「はい、チーズ!」
「うわーいま絶対、ぶれたっしょ」
「もっかい?」
「うん」
「おけ、じゃあ、3、2、1!」

今日は、卒業式の日。体育館で、卒業証書をもらって、校歌を歌う。事あるごとに歌う校歌の意味がわかんなくて面倒としか思ってこなかったのに、今日で、この歌をこの場所で三年みんなで歌うのが最後だと思うと、三番の歌詞に差し掛かったころには、声が震えてた。

妙にしんみりしながらみんなで教室に戻ると、今度は担任が教壇に立った。「4月にお前らを受け持った時は、本当癖のあるやつばっかりで、面倒なクラスを持たされたなんて思ったよ」なんて暴露から始まった先生の話は、爆弾級に心に響く内容だった。隣の席の岩泉が、柄にもなく鼻をすすって涙を堪えてるから、こっちまでつられて泣きそうになった。

それから、クラスのみんなで写真を取って、卒業アルバムにメッセージを書く。同じクラスだけど、あんまり話したことない同士でも写真を撮ったりするのは、みんなこの瞬間を記憶にとどめておきたいから。肩を組んで、笑顔を作って、クラスメイトとしての最後の時間を過ごす。なんて、センチメンタルな。

そう。なんてセンチメンタルな、とほかのクラスメイトたち同様にこの雰囲気にやられて感極まっている私とは別の私は、他人事のように思う。今日この瞬間が、人生で一番楽しくて切なくていつまでも色あせない日だと思っても、春になり新しい世界で生活をはじめ、何度も新しい出会いと別れを繰り返していくうちに、きちんと色あせていくに決まってる。ある日卒業アルバムを開いてみれば、ひとりひとりの写真を見て「そう言えばこんなやつもいたなあ」って思うのが大半になるだろうし、「なんで俺こいつにメッセージ書いてもらってんだ?」なんて思ったり。きっと今日取られた写真の多くは現像されることもなくこれから撮られていくその他大勢の写真のなかに埋もれてしまう。

ひとの記憶に色あせずとどまるのは、至難のわざだ。そして、私は涙目になりながらもこの高校での思い出を少しずつ忘れるし、クラスメイトとある日再会しても「私、この人のことなんて呼んでたっけ?てか、私この人とクラス一緒だったっけ?」って思うに違いない。そして、私も誰かからの記憶からは消え、思い出すのが難しい存在になる。

「みよじどこいくんだ?」

教室を出ようとしたところで岩泉に声を掛けられる。

「他のクラスの子たちと写真撮ろうと思って」
「6組行くなら、及川呼んできてくんね?」

そう言う岩泉の周りには他のクラスの男子バレー部が集まってた。集合写真が撮りたいんだろう。「はいよー」と軽い返事をして隣の6組を覗くも、及川の姿はなかった。なんだと思って首を引っ込めようとすると、一年の時に同じクラスだった子たちに声を掛けられてみんなで写真を取った。「春休み遊ぼうよ」っていう恐らく実行されない遊びに「そうだね」と返して教室を出る。4、3組の教室を通過したとき、廊下に人だかりができてた。その中心は岩泉が探してる及川だった。

そう、及川。私がこの学年の多くひとたちの高校生活の記憶から消えていく一方で、いつまでも色濃く鮮明にひとの記憶にとどまるひともいるはず。その筆頭は、こいつに違いない。青城の生徒が高校時代を思い出すとき、きっとこいつは誰の記憶にも現れる。きっと何人かは母校自慢に「うちの代にさ、スポーツもできて超かっこいい及川ってひといたんだけど」、そう言っていま取っている写真を機種変してもちゃんと新しいスマホにも移して、新しく知り合った人たちに自慢する。クラスのムードメイカーで、部活の主将で、女子のあこがれで、先生たちの手のかかる自慢の生徒の彼はいつまでも、ひとの記憶で輝きつづける。

「及川、岩泉がほかのバレー部のひとたちと及川のこと待ってるよ」
「はいよー」

女子に囲まれた及川にそれだけ伝えて、また足を進める。2組の前を通り過ぎたとき、委員会が一緒だった子に話しかけられて、卒業アルバムにメッセージを書いた。1組の前の廊下でまた何人かと写真を取ってから、校舎の端の階段までたどりついて、息を吐く。屋上へと続く階段は、私たちが入学するよりも前に屋上が解放禁止なっていて、誰にも見向きもされない。踊り場まで登って座れば、階下の笑い声が少し聞こえ続けるけど、下からは死角で見つかることもない。はあ、と息を吐いて膝に額を埋める。

