03

ごめんね、ツッキー

馬鹿みたいな笑顔で、山口の真似をした樹里の顔がちらついた。樹里がいなくなったあとの練習中、日向と田中さんがそわそわこっちを見てくるのがうざかった。それに気づいても相手する義務ないし、部活終わったらさっさと着替えて、山口と学校を出た。帰り道、山口は一度だけ「樹里ちゃん戻って来てるの知らなかったね、驚いた」って言ったけど、僕がそれに返さないとそれっきり会話に樹里の名前が出ることはなかった。山口と途中で別れてからヘッドフォンを付けると、いつもより音量を上げて音楽を聞いた。



玄関を開けてまず目に飛び込んできたのは、うちの家では見るはずのない女もののサイズのローファー。

「おかえり」
「…あ、うん。ただいま」

出迎えてきた母親にそう返すのは、上の空。空の弁当箱を渡すと、当たり前のように「蛍の部屋にいるわよ」と言われて、頷いてそのまま階段を登った。

部屋のドアを開けると中は暗かった。廊下の灯りが差し込む僕の部屋のベッドには、こちらに背を向けて眠る制服姿の樹里がいた。鞄をずとっ、と床に落として、ベッドに近づく。すぐそばに立って見下せばやっぱりぐっすり寝ていた。昔のように。僕は放課後練で樹里を見てからブロックの調子が悪いし、帰り道は樹里の言葉が頭でぐるぐるしてたのに、そうやってすやすやしてる樹里にイラッと来て、マットレスを片足で蹴った。

「ん…、蛍?」
「なにしてんの」

眠そうに眉を顰めながら、起き上がった樹里は暗がりの中で僕を見上げた。

「なんか眠くて寝ちゃってた」
「そういうことじゃないよ」

ぐっと眉間に力を入れながら聞く僕に対し、樹里は体育館でしたみたいに馬鹿な笑みを作った。

「ごめんねって、ツッキー」

山口から何度も何度も言われる言葉を、樹里が真似していうと、どうしようもなく腹が立つ。イライラをどううまく嫌味として言葉にしようか考えているうちに樹里はベッドから立ち上がると、部屋の入り口まで行き部屋の電気をつけた。「ツッキー、相変わらず大きいねえ」なんて笑いながら、樹里は勉強机の前の椅子に座って僕を見上げた。

それはそのまま田中さんと現れた時の樹里で、バレーボール部にそれとなく挨拶した時の樹里で。でも、僕の知ってた樹里じゃなかった。

「連絡、しなくてごめんね」
「別に。したくなかったからしなかったんでしょ」
「したかったよ。すごく」
「でも、実際にはしてないってことは、そっちの気持ちが勝ったわけでしょ」

そう言えば、さすがにたじろぐかと思ったけど、むしろ樹里は笑みを深くした。

「なに、笑ってんの」
「蛍、相変わらずだねえ」

急に名前で呼ばれて、こっちが動揺しそうになる。なんで僕が、そうなんなきゃいけないの。イライラして、声が低くなる。

「それで、何の用なの一体」
「用っていうか、久しぶりだねって」
「なに、僕も懐かしむとでも思ったの」

そこで、やっと樹里の表情が固まった。

「…帰るね」

勢いよく立ち上がった樹里は、鞄を掴むと部屋を飛び出した。開けっ放しの扉から階下の会話が聞こえる。「あら、樹里ちゃんもう帰るの?良かったら夕飯食べてって」「お父さんが早く帰って来いってメールが来て」「あら、残念。お父様によろしく言ってね。あ、蛍は何してるのよ、樹里ちゃんのこと送らせるわ」「私がいいって言ったんです。部活で疲れてるみたいだし」「そうなの?ごめんなさいね、また遊びに来てね」「あはは、お邪魔しました」さすがに、送らなきゃと思った。けど、部屋を出る瞬間に見えた樹里の横顔は、良く知ってる表情だった。怒ったような悔しいような、泣きたいのを我慢してでもこらえきれずに泣き始める時の顔。昔から何度も見てきた。誰かに怒って何かに悔しがって、僕の前でそれをさらけ出してた樹里。でも、今日樹里がそんな表情になったのは紛れもなく僕のせい。

それがショックで、僕は樹里を追いかけられなかった。