裏切者は踊り出す2
何かを叩く音が先程から船内に響き渡っている。
カンカン カンカカンッ、と。
例えるならば木槌で船中の壁や床を誰かが叩き回ってるような、そんな騒々しさだ。
船員達に、凶報でも持たらせているのだろうか。
それとも、何かが始まる事を教えているのだろうか──。
放った言葉を合図に春夜が音もなく甲板を蹴れば、後に残るのは彼女の髪が描く白色の軌跡のみ。
気付けば男の懐へと飛び込み、その首を刃で掻き切ろうと迫っており、ティーチは慌てて持っていたナイフで受け止めようとした。
──だが、
バキィン!!
「っ!?」
氷でも砕くような容易さでナイフの刃を叩き割った春夜は、刀の薙ぐ力を殺すこともせずにティーチの首を掠めていった。
ブシュゥ、と勢いよく血が噴き出して雨のように辺りへ降り注ぐ。
「う、ぎゃぁあああ!!!」
痛みと大量の出血から情けない声を上げながら甲板上を転げ回るティーチ。
傷口を押さえつけて止血を試みても手の隙間から血が溢れて止まる気配がない。
「首を落とすつもりだったが、浅かったか」
ナイフに邪魔されたな、と刀にかかった血をビュッと振り払いながら春夜は淡々とした口調で告げる。
目の前で苦しんでいる男になど視界にも入れようとせずに。
そうだ。この女の異名は──『白鬼』。
伊達や酔狂だけで、そんな大層な名前を海軍やあらゆる敵が付ける筈がねェ。
「い、いいのか…?おれを殺せば、仲間殺しの汚名を被ることになるんだぜェ?」
「お前が言えた義理か?それにそんなものをイチイチ気にしてたら、この海賊団の副船長なんてやってられないだろ」
同じ釜の飯を食った仲間だろうが何だろうが、裏切れば容赦なく切り捨てる。
コイツは、正真正銘の鬼なのだ。
白ひげ海賊団に住まう悪鬼──。
「…っ、…」
「気をしっかり持て、サッチ」
意識が朧気になってきたサッチを危惧した春夜は彼に目配せしながら活を入れた。
出血が激しすぎる今気を失わせては、その後目覚めない可能性がある。
例え意識を取り戻しても後遺症が残る事だってあるだろう。
「マルコがすぐに──」
治してくれる筈だ。
そう元気付けようとした春夜だったが、途中で言葉が不自然に止まった。
それは自分の直感が何かを勘付いたとでも言えばいいだろうか。
この窮地の中で活路でも見出だしたかのように、視界の端でティーチがニヤリとほくそ笑んでいるのに気が付いて、嫌なものを感じたのだ。
同時に、ぴりっと肌を刺す感覚に襲われた春夜は、反射的にその場を宙返りで後退した。
──瞬間、
バチバチっ!!
雷鳴のような衝撃音と共に先程自分がいた場所へ複数の弾丸がめり込んだ。
「新手か」
硝煙の煙が弾痕から小さく立ち上り、ツンとした嫌な臭いが鼻腔を刺激する。
どうやら誰かに狙撃されたらしいが、弾丸が甲板にめり込む音以外、何も聞こえなかった。
一体、どこから?
