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げに美しくも、いとをかし



燭台に灯る火がジジジ…と音を立てて揺らめく。
それと同時に部屋の明障子越しから馴染み深い気配を感じて、照日は目を通していた書類からそちらへ意識を向けた。

「八房か」
「はっ。ただ今、戻りました」
「何か変わった事は?」

照日の問い掛けに、八房と呼ばれた影は一拍置いてから語る。

「兎丼の海沿いを巡察しておりましたら不法入国者を目に致しましたので、捕らえて焔隊に引き渡しておきました。只今尋問を行っていますので後程、仔細が報告されるかと。その他は別段変わりございません」
「そうか」

八房一人でも相手に出来たという事は小物だったのだろう。尋問したとして益になる情報も無さそうだ、と零れそうになる溜め息を照日は堪えながら、小さく首を縦に振る事で八房を労った。

「分かった。下がってくれ」
「はっ…」

短い返答一つで蝋燭の火が消えるように八房の気配が立ち消える。それを見て取った照日は、慣れた手付きで煙管を吹かす準備を始めた。
煙草盆の炭火で点火させた刻み煙草をゆっくり味わいながら、室内の明かり窓へと視線を向ける。弱い光が漏れているのを目にして夜が明けたことを悟った。
布団へ横にならなくなってから、もうどれ位経つだろうか、と何処か他人事のように感じながら照日は、ふぅと煙草の煙を吐き出した。

「姫様、少しよろしいでしょうか?」

明障子の向こうで立ち退いた筈の八房の声が聞こえた。いつも顔を狐面で覆って人前に出る事を嫌う八房にしては珍しく、面と向かって話がしたいようだ。

「どうした?」
「廊下にこのような物が置かれてあったのですが…」

障子を開けてやると、見慣れた狐面を顔に貼り付けた八房がおずおずと両手を差し出してきた。その手の上には笹の葉に包まれた何かが鎮座している。

「どうやら中身は握り飯のようです。毒はありませんでしたが、どう致しますか?」

先に毒味を済ませはしたが、判断は主君に委ねようとする八房を側に待機させ、照日は握り飯と共に添えられていた文へと目を通す。
書かれていたのは簡素な一文のみ。それを読んで直ぐに送り主が誰だか気付いた照日は、ふっと笑みを零した。
すっきりした、けれど荒々しい彼の内面を表しているような筆遣い。不器用な優しさが滲み出る文の内容に、先日物言いたげにしていた彼の表情が自然と頭に浮かぶ。

“ 飯は体の資本だ ”

それは見慣れて久しい久蔵の書体だった。

「久蔵からですか?」
「ああ。気を遣わせたようだ」

三角とは言い難い丸の形をした握り飯を見つめながら、改めて久蔵の気遣いを感じ入る照日。試しに一つ頬張ってみると、控えめな塩気と白米の甘い味が口一杯に広がった。
握り飯とはこんなにも美味しいものだったのだな、と軽く目を見開くと共に、料理とは無縁の久蔵が一人でこれを作っている姿を想像して、妙に可笑しくなった。










夜が明けて、軽い身仕度を整えた照日は中奥へと移動した。
最奥にある文机に向かって腰を下ろすと、すぐに役方達の手から裁決待ちの陳述書が持ち込まれる。文机の上に書類の束の小山が出来ていくのに、そう時間は掛からなかった。

「これは松原に問うてくれ」
「はっ」
「次いでに、彼奴に頼んだ政務の進み具合も共に尋ねてきてくれんか」
「承知しました」
「照日様、佐藤殿よりこのような嘆願が届いておりまするが…」
「……ふむ。文面だけでは要領を得ぬな。本人から詳しく話が聞きたい。明日、出仕した際に折を見て呼び出すと、佐藤には伝えておいてくれ」
「御意のままに」

淡々と書類に目を通していく合間にも、照日の元には御家人や大名からの書状が引っ切り無しに届く。書状の中身は溜め息が溢れる程に下らないものもあれば、国家規模で対策を考えねばならない重要なものまで千差万別だ。
だが、その度に照日は適任者を選定して迅速に処理していった。彼女の手腕は見事なもので、祖父であるスキヤキの代よりも国が豊かになっていく事からも、その実力は明らかだろう。
何時しか周囲には「照日様を次の将軍に」と推す者も出始めたが、当の本人はその話題に一切耳を貸そうとはしなかった。

