あーあ、今日は本当にツイてない。
朝の星座占いが12位…つまりビリだったことに始まり。
歩行者信号がことごとく赤で学校には遅刻し。
何故か全ての授業で当てられ。
やっとお昼休みになったと思えばお弁当忘れたのに気づいて、購買に走ったにも関わらずパンは売り切れていて。
とぼとぼと教室に戻る途中で担任に呼び止められて「ちょうど良かった、この化学ノートをクラスの皆さんに返しておいてはくれませんか」ときたもんだ。
そして空腹のまま午後の授業をなんとか乗り切り、やっと帰れると思えばこの有様、である。
「雨が降りますとか言ってなかったじゃんお天気お姉さんのうそつきぃー…」
たしかにさっきまで快晴だったはずなのに、昇降口で靴を履き替えていたら空が急に暗くなって。
突然降ってきたとは思えないほどの勢いで、地面を叩きつけるように…バケツをひっくり返したような…あー、えっと、つまりものすごく雨が降り始めたって言いたかったの。
「ちょっと、本当になんなの今日は。よりによって帰る直前に降らなくてもいいのに…」
う、さすがにこれは泣きたい気分だ。
いつもは入ってるはずのピンクの折りたたみ傘は、今は私の部屋でお留守番である。今日は荷物が多くて鞄に入らないとかで置いて来た。つくづくツイて無さ過ぎるんじゃないのかなぁ。
これが通り雨で、ちょっと待ってればすぐに止む、とかなら良いんだけど。
今日はそのちょっと待つ、ということが躊躇(ためら)われた。毎週見続けているドラマの最終回が、夕方の5時から始まってしまう。
どうしても。どうしても見たいのに!
携帯で時間を確認すると、4時20分。
家まで徒歩25分くらいだから、今すぐ学校を出ればギリギリ間に合う。
「どうしよ…濡れて帰る?っていうかそれしかないよね…、うん。あぁ、でも勇気が…」
制服濡れたら乾かすのが大変だとか、いやでも最終回を見逃すよりは…とか。
まだ往生際悪くぶつぶつと呟いていたら、すぐ真後ろから少し低い声が聞こえた。
「…雨か」
その声になんとなく聞き覚えがあった気がしてぱっと振り向くと、空を見上げる男子生徒がいた。
この人は確か、そう。
設楽先輩。
先輩とは一度だけ話をしたことがある。まぁ話っていうレベルじゃないかもしれないけど。
少し前に、委員会があって遅くなった日があって。
早く帰りたかった私は、いつもは通らない廊下を通って昇降口を目指していた。
そしてその時に、たまたま通りかかった教室から聞こえたピアノの音が、すごくきれいで。つい出来ごころで、少しだけそのドアを開けて中を覗いてしまったんだ。
そしたら言わずもがな、その音を奏でていたのはこちらにいらっしゃる設楽先輩だった。
音も綺麗だったけど、ピアノを弾いている設楽先輩もすごくきれいで、思わずぽけーっと見惚れてしまったんだけど、それに気付いていた設楽先輩は一曲弾き終わると私の方に近づいてきて、「気が散るからどっかいけ」的なことを言った。
それで初めて私は自分が何をしていたのかに気付いて、もう恥ずかしさのあまりその場から逃げだした。
たしか「すすすみませんでもすごくきれいでしたぁぁ!」とか叫びながら。
それがすごく印象に残ってて、たった一言しか聞いてなかったとしても、彼の声を覚えてたんだと思う。
とまぁ、回想はこんなところで終わり。
それにしてもこんな偶然あるんだなぁ。
設楽先輩はたぶんこの時間はまだあの教室でピアノの練習をしてるはずだと思うんだけど。なにか早く帰らなきゃいけない用事でもあるのかなぁ?
…ハッ、まさか先輩もドラマを…!?
とにかく、設楽先輩が鞄からシックな色合いの折りたたみ傘を出すところを見て、なぜか「ま、負けた気がする女の子として…」って思ったのは内緒。
それよりも、私はこの先どうすればいいのか。
雨に濡れるけどドラマには間にあう、雨に濡れないけどドラマには間にあわない。
うううぅ、こんな究極な選択を迫られるとは思わなかった。
相変わらず空は号泣状態。私の方が泣きたいのに。
「…帰らないのか」
すると、雨の音に紛れてかすかに声が聞こえた。
振り向くと、やっぱりそこに居たのは設楽先輩だった。
っていうか、まだいたんですか…!びっくりした。
「あ、そうですね、帰りたいんですけど…傘がなくてどうしようか迷ってたんです」
「…へぇ。じゃ」
こんなときに
「僕の傘を使いなよ。え?僕?ああ大丈夫さ、家がすぐそこなんだ。あはは、いいから使って。それじゃ!」
みたいな感じでタイミング良く現れるヒーローは漫画の世界だけだってわかってる。
その上、全然関わりのないただの後輩に傘を貸す理由もない。
だからその返事を疑問には思わなかった。
はい、さようなら!って頭を下げて、また顎に手を当てて考える。
うぅ、やっぱり最終回見なきゃ今まで見続けてきた意味がなくなるよね。
「…おい」
「へ?あ、なんですか?」
「いいのか」
「?」
「本当に帰るぞ、いいのか」
「あの、え?」
さっき見送ったはずの設楽先輩がそこにいた。
これは一体どういうことなの。
「設楽先輩?」
「…ら…ぃけ」
「へ?」
「…送るから乗っていけ」
え、えぇ!?
