剣抱く世界樹
その世界では、いつからか『黒斑病(こくはんびょう)』という病が流行っていました。
産まれてから数年経つと、どの生き物も例外無く身体に黒い斑点が現れます。
そして、いずれその斑点が染みのように身体を真っ黒に染め上げて死に至らしめるのです。
染みが広がるスピードは人によって違いましたが、遅かれ早かれ皆、死んで逝くのでした。
黒斑病は生きとし生けるもの全てに感染していきます。
いつしか、世界樹にも黒い染みがみられるようになっていきました。
世界中の人間は言いました。
「この病気は『原初の魔女』の呪いに違いない」
たくさんの人間が世界の何処かに居るという原初の魔女を探して旅をしました。
けれども、誰も原初の魔女に出逢うことはありませんでした。
皆が絶望して諦めた毎日を送る中、周りの反対を押しきり、一人の少年が原初の魔女を探す旅に出ました。
山を越え、谷を越え。
少年は黒斑病のひどい方へと進んでいきます。
その先に全ての元凶があるだろうと信じて。
辿り着いたのは、世界で一番大きな山の頂に聳える世界樹の麓。
短いようで長い旅の末、とうとう少年は世界樹の麓で自分と同じ様に黒い染みに侵された一人の少女と出逢ったのです。
「君は誰?」
「原初の魔女よ」
「それじゃあ、君が黒斑病の呪いを世界に振り撒いたの?」
「違うわ」
少女は後ろに聳える黒く染まった世界樹を振り返りました。
「黒斑病の始まりは世界樹。世界中の憎しみや悲しみが多すぎて、浄化することが限界となってしまった世界樹に出来た小さな黒い染みが全ての始まり。それが日毎に大きくなって、徐々に空気を汚し始め、世界中に広まってしまったの」
「じゃあ、どうしたら、世界を救えるの?」
「病をばら蒔く病原体を……世界樹を伐るしかないわ」
「そんなことをしたら、世界が滅びてしまう」
「けれど、いずれ世界樹は染みに侵されて朽ちてしまうわ」
世界樹は、もう半分以上、真っ黒でした。
「もう、私が病気の進行を遅らせることも限界なの。手遅れになる前にやるしか方法は無いわ。だけど私は魔女だから。世界樹を伐ることができないの。」
少年は、魔女を倒すためだけに背負ってきた剣を抜き放ちました。
お世辞にも立派とはいえない剣で、力任せに凪ぎ払いました。
小さな剣は、まるでチーズに突き刺さるかのように、大きな世界樹に突き刺さりました。
もう、世界樹はどうしようもないくらい中まで黒く腐っていたのでした。
傷口から飛び散った、黒いインクのような液体はみるみるうちに土に染み込んで辺りを黒くしていきます。
「このまま切り倒したら、辺りが死の土地になってしまう!」
「でも、もう引き返せないわ!」
魔女は少年を庇うように両手を広げて黒いインクを受け止めます。
白かった魔女の髪が、黒く黒く染まっていきます。
「早く、私が生きているうちに」
少年は剣を握り直し、渾身の力を込めて振りかぶりました。
世界が、震えました。
ずずん、と世界中に響く大きな音を立てて世界樹がズレました。
倒れ行く世界樹の麓、少年は真っ黒になった原初の魔女に駆け寄ろうとします。
けれど、魔女は首を振りました。
「来てはダメよ。黒い液体に触れるとそこから黒い染みが広がっていってしまうわ」
魔女の髪から垂れる黒いインクは、ほんの少し残っていた肌すらも、黒く染めていきました。
けれど、その顔に悲しみの表情はありませんでした。
「……病原体は滅びたけれど、まだ空気中に黒い粒子が漂ってる。収まるにはそこそこの年月が必要でしょうね。だけど……ようやく、終わったのね。」
もう、目も、鼻も、口も判らなかったけれど、魔女は確かに微笑みました。
「ありがとう。貴方のおかげで、世界は救われたのよ。本当に、ありがとう」
それだけ言うと、ぱしゃん、と魔女は溶けてしまいました。
後に残ったのは、黒い染みだけでした。
少年は、手にしていた剣を染みが出来た地面に突き立て、静かに手を合わせました。
次に地面を濡らしたのは、澄みきった透明な雫。
ゆっくりと立ち上がり、その場を後にした少年は気づきませんでした。
一粒の涙が落ちた死の土地から、一つの命が芽吹いたことを。
少年が人間の住む町へ帰ってみると、人間たちは大混乱に陥っていました。
誰も彼も、世界樹が斬り倒されて、この世界はもう終わりだと言うのです。
少年は必死で説明しました。
全ての元凶は病に侵された世界樹だったのだと。
黒斑病から世界を救うためには、世界樹を伐るしか無かったのだと。
原初の魔女は何も悪くなかったのだと。
むしろ、彼女は世界を救おうと一人頑張っていたのだと。
しかし、少年の言い分は聞き入れられませんでした。
「嘘をつくな! 現に黒斑病は消えていないじゃないか!」
「それは空気中に黒い粒子が漂っているせいで、収まるにはそこそこの年月が必要なんだ。嘘なんかじゃない!」
「騙されるものか、原初の魔女の手先め!」
世界を救ったはずの少年は、世界に終わりを呼んだ裏切り者として火炙りの刑に処され、若くしてその命を散らすことになりました。
けれど、彼は最後に小さく微笑んだのです。
あぁ、君の傍に逝ける。
世界樹が斬り倒されて、長い月日が経ちました。
人間たちはふと、気づき始めます。
「ねぇ、あの遠くの山に見える大きな樹は何かしら」
「まるで伝説にある世界樹みたい」
「……あら? そういえば、いつの頃からかしら。黒斑病を見掛けなくなったのは」
世界で一番大きな山の頂には、まだ先代の世界樹よりは小さいけれど、立派な樹が聳えています。
刀身が黒く染まった、お世辞にも立派とはいえない小さな剣を大事そうに抱きながら。