#5
広い。広すぎる。なんというかもうそれしか考えられなかった。はい、善法寺部長。こんな短時間で何階のどこになんの部屋があるとか覚えられるわけもないと思います。
これは迷子になるレベルかと。
…社内で迷子。
恥ずかしすぎて死にたい。
そんなことをもんもんと心の中で考えていたら部長が「案内はただの慣例としてやってるだけだから今日だけで覚えようとしなくていいからね」と苦笑したのでほっとした。ああ、本当に良かった。
主要な会議室や応接室など一通りまわってやっと企画部の近くまで戻ってこれたと思ったらもうお昼休みの時間。午前中は会社の中をひたすらぐるぐるしていたから少し疲れてしまった。
「あの、部長」
「ん?」
「お昼の時間はどこに行ってもいいんですか?」
「ああ、時間さえ守れれば基本的にどこで食べても……あ、」
「?」
部長が私から私の後方へ視線を移して、ため息をはいた。何かあったのかと私もそちらを振り向けば、笹山さんと…えっと……そう、加藤さんが何やら話しているのが見えた。
「またあいつは…」
呆れ声で呟いた部長に首を傾げると、彼は私の視線に気づいて少し迷ったあと説明してくれた。
「うん、まあ…笹山ってさ、モテるんだよ。そりゃあもうものすごく。で、笹山も中途半端に優しくするから女の子たちはみんな期待しちゃってね。勝手にお弁当なんか作ってきたり」
「でも、それって嬉しいことなんじゃ」
「それがそうでもないんだって。本人は迷惑だと思ってるらしいけど、だったらはっきりそう言っちゃえばいいのにね」
そう言って部長は悲しそうな目で笹山さんを見る。私もつられて視線を向ければ、加藤さんとの話が終わったのか笹山さんがお弁当を持ってこちらに近づいてくる。なんだ、ちゃんと食べるん…って、ええ!?ごみ箱の前で止まった、え、え?
「また捨てるのか、もったいない」
部長の声が聞こえた瞬間、私は笹山さんに向かって歩き出していた。う、必要最低限関わらないようにしようと決めたばかりなのに。私の決意は早々に散ってしまった。
でも、これだけは言いたい。そうしたらもう近づかない。うん、それでいい。
「だめ、です」
今にもかわいらしい巾着袋から手を離してしまいそうだったから、私はぎゅっと笹山さんのYシャツの裾をつかんだ。そのまま笹山さんを見上げれば彼は驚いた顔をしたけれど、それも一瞬のことですぐに笑顔、になった。
「ああ、ツアーとやらは終わったんだね。お帰り」
「ごまかさないで、ください」
「誤魔化す?」
「そのお弁当、捨てるつもりだったんでしょう?」
「…ああ、コレね」
笹山さんは本当に少しの興味もなさそうに再び自分の腕に戻ってきた巾着に視線を落とした。
「事情はしらない、ですが、そのお弁当は笹山さんのためにきっとたくさん心をこめて作ったもの、ですから」
「だから?」
「…っ、だから、その心まで捨ててしまったらだめです」
「ふーん。で、僕に食べろって?」
自分から近づいたことに今さら後悔してきた。だって話してるだけなのに追いつめられているような感覚。
それきり言葉が出てこなくてこくんとひとつ頷くので精いっぱいだった。
「んー、そうだな」
私とは正反対に笑顔、の笹山さんは、顎に手を当ててしばらく考えたかと思うと、にこにこと私を見下ろしながらとんでもないことを言い放ったのです。
「明日から名前が弁当作ってきてくれるなら、コレ食べてもいいけど」
…なぜそうなるんですかっ!
私がそれを断ったら、お弁当は捨てられてしまうことになる。
最初から、私の答えはひとつしか用意されていなかった。
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