場所の目星を付けるよりも先に、
「ウィ〜〜ッハッハッハ!!」
「!」
海の方から突然見知らぬ男が姿を現した。
飛び出してきた勢いに任せて、重い拳が振り下ろされてくる。
だが、
「…、…」
難なく刀で受け止めた春夜は、力を押し返した反動を利用して男から距離を取った。
「春夜…っ!!」
「伏せてろ!近くに狙撃手がいる!」
直ぐ様、気力を振り絞って立ち上がろうとしたサッチに鋭い声を掛けた春夜は、この場に乱入してきた不審な男を睨み付けた。
「ゼッハッハ…!!おれもそう簡単に殺られてやるわけにはいかねェんだよ、副船長ォ!!」
不適に笑うティーチの言葉に、
「ウィハハハ!コイツが副船長だって?ひょろっこい奴だな!」
と横にいた男が意気がる。
どうも人を見る目がないそいつはティーチの仲間らしく、既に他の徒党を奴は組んでいたようだ。
自身の顔の大きさ程あるバックルが付いたベルトを腰に巻き付け、顔半分を被った特徴的な覆面から二つに割れた顎を覗かせている大男。
先程の大振りな攻撃も踏まえ、見た限りではコイツはパワー型だ。火器の扱いが得意そうには到底思えない。
(コイツではない、な──)
今にも突進してきそうな大男に向けてぐっと腕に力をこめた春夜は、そのまま十字の形に刀を振り切った。
「『四葉残光(しばざんこう)』!!」
空を切った斬撃がそのまま衝撃波となってティーチ達へ襲いかかる。
それを嘲笑いながら、胸の前で交差するように腕を組んだ大男が春夜の技を食い止めようとした。
しかし、生身の人間が簡単に受け止められる程、彼女の斬撃は柔なものではない。
「バカがっ 素手で受けるんじゃねェ!!」
ティーチの忠告も一足遅く、案の定大男の両腕は大きく切り裂かれた。
「うぎゃあああアア!!」
赤黒い血を撒き散らし、堪らず大男がその場に膝を付く。
甲板にボタボタと血の滴がしたたり落ちた。
「小物が…。邪魔をするな」
心底不愉快そうに春夜の赤い瞳が大男を見下している。
辺りが暗闇なのも相俟って、不気味な赤い光がその場にぼんやりと浮かんでいるようだった。
嫌な汗が男の背筋に流れた、その時、
「目的は果たしたんだ!ずらかるぜェ!」
ティーチが憎々しげに声を上げながら、よろよろと立ち上がった。
その手にはサッチの悪魔の実がしっかりと握られている。
「分からないな。たかが悪魔の実如きで、こんな愚行を犯すとは。それほど万能でもないだろう」
それは、と目で示しながら春夜は怪訝そうに告げた。
悪魔の実とは、一度口にすれば膨大な力が手に入る代わりにそれだけ弱点も与えられるのだ。
そんなどっち付かずの半端な力など自身が持つ可能性を自ら閉ざしているに他ならない。
だが、ティーチの考えはそうではなかった。
「お前ェがそう思ってんのは悪魔の実を真に理解してねェだけだぜ」
ゼハハハ、とお得意の笑い方で嘲笑する。
そんな奴を春夜は不愉快だと思った。
短い溜息が自然と彼女の口から漏れる。
狂気に落ちた奴に何を問うても納得できる答えが出てくる筈もない。
「理解しようともしなくても」
そんなものどうだっていいさ。
「私がお前を斬ることに変わりはない」
コイツを殺す役目は私なのだから──。
再度、先程の『四葉残光』を放とうと春夜が刃を構えた、その時、
「っ」
唐突に、目の前に集中していた意識が別方向へと向いた。
そして、次の瞬間には甲板を蹴り、一瞬の内にしてサッチの元へと駆け寄った春夜は虚空に向けて持っていた刀を振り回した。
ガッ、キキキィ──…ン!!
何もない空に向かって無造作に斬り付けている筈なのに、彼女が刀を振り抜く度、金属同士が激しくぶつかり合ったような不協和音が辺りに木霊していく。
それに伴って幾つもの弾丸が船上に転がった。
「例の狙撃手だな…!」
春夜は心の中で舌打ちしながら、一斉に降り注いできた銃弾の雨から弾込めで狙撃の手が緩む時を見計らい、サッチの手を肩に回して近場の物陰へと共に隠れた。
今の銃撃を咄嗟に勘付くことが出来たが、下手をすればサッチは文字通りの穴だらけになっていた筈だ。
それも、承知の上で彼を狙った…というわけか。
「流石に鬼と謳われたアンタでも仲間が殺されそうになったら見過ごせねェよなァ?」
船縁に足を掛けながらティーチが嘲笑う。
そんな奴に対して、春夜の胸の内には言い知れぬ怒りが膨れ上がっていった。
(救援は──…否、その為の毒か…!!)
今の船内は救護者の対応に追われて、こちらの異変に気付く暇もないだろう。
サッチの呼吸は徐々に浅くなってきているというのに、奴が仲間内に毒を盛ってくれた所為で助けも見込めない。
「小賢しい…っ」
何もかも計算付くで行動している所が尚の事そうだ。
まるで、あの忌まわしい男の様──。
そんな考えが春夜の脳裏に過った瞬間、ぐるりと頭の中で何かが暴れ出した。
目の前が真っ赤に染まる。
「つっ…」
襲われた衝動そのままに物陰から飛び出した春夜は、甲板上を駆け抜けた。
断続的に降る銃弾など物ともせずに。
自分に被弾する筈の弾丸よりも先を行き、猛然とティーチに斬りかかった。
そして、
その、刀の切っ先が…
奴の心臓に、触れる──
それより前に。
「あばよ」
決別の言葉を口にしたティーチは船縁の先にある海へと飛び込んだ。
春夜が握る刃には肉を切った感触一つ、何も伝わってはこなかった。
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