「さーむーいー」

電車待ちでホームの前の方に立っていると、俺の前に立つナマエが特急が走り去ったあと文句垂れた。

…こいつは。底なしの馬鹿だ。天気予報で、夜のうちに寒気がやって来て明日月曜日の最低気温は10度を下回り、所により雨が降るしょうという予報を、昨日俺の家で俺の隣で見ていたはずだった。スピード落とせだの、どうせなから通過するんじゃなくて止まろだの、風切りすきだのわめきながら眉毛を吊り上げ口角を下げているナマエは20を過ぎた女とは思えない。やめ時が分からなくなって理由をこじつけダダを捏ね続ける幼稚園児のようだ。そんなやつと、大学で同じ授業を受けるだけではく、日曜日の午後家に招いてしまう俺も俺だ。





授業に5分を遅れて現れたナマエは、ざっくりしたニットのワンピースに薄いタイツ姿だった。むき出しの鎖骨と雨で濡れた靴のせいで、余計寒そうに見えた。赤くなった鼻をずっとすすって俺の隣の席に滑り込んでくる。

「お前着てんのそれだけ?」
「え?うん」

お前は昨日俺の家で何を見たんだよ?ニュースを聞いて、うわー私寒いの絶対無理。ここの管理人の口臭の次に無理。しかも雨とか。くずかよ。あのお天気キャスターなめてんの。月曜から雨とかやってられるか。ああ、でも寒いならこないだ買ったコート着ちゃおっかな。いい考えじゃないシカマル?と、同意を求めるナマエに、わざわざ新品を雨の日に下ろすのかよと、思ったが、そうだなと面倒くさい口論を避けるだけのために頷いた昨日の夜。ほんの12時間前の会話。

女の服のことなんてよくわからないが、それにしてもナマエはいかにも秋だという格好。教室のなかにはちらほら真冬のコートを着ているやつもいるのに。いや、なんか今日起きたらさ、雨降ってるじゃん。予報通りじゃん。で、昨日のお天気のお姉さん思い出したら、あいつの思い通りにはさせられないって思って。だってあの女アイドル上がりのにわかお天気キャスターだよ。お前が言うほど今日は寒くねえよってなんかムカついちゃって、この格好になったわけ。

「お分かり?」
「ぜんっぜん、分かんねえ」
「はあ?あんた馬鹿?」

ああ、もうこいつ馬鹿だろ。こいつとまともな会話ができるわけないので、配られていたプリントを渡して黙らせる。ああ、この教授の資料分かりずれーな。

昼を食ってるときも、一コマ別の授業を受けてまた同じ授業を受けたときも寒い寒いと騒ぐこいつを無視して、なんとか帰りの電車を待つホームまでたどり着いたわけだ。

「さむいさむいさむいさむい。あのキャスター恨む。てか死ね」

自分を恨め、んでお前が死ねと思うのもひとつ手だったが、むき出しの指を隠すようにニットの袖を伸ばしてるためにこいつの胸元がさら開いていることが気がかりだった。こういうの俺のキャラじゃねえけど、誰に対してか分からない言い訳をして、首に巻いていたマフラーを解いて俺より一歩前に立っているナマエの首に引っ掛けて後ろで結ぶ。

「…んげ、苦しっ!殺す気?!」
「おめえが寒い寒いいってるからだろーが」
「きつく縛りすぎだから。危うくあんた、人殺しになるところだったからね」
「礼はいらねえよ」

鼻の下までマフラーで隠してるナマエと向かい合う。ああこいつ普通にしてればそこそこ美人なのに、しゃべらすとボロが出るからだめだな、いや、しゃべんなくてもでけえ欠伸するしくしゃみもうるせえしだめだ。救いようのねえ女だ。

「シカマルー」
「んだよ」
「さむい」
「もうマフラーやっただろ」
「あっれーえシカマルくん、なんかあったかそうなコート着てんじゃん?」

白々しい。田舎のチンピラか。

「安心しろ、馬鹿は風邪引かねえよ」
「まじか。良かったじゃん」
「だな」
「はあ?」
「は?」
「馬鹿は風邪引かないんでしょ?」
「そういま言ったばっかな」
「だったら、コートはよ」
「言っとくけど、馬鹿はお前のことだかんな」

ええなんでよ話の流れわかんないシカマルのが馬鹿じゃん!馬鹿は風邪引かないんだよ。コートはよ脱げ、この馬鹿野郎。追いはぎかよ。俺のアウターの袖を引っ張るナマエの力ときたら加減を知らない。アウターのポケットに両手突っ込んでて、抵抗したりバランスとってないせいで、ぐわんぐわん揺すられる。

「もー怒った」
「勝手に言ってろ」
「ほんとにほんとに怒った」

今度は何を言い出すかと思っていれば、向き合ったまま両手を俺のポケットに無理やり入れてきた。キャパオーバーだ、あほ。きちきちのポケットの内側で冷え切ったナマエの指が俺のに触れた。

「あったかーい、いいねいいね」

どこがだ。バカップルぽくっていいじゃん。やだよ、手ぇ出せよ。やだよ、手ぇは入ったままだよ。もうお前といると疲れるわ。なんです、それ宣戦布告ですか、別れるフラグですか。うるせーしお前。強がっても泣くのはシカマルの方だよーだ。私が別れるなんていったらびびるくせに。調子に乗りやがって。ちょうどその時、電車がホームに入ってきた。ドアが開いて降りる客が出きってから、ずいっと電車に乗り込んだ。向き合ってポケットに手に手を入れてるナマエは後ろ向きのまま押される。

「わあ…!ちょ、あぶな、…い、じゃん!」
「足元気をつけんのは常識だろーが」
「うっせーよ!それが彼女に対する扱いなん?!」
「なんとでも」
「ああ、もう決めました。別れましょう、最後にポケットぶんのぬくもりありがとう」

鼻と唇を寄せてこれでもかという醜い顔して、ナマエが吐いた。お別れか、そうかよ。

「じゃあ、このポケットに入った手は抜いてもらわねえとね」
「………」
「俺たちもう付き合ってねーんだろ」
「………」
「はよ」
「……なんてね、うっそぴょん!焦ったでしょ。私の大切さが分かったかこの野郎」

焦ってたのはお前の方だろ、この野郎。ああいい加減、ナマエと一緒に居過ぎて、口調が似てきて困る。

「…今日、俺んち来るか」
「今日まだ月曜だよ」

ナマエは俺んちでボヤ騒動を起こしたり、壁にフライパンで穴を開けた前歴があるため管理人から週末以外は出禁にされていた。

「めんどくせーけど、管理人は俺が上手く言いくるめるからよ、」

なんかあったけえもん作って食おうぜ。