよじ家の人間、それから警察の上層部の一部だけは、泥酔のあげく浴槽で溺れたという『事実』を知ってる。

「どう?刑事のお仕事は?」
「決して楽しいものではありませんが、全うさせてもらってます」
「それを聞いたら主人も喜ぶでしょうね」
「だといいです。それにここ数年はミセスみよじのおかげで資金的に安定しているので、害虫一匹逃さない捜査ができてると思います」

及川はよくもこうぽんぽんと言葉が出るもんだと思ってると、失礼、と若い女の子の声がした。ミセスみよじが振り返るとそこには、紺色のドレスを着た女がいた。他の女たちと比べると胸元も開いてねえ露出が少ない色も落ち着いた控えめなドレス。及川が俺にしか聞こえない声で、超美人じゃん、と興奮の声を上げた。

「なにかしら?」
「コーセン銀行の方が来期のことで話したいそうよ」
「あらそう、どちらに?」
「あちらに」
「お話の途中で申し訳ないんだけれど、失礼してもよろしい?」
「もちろんです」
「せっかくだから、紹介させていただくわ。わたくしの娘のなまえです。なまえ、こちらセイジョー署の、ほら、及川さんと岩泉さん。ご挨拶して差し上げて?」
「はじめまして、なまえと申します」
「将来的にはそちらへの資金支援や家業含め娘にやらせようと思っているので、もし何かあったら遠慮なくなまえに申しつけてくださいね」

なまえと名乗ったその女は頬接吻でも握手でも会釈でもなく、首を横に傾けてみせた。この女ももれなくつけてるであろう金持ち好みのきつい香水を近くで嗅がなくてすんでほっとした。及川に倣って、別の客のところに行くミセス・みよじに目礼してから紺ドレスの女に向き合う。

「改めて及川です。みよじ元県警長を―――」
「ええ、あなた方が駆けつけてくださたんですよね。彼女から聞いています」
「そうですか。気休めかもしれないけど、発見時―――」
「彼は安らかな顔をしていましたか?」
「…ええ」

及川の女と話す時用の笑顔が微妙に引きつった。さっと右手で髪をかき上げるのは、格好つけもあるが、必死に考えたりいらだちを隠すときのこいつの癖だ。

「…ところで、すてきなドレスですね」
「ありがとう、及川さんは洋服のセンスが残念ね」
「…は?」

及川の間抜けずらに笑いそうになる。そりゃそうだ、女にモテるのは標準装備、褒めたら褒め返されるのがテンプレ、物のセンスに定評がある及川だ。笑顔でディスられるなんて思ってもみなかっただろう。

「岩泉さんのスーツ選んだのも、及川さんなんでしょう?」
「ああ」
「ちょっと、岩ちゃん…!」
「やっぱり。見たときに、岩泉さんのスーツ、及川さんの趣味なんだろうなって思ったんです」
「なんでだ?」
「岩泉さんの雰囲気と合わない小物使いだと感じたので。警察の方なのにあまりにも上手に着こなしてる及川さんの好みかと」
「なるほどな」

普段から上等なスーツを着た奴らがいる世界にいると、そんなふうに見えるのかと納得する。隣では、及川が恨めしげな視線を送ってくるが、それは無視だ。

「それでは、私も他の方にご挨拶があるので。これで」
「おう」

及川さん、岩泉さん、失礼します、と頭を軽く下げた女は俺たちに背中を向けた。

「…なんなの、あの女!」
「お前途中から資金の話するのも忘れてただろ」
「そうですけど!だって、あの女俺の話遮るは、岩ちゃんのスーツディスるは、それどころじゃないよ!」
「ディスったのはお前のセンスだけどな」
「まあ、そうだけど!言いたい放題にさせていいわけ?」
「いいんじゃねえの?少なくとも俺たちは資金提供されてる側だしな、お前及川だし」
「は?意味わかんないんだけど!てか、だとしたら警察なめてない?悔しくないの、岩ちゃん!!」
「まったく」
「はあ?俺、あんな性悪な女初めて見たよ?」
「そうか、むしろいい女だろ」

お前を負かすなんて、と他の客と話す女の背中を見る。控え目だと思った紺のドレスは、背中ががっつり開いてた。