×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




思いは届かない



初めてあの方を目にしたのは、おれがまだ九里の家臣団の一人としておでん様にその身を捧げていた時だった。
その名に相応しく、一片の曇りもない晴れの日のような笑顔を浮かべられるお方だと思った。そして何よりも、ワノ国に生きる民達を愛しておられるお人だとも。
それがこの数年間で一体何があったのか。おれがワノ国を出奔したおでん様を追い、主の意思を継ぐ為にと白ひげ海賊団に残る事を決めてから、期せずしてお会いする事が出来た時には、あの方は全てを失っておられた。
あの陽の光のような笑顔も。民達へと向ける優しげな表情も。濡羽色の絹のような長い髪も。全て──。
全身傷だらけで、色素が抜けた真っ白な髪の隙間から硝子玉のような赤い瞳がこちらをぼうっと見つめてくるあの方の姿を目にして、俺は身が切られる思いだった。

あの笑顔をもう一度取り戻して欲しい、と。
父親であるおでん様に向けていたあの満面の笑みを。民を思う優しさに溢れたあの方の気高い心を。どうか思い出して欲しい、と何度願った事か。

けれど、時が経つにつれ、あの方は何とか英気を養われていかれたが、俺が望んだ幸せな姿を再度見ることはなかった。
笑っている筈なのに、笑っておらず。
喜んでいる筈なのに、喜んでおらず。
楽しんでる筈なのに、楽しそうではない。
瞳の奥をどこか翳らせたその表情に、あの方の根本的な部分は壊れてしまったのだ、と察する事が出来た。

それでも、あの方が少しでも前を向いてくれているのなら、今度は俺があの方を守って差し上げたい。
ただ待っているだけで失ってしまった我が主君の代わりに、今度こそ失わぬように。
この命に代えても──。





これまで思っていた事を吐き出すように語られたイゾウの言葉を春夜はハッと鼻で嗤った。
食事番であった為に、厨房で千切るように芋の皮を剥いていた筈の彼女の手は既に止まっている。

「そんな事を私がお前に一度でも乞うたか?災厄一つ一つから身を呈して私を守ってくれ、と」

す、と春夜の冷ややかな双眸がイゾウを射抜く。
次の瞬間、イゾウの顔の横にズダン!と包丁が突き立てられた。見れば、先程春夜が使用していた包丁が背後の壁に刺さっていた。そのあまりの鋭さに髪の毛数本が切れて地面に落ちる。

「ふざけるなよ」

地の底を這うような声が春夜の口から漏れた。
どうやら自分は知らぬ間に彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。嫌な汗が背中を伝っていくのを感じた。

「お前が守る相手は下っ端船員であるこの私か?──違うだろ。この船の主はニューゲートだ。ならば守るべき相手は私ではない筈だ」

まるで自分には守る価値がないと言いたげな口振りに、それは違うと否定したかった。
だが、この船にあってイゾウと春夜の仲はただの同郷というだけだ。それ以上でも以下でもない。守り、守られるという主従関係が生じるのは全く以て可笑しな話だった。
的を射た指摘に、イゾウはぐっと歯噛みする。

「…話はそれだけか?」

問いに何も答えられずにいると、春夜は鼻を鳴らして壁に刺さった包丁を一瞥した。

「なら、それを研いでおいてくれ。切りづらいんだ」

言外に、話は終いだと告げられたのが分かって、イゾウは虚しくなる。結局彼女の心に自分の思いは届かなかったのだ。
イゾウは俯きながらも小さく「…はい」と返事をした。





[戻る]