「此度の検地だが、奉行の岩松に頼もうと思うておる。申の刻に──」

呼び出してくれ、と照日が口を開きかけたその時、「姫様!」と慌てた様子の声が割って入ってきた。
目の前で照日の指示を受けていた小姓の声ではない。だが、確かに男の声が聞こえた筈だ。照日が出所を窺うと、障子戸から覗く渡り廊下を一人の門衛が慌ただしく駆けているのが目に入った。多分其方だろう。

「何だ」

廊下で恭しく跪いた初老の門衛に照日が言葉短く問えば、彼は「それが…」と言い難そうに、口をもごもごさせるだけで、本題を話そうとしない。
背後で護衛に付いていたタチバナが業を煮やして舌打ちする姿を黙殺しながら、照日は根気よく門衛が語り出すのを待った。
そして──、

「白舞のオロチが目通りを求めて、門前まで来ております」

ぼそりと告げられた言葉に、照日は眉間に深い皺が寄るのを感じた。それと同時に、何故門衛が中々言い出せなかったのかも納得する。
“オロチ”とは、前々から嘆願書やら面会依頼の文やらを執拗に送り付けてきた男の名だ。その何れもが到底許可出来る筈もないふざけた内容が書かれたものばかりで、精査するまでもなく依頼を却下しては不服を申し立ててくるという鼬ごっこが続いていて、正直ほとほと迷惑していた。
それが今度は伺いも無しの訪問だ。相手側の予定を完全に無視した強引な手法に、周囲で成り行きを見守っていた家臣達が怒りで肩を震わせてしまったのも無理はない。

「姫様、そのような無作法者の事など放っておけば宜しいかと」
「そうです!即刻追い返して、塩でも撒いておきましょうぞ!」

役方達が次々と文句を言うのを照日は軽く片手を挙げて黙らせる。ここで問答していても仕方がない事だ。

「用件は?オロチは何か言うておったか?」

照日が問えば、門衛はこれまた遠慮がちに周囲を伺い、恐る恐ると口を開いた。

「それが…金子を用立てて欲しい、と…」

何とも直接的過ぎる要望に、照日は目の前に家臣達がいると分かっていても溜め息が隠せなかった。少しは遠回しに言えないものだろうか。
殺気立つ役方達の様子に、このままでは城内で刃傷沙汰が起き兼ねないと悟った照日は内心、萎縮する門衛を不憫に思いながらも、すっと目を細めた。

「彼奴は将軍家の城には打出の小槌があるとでも勘違いしているのではなかろうな?これ以上はこちらの財政にも関わる。故に断ってくれ」
「は、はっ…!」

照日の身体から漏れ出る流桜の余波に当てられたのだろう。大量の脂汗をかきながら、門衛はそそくさと去って行く。
だが、オロチからの無理難題に役方達の興奮は一向に冷めやらない様子だ。

「白舞の状勢はそれ程までに逼迫しているのか?」
「康イエ殿は何をされておられるのか!」

不平不満を溢す役方達を視界の端に収めながら、照日は努めて厳かに言い放つ。

「康イエ殿には一度、文を送っておく。それで改善が見られなければ、オロチには私が直々に釘を刺してやろう」

役方達を宥めすかして、照日は再び目の前の書類へと目を通していく。思わぬ珍客の到来だったが、政務はまだまだ残っているのだ。
先程指示を行っていた小姓には行けと手で合図を行い、照日自身は検地を行う際の参考の為に、以前報告された田畑の面積と今年の収量に関する報告書を照らし合わせ──ようとして、すぐに別の門衛が照日の目の前へと駆け込んできた。

「照日様っ!」
「今度は何だ!」

思わず声を荒げてしまう照日だが、今度の門衛は気にも留めずに伝令を続けた。
喜色満面な様子で、

「お父上のおでん様から文が!スキヤキ様のお見舞いに伺いたいと…!」

と答えるのだった。





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