空を見上げた。見下ろすかのように私の真上にある月には、薄く白い雲がかかっている。その月の放つ光は白く幻想的で、でもなぜか少しの恐怖感。今日は満月だ。何もかも満ち足りた満月が私は羨ましい。
近藤さんの道場で彼に出会って、初めて親友ができたと思った。ぶっきらぼうだけど、本当は優しくて、強くて暖かくて。女で剣を握る私に対等に接してくれる、それがとても嬉しかった。もっと強く、もっとトシよりも強く。そう思いながら毎日競い合うように剣を振った。でもいつだったろうか、私はそれを止めた。総悟の姉のミツバさん、彼女はとても女らしかった。私と違った、何もかも。可愛らしい着物を着て、ふわりとした笑顔で微笑んで、そしてその笑顔はいつもトシを見ていた。モヤモヤと何かが心を渦巻く。綺麗になりたい、可愛くなりたい。私は次第にそっちにばかり気をかけるようになった。稽古の時間を削って、働いてお金を貯めて。そのお金で着物を買う。簪を買う。短かった髪も伸ばした。掃除も料理も洗濯だってやるようにした。私は次第に稽古に行かなくなった。トシに会わなくなった。
綺麗になったな、と最近よくいわれる。自分でもそう思うし、やっぱり嬉しいものだ。そういえばもう全然稽古に行ってなかったな。久しぶりにトシに合いたくて道場に向かうことにした。何て言ってくれるかな。綺麗になったって、可愛くなったって言ってくれるかな。心を踊らせ軽くスキップをしてみる。わくわくする。トシ、早く会いたい!
遅かった。何もかも遅かった。手遅れだった。私はその日髪を切った。小刀で、切りそろえるわけでもなく切り落とす。着物も全て燃やした。さようなら、私の宝物たち。だってもう、いらなくなったから。必要ないから。だって、トシの女にはもうなれないから。
道場の庭にトシとミツバさんがいた。私は生け垣の間からじっと見つめたけど、多分あれは本物。遅かった。トシは笑ってた私に一回も見せたことのない笑顔で。ああ、2人は好き合ってるんだ。わかった瞬間涙が止まらなくて、近くの公園でわんわん泣いた。悔しい、悔しい、悔しい。もっと近くにいたら。もっと一緒にいたら。きっとトシは私のことを好きになってくれていた筈なのに。
日が暮れるまで泣いていた。空にはもう月がある。涙で霞んでよく見えない。満月、かな。どうでもいい。月明かりに照らされて、私の1つ、影法師。しかし、そこにもう2つの影が並んだ。だれ、
「何やってんだ」
「…!トシ」
「悪ィな、先帰ってろ」
「わかりました」
その2つの影は、トシとミツバさんだった。
「ちょっと、気にしないで」
「うるせーな」
「それじゃあ十四郎さん、お休みなさい」
「トシ!」
泣いてる私を見て気を使っているの?惨め。負けた女にまで気を使われて何なの私。有り得ない。むかつく。トシも、ミツバさんも。
「何してんだ、こんな時間に」
「……」
トシは私の隣に座った。トシの隣。久しぶりの感覚だ。すごくふわふわして、幸せな気分。泣いているのに、もう叶わないのに、こんなに隣にいることが嬉しいなんて。
「何で道場に来ないんだ」
「……」
「小綺麗な格好しやがって。何かあったんなら言え。そう約束しただろ」
約束、そんなこともあったっけ。お互い悩みができたら相談する。必ず助ける、そう約束したのはいつのこと。だとしても、その悩みは一生解決されることではないしトシになんか話せるわけがない。
それでも、言わずにはいられなかった。もういっぱいいっぱいで。
「…綺麗になったって、言われたかった。可愛いって、言ってほしくて…!」
「誰に」
私は、トシを見た。
「トシは、どう思う?」
「似合わねエ」
さようなら、私の恋心。さようなら、愛しいトシ。ありがとう、その気持ちを込めてトシにキスをした。ばいばい。
091118