「―――なっ」

しばらくそうして一人ぼうっとしていると、誰かが階段を登ってくる音が聞こえたから顔を上げると、カシャっと写真を撮られた。

「なーんだ、泣いてないんだ」

急に写真を撮られて眉を寄せる私に、及川はわざとらしく頬を膨らませて不満そうに言った。

「なーにしてんの」
「… ちょっと一人になりたかったもので」

お前は何しに来たって言うのも面倒で。言葉少なに、あっちいけと暗に仄めかすも、なんのためらいもなく及川は私の隣に座って来た。近い。

「岩泉のとこ行きなよ」
「いーよ。岩ちゃんは俺のこと待ってくれるし」

そうですか。

「俺たち、卒業しちゃったね」
「うん」
「三年間あっと言う間だったね」
「…そう」
「及川さんの最大の高校生活の思い出はねー」
「バレーでしょ」

先に答えれば、「なんで俺に言わせてくれないの」って肩をぶつけられた。

「ねえ、なまえの一番の思い出は?」

私は及川みたいに部活に入ってたわけでもないし、くじ引きで負けたから委員会をやったりしてただけ。勉強は良くできたし、一度学年で一番になったこともあったけど、だからってそれはいい思い出にはならない。

「一番って言われると困る。色々全部いい思い出だもん」

体育祭も文化祭も合唱コンもそれそれの学年でそれなりに色々楽しかったし、修学旅行も面白かった。

「じゃあ、最悪の思い出は?」
「最悪?」
「俺のねえ、最悪の思い出っていうか、高校生活での一番の後悔はねえ」

そう言う及川は、腿に肘ついて顔を支える私と目線が合う様に、膝を抱えるようにしてその上に頭を倒して私を見てきた。

「なまえと別れたことかな」
「………」

一年の一学期、及川と日直になったことがきっかけで仲良くなって、席が離れてもなんだかんだ寄ってくるから気に入られてるのかななんて思いつつ何もないまま、二年のクラス替えで別々になって。それでも廊下ですれ違えば話したけど、違うクラスになって及川にしてみれば私は大多数の女子のひとりにすぎないって客観的になり自惚れもいいとこだと思っていたら、二年の一学期の終わりごろに及川から告白された。まさか自分がと思ったけど嬉しかった。喧嘩したこともあったけど、付き合ってくなかで及川が私をちゃんと好きっていうのは伝わってた。

でも、それだけじゃダメだった。三年になって及川は主将になって私も受験勉強に本腰を入れ始めて、クラスも違うしお互いに予定が合わなくて、及川が遠くなった。それにいつだって人気者の及川の隣に居続ける自信がなかった。私は及川の彼女なのが辛くなって、付き合って一年が経ったすぐ後に私から別れを切り出した。

「で、なまえはなんなのさ」

自分の発言がどれだけ私に刺さったのかわかってないのか、及川はいつものおちゃらけた調子のまま上目遣いでにこにこ私に聞いてきた。

「え、私言うなんて言ってないんだけど」
「ひっでー。俺は言ったのに。良いから教えろよー」

肩をゴツンってやられて、身体が揺れるのを感じながら「しょうがないなあ」って息を吐く。

「私の後悔は、及川と付き合ったことかな」
「はあ?ソレちょっと失礼すぎない?」

私と別れたこと後悔してるとか言ってたけど、別れたあとも、変わらずのバレー一筋ながらいろんな女の子と仲良くしてたくせに、良く言うよと思ったから、ちょっとした仕返し。自分から私たちのこと持ち出したんだから、文句言わせない。

「だって、もし付き合ってなかったら、『バレー部の及川くん』っていうふうに卒業しても、及川のこと思い出せたのに」

それなのに付き合っちゃったせいで。三年生の大勢が及川のことをいつまでも覚えてるように、私もきっとこいつを覚えて続けるけど、それは「元カレ」として。もし将来誰かと付き合って別れても、及川のことは絶対忘れない。忘れられるわけない。

