「もう帰ってきたのか」

家に帰ると、じいちゃんがリビングから声を掛けてきた。

「僕と遊びたくないんだって」そう答えながら僕は顔をしかめた。
「喧嘩でもしたか?」
「さあね」

僕は言葉少なく返してソファーに身体を投げた。それを見てじいちゃんが眉を顰める。行儀が悪いとでも言いたいんだろう。

「ねえ、今日誰かうちに来た?」
「…どうしてそんな事聞くの?」ばあちゃんがキッチンから首だけ伸ばして言った。
「別に。何となく」
「ここは、私達だけのお家よ」

ばあちゃんは、僕が何も分からない小さな子供のようにあやす様に言った。ふんぞり返って来た身体を勢いよく起こしてキッチンに行く。

「何でみんなはここが空地って思うんだ?」
「さあ。お馬鹿さんなのよ」
「じゃあ何?僕達だけが頭が良いって事?」
「そんな事は言っていません」食器棚を静かに閉めるとばあちゃんは僕に向き直って息を吐いた。「さあ、これをあなたのおじいさんに持って行ってあげて」

紅茶の入ったティーカップを渡されて、仕方なくリビングに戻る。じいちゃんはテーブルに新聞を広げていた。眼鏡を掛けて、クロスワードを解いていた。僕はティーカップを置いて、じいちゃんの隣にどさっと座った。じいちゃんは、僕のその行儀の悪さを一瞥しただけで何を言わなかった。

「お前分かるか?暗号機を発明した人物」キッチンからスコーンとオレンジジュースを持ってきたおばあちゃんにじいちゃんが新聞を押しやった。
「シェルビウスじゃないかしら」ちらりと見て、ばあちゃんは答える。
「ああ、きっとそうだ」じいちゃんは頷いて、新聞の上にボールペンを走らせた。

それが最後だったらしくおじいちゃんは、新聞を畳んで眼鏡を外した。眼鏡。そう言えば、あの人も眼鏡を掛けていた。四角いじいちゃんのとは違う、丸いやつ。

「お食べなさいよ」
「ねえ、」僕はスコーンを無視して言った。「僕って父さんに似てる?」
「どうしてそんな事聞くんだ」じいちゃんは低い声だった。
「自分の親の事聞いて何が悪いんだよ」
「そんな口の聞き方はいけませんよ」そう叫んだのはばあちゃんだった。
「僕に手紙が来るって本当?」僕はじいちゃんを睨んだ。

その瞬間、じいちゃんもばあちゃんも固まった。あの人の言う通りだった。二人は怒ってる。でも、僕だって怒ってる。二人はいつも僕の質問に答えない。二人が怒ろうが僕は構わない。

「あの人よ…」おばあちゃんが小さな声でじいちゃんに言った。
「話したかの?知らない人と話してはいけないと言っただろう!」じいちゃんはテーブルの上に握りこぶしを置いて僕に言った。
「やっぱり誰かうちに来たんだ!」
「何を話した。言いなさい!」
「何で僕だけ答えなきゃいけないんだ!だったら僕の質問にも答えろよ。僕の父さんと母さんはどうしていないの?どれくらい父さんに似てる?手紙って何の事?」僕は立ち上がっていた。
「あなたに父親はいません!…あんな男、あなたの父親なんかじゃないわ!」ばあちゃんは口をきつく結んで言った。
「質問に、答えてよ!」

そう叫んだ時だった。突然、オレンジジュースのグラスが割れた。一口も飲んでいないジュースはテーブルに広がり新聞を濡らした。二人はぞっとしたテーブルを見た。どうだって良い。二人が怒ろうが怖がろうがどうだって良い。僕はリビングから逃げ出した。二階への階段を駆けあがった。

自分の部屋に行こうとした。まだ怒りが収まらない。二階にある部屋のうちの一つの前を通った時カチャっと音がした。鍵が開いた音だった。僕がやったに違いない。僕の家には鍵が掛かりっぱなしの部屋がある。絶対に入っちゃいけないって言われていた。鍵が掛かっているのにどうやって入るんだろうと思っていたけど、二人はこういう時の事を考えていたのかもしれない。僕は言い付けを無視してドアノブを捻った。

部屋には何があるのかって期待と、まだ冷め切らない怒りでドキドキしていた。でも、扉を開けてあったのはただの寝室だった。なんだ。でもだったら何で二人はなんでこの部屋に鍵を掛けてるんだろう。

そう思ってベッドに腰かけて、部屋を眺めた。部屋は綺麗に片付いていた。ベッドの横に小さなサイドテーブル、クローゼット、本棚、窓際に置かれた椅子。何て事ないじゃないか。僕は立ち上がって、試しにクローゼットを開けた。大人の女の人の洋服が入っていた。それから暗い色の丈の長いフードの着いたガウンみたいなのと、赤と黄色のマフラー。

隠すような事ないじゃないかと、仰向けに倒れて天井を見上げた時、驚きで息を飲んだ。天井いっぱいに夜空を撮ったらしい写真のポスターが貼ってあった。でも本物のように見えた。きらり、写真の空に浮かんでいる星の一つが光ったように見えて僕は思わず首を振った。さっきの興奮が収まらなくて目が錯覚しただけだ。きっと。

僕は、ごろっと寝返りを打った。ベッドの横に置かれていたサイドデスクが目に入った。引き出しからは少し紙がはみ出していた。僕は寝転がったまま腕を伸ばして、それを引き出しから出す。それは新聞だった。だいぶ古くて所々皺になっていた。それもそのはずだった。日付の所を見れば、十年以上前の新聞だった。僕はベッドの上に座り直してそれを眺めた。面白い事がなくて裏返してみる。

新聞の裏側の下半分には写真が載っていた。男の写真だった。長い髪はやけに長くてくちゃくちゃにもつれていた。痩せすぎて頬がこけてた。不健康そうだし、汚らしいし、とっても不機嫌そうだった。その男が、僕を真っ直ぐに睨んでいた。


別れの無い出会い


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