#9




ずっと、ずっと、お前だけを見てた。

いや、見てたわけじゃない。僕たちが共にあったのはあの一瞬だけだったから、ずっとお前だけを想っていた…というのが正しい表現なんだろう。


"泣いてるの?"


あの日のお前が僕に言う。
僕が顔を上げると、幼い少女の悲しげな顔が見えた。
僕が泣く筈なんかない。実際、頬に手を当てても涙は流れてはいなかった。

それでもお前は言う。


"悲しいの?さみしいの?"


小さな小さなその手で、優しく僕の頬を撫でる。
そういった類のぬくもりが僕にはひどく懐かしくて、思わずその手を握った。
本当に小さい手だった。
でも、暖かかった。



再びお前に触れられる時が来ることを、あれから何度諦め、そして夢に見ただろう。

お前は僕にとって唯一無二の存在なんだよ。


たとえお前が、僕を覚えていなくとも。








「…うっわ、久々に夢見た」
「…ん?ああ、もう朝か!」
「うるさい団蔵」
「あー頭痛ぇ…」
「お前が昨夜勝手に押し掛けてきて勝手に酒飲んで勝手に寝ただけだろ」
「はは、手厳しいな」


誤解してもらいたくないから言うけど、別に僕と団蔵は同居してるわけじゃない。それじゃなんで団蔵がいるのかって?知らないよ。団蔵に聞いて。僕は呼んだ覚えはないし。


「酒飲みながら色々語ろうと思ったのにさ、兵太夫寝ちゃうんだもん」
「だもんじゃねーよ、気色悪い」


どうやら何か話があって来たらしい。
今は朝の6時半。
…あぁ、面倒くさいな。

「まだ出社まで時間あるから何かあるなら聞くけど何もないなら早く出ていけ」

ぶっきらぼうにそういうと、こめかみを懸命に叩いていた団蔵が一瞬きょとんとしたあと、ニカッと笑った。


「なあ、「名前」って苗字のこと?」
「………は?」
「いや、話したかったこととは別だけど案外別じゃなかったというか…ま、難しいことは置いといて。なんか寝言で言ってたからさ」



…最悪。
寝言聞かれただけならまだしもアイツの名前を聞かれたなら言い逃れできそうにない。

それでも黙ったままでいると、団蔵はやはりニカッと笑った。

「じゃあ昨夜聞くはずだった方の話な。「大切なヤツ」って、苗字のことだろ?」


今度は疑問形とはいっても形ばかりで、確信に満ちた言い回しだった。



「…なんで?」
「…なんとなく?」


こいつの勘は本当に当たる。それは周囲も認めているし自覚もしてやがる。

つまり、これは質問ではなく確認だった。




「………ああ、そうだよ」


今年の初め、酒に酔った勢いで団蔵にポロっと溢したことがある。


「大切なヤツがいる。そいつ以外は僕の大切になり得ない」


そう、そいつが僕にとっての唯一無二だった。


名前。


新入社員リストを見せてもらったとき、手が震えた。もちろん同姓同名の別人である可能性もあったが、何故かこれは彼女だと、確信する自分がいた。



そして僕たちは再会した。

でも向こうは僕を覚えていなかった。


それでも、会えた喜びが強かった。
平常心を保つことがこんなに難しかったのは生まれて初めてで。


「やっぱりそうかー。水くさいな、教えてくれても良かったのに」
「なんでお前に教えなきゃならないんだよ」
「俺たち親友だろ?」
「誰が」


素っ気なく返しても団蔵は嬉しそうにしてるから、バレてしまったことはもういいやと思うことにした。




「ああそうだ、団蔵、名前に近づいたら殺すから」
「兵ちゃんこわーい」
「うざい」



それでもにやにやしてる団蔵を背に、僕はスーツに袖を通した。





 



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