「なんか、それすげー悲しいんだけど!」
「いや、でもきっと及川との思い出は良くも悪くもずっと忘れないよ」

一方でこいつにとっての私は、きっとバレーに一生懸命な人気者の及川に惚れた女たちのひとりにすぎなくて。及川の高校の思い出のたくさんのピースのなかの一つとして埋もれるに違いない。

「俺はなまえのなかでももう過去のひとなの?」
「え?」

「俺は、」そう言って立ち上がった及川。座ったままの私の横に立って、高い高い位置から私を見下してきた。

「なまえを思い出にしたくない。別れたこと後悔して、いつまでもお前のこと思い出してその度、気分落ちるとかすげーやだ」
「私のことなんてすぐ忘れられるって」
「俺の記憶をお前が決めんな」

及川が、怖い顔してる。こんなの及川、見たことない。

「それに俺の高校生活最大の思い出は、なまえと付き合えたことだから!」
「ちょっと、声うるさい…」
「うっさいな!聞けよ!なまえは俺がバレーばっかしてると思ってるみたいだし、付き合ってたときも、俺がバレー最優先なのに文句ひとつ言わなかったけど、俺のなかでなまえのことが一番だった」
「な、及川。どうしたの」
「俺は、絶対お前のこと忘れられない。一番いい思い出も一番悪い思い出もなまえなのに忘れられるわけないだろ!」
「う、ん」

いつものへらへらしてる及川なんて微塵もいない。

「でも、もっと言えば、そもそもお前のこと思い出したくない」
「…何それ」

忘れたくないけど思い出したくないって、どういうこと?固まったままでいると、及川は深呼吸してから、私の肩を掴んで立ち上がらせたあと、自分は数段階段を下がってわざわざ私と目線を合わせた。

「だから、俺は!なまえを過去の思い出にしたくないってこと!」

及川的にはここが一番の見せ場らしく元気よく宣言してきたけど、私はただただ目が泳ぐ。なんか話が遠回りで、結論に飛びついていいのか分かんない。

「まだ、わかんないの?嘘でしょ」
「いや、分かりやすく言ってよ…」
「あーー!もう!!だから、俺はなまえと一緒にいたいの!俺は一生、なまえの今の人でいたい!」

かっこよく決めたつもりだけど、及川の顔は真っ赤で、馬鹿みたいに可愛かった。でも、私も顔が熱いから及川に負けず劣らず顔が赤いのだと思う。それが恥ずかしくて強がって「なにそれ、プロポーズ?」って冗談でしか返すと、「そうだよ、プロポーズだよ!俺はなまえの高校の思い出になんてなりたくないから!」って言い返された。

「で!返事はどうなのさ!」

いつまでも何も返さないでいると、及川はまたふて腐れたような子供じみた表情で私に迫ってきた。

「わ、私だって及川の思い出になんかなりたくないよ!」

勢いに負けて私も大声で及川に思わず返す始末。すると、及川はがっと私を抱きついてきた。「ちょっ、わ、及川怖い!!!」って及川の体重を支えられるはずのない私が後ろに倒れそうになると、及川はそのまま私を抱き上げた。足が階段につかないで怖くてバタバタしてる私をお構いなしに、そのまま一気に階段を駆け下りたところで、やっと下してもらう。文句の一つを言ってやろうと、及川を見上げるといつものニヤニヤでもてへぺろでもない、優しい笑顔をしてたから何も言えなくなった。及川は私の頭を一度撫でるとそのまま私の手を引っ張って、生徒で溢れる廊下を突っ切りはじめた。

「ちょ、どこ行くの!」
「岩ちゃんに報告〜」

そう嬉々として言う及川になにも言い返せないのは惚れた弱み。5組に戻るまでの道のりでいろんなひとに、「やっとより戻したんだー」「復縁おめー!」って言われるのは、私達が叫び合った声が階下まで聞こえたのではなく、手を繋いでるからだって思いたい。

岩泉はじめ、バレー部のみんなに声高らかに及川が「なまえとまた付き合えることになりました」って言うと岩泉に「せいぜい仲良くな」って言われた。

「ねえ、今日が高校生活で一番の思い出かも」

下駄箱に向かう途中、隣にいる及川に言えば、握った手をもう一度しっかりと握り直された。

「俺も。てかなまえとの思い出は全部一番だし、これから一生なまえが俺の一番だから」

不覚にも泣きそうになった。