なにがどうなってこの状況!?
確かに送って頂けたら雨には濡れないしドラマには間にあうしで嬉しいんだけど。
「…いいん、ですか?」
「悪かったらそもそもこんなこと言わないだろ。馬鹿か?」
「…うっ、すみません。じゃ、じゃあお願いしてもいいですか?」
「…来い」
そう言って踵を返そうとした設楽先輩は、私が傘を持っていないことを思い出したのか少し面倒そうに舌打ちした後、私の手を引いて先輩の傘の中に入れてくれた。
わぁ、これって噂の相合傘ってやつ!?
「なんだかすみません、先輩」
「別に、ついでだ」
実は先輩は根が優しいからなのか、それともただの気まぐれなのか分からないけど、送って頂ける事に恐縮してしまう。
折りたたみ傘って普通の傘よりサイズが小さいハズなのに、私全然濡れないし。
見た目より大きく作られてるのかな。高級っぽそうだし。
そんなことをぼーっと考えているうちに、校門に横付けされた黒塗りの車が見えて、運転手のおじさんがにこやかに出迎えてくれた。
「どうぞ」
高級車なんか乗ったことないから、びくびくしながらもお願いしますと声をかけて車に乗り込む。
その隣に乗り込んできた設楽先輩に家の住所を聞かれて答えると、先輩は運転手さんに行き先を告げた。
静かに車が動き出す。
徒歩25分くらいなら、車だったら10分もあれば着くだろう。
その間なにか喋った方がいいのか悩んでいると、意外にも先輩の方から話しかけてきた。
「お前、少し前に俺のピアノ聴いてた奴だろう」
「…あっ、はい。覚えてたんですね。あの時は盗み聴きみたいな真似してすみませんでした」
「いや、別に」
素っ気なく返事をした先輩は、それきり窓の外を見るように顔を背けてしまった。
せっかくだし話を続けた方がいいよね。
「先輩のピアノを弾く姿がすごく綺麗で、でも音色はそれ以上に綺麗で優しくて。思わず足を止めちゃったんです。ちょっとだけならいいかな、ばれないかなって思ってついドアを開けちゃったんですけど」
そんなにバレバレでしたかね、と笑うと、驚いたように目を丸くした先輩がこっちを振り向いた。
なにか驚かせるようなことを言ったかな?と疑問に思いながらも、そのまま話し続ける。
「んー、私はピアノを習ったこともないし、クラシックに詳しいわけでもないんですけど。先輩が弾いてるのを聴いて、ちょっと興味が沸いたというか。先輩が練習してる音色は教室に居ても、かすかに聴こえてはいるんですけど、また近くで聴きたいなって思ったんです。だから、クラシックのCDとか借りてきて家で聴いてみたんですけど、いまいちパッと来なくて。やっぱり私は設楽先輩が弾いてるピアノが好きみたいなんですよね」
へらへら笑いながら話していると、車がゆっくりと停止した。
「到着致しました」
窓の外を見れば、我が家の目の前。
「わぁ、ありがとうございます。助かりました!」
さぁこれでドラマを見られるとウキウキ気分で車を降りようとすると、パシッと右腕を掴まれた。
誰に?
…設楽先輩に。
「…え、あれ、先輩…?」
掴まれた腕と先輩の顔を交互に見ながら困惑していると、今まで一度も見たことのないような優しい顔で、先輩が笑った。
「…いつでも音楽室に来い。お前になら、特別に聴かせてやってもいい」
そう言って私の腕を離した先輩は、じゃあなと笑って去って行ってしまった。
あれ、なんでこんなにどきどきしてるんだろ、わたし。
先輩に掴まれた腕にかすかに残るぬくもりを感じて、顔が熱くなった。
そして、ふと思い出す。
私の腕を掴んだ先輩の右肩は、そで口まで制服の色が変わっていた。
もしかして、傘の中に入れてくれたあの時、私が濡れないようにこちら側に傾けていてくれていたのかな。
気まぐれなんかじゃない。
先輩は、優しい人。
「…ずるいです、先輩」
きっとほとんどの人が見たことのないような笑顔と、優しさを残して帰って行った先輩。
ぽそっと呟いた私の声は、土砂降りの雨に溶けて消えていった。
そのまま玄関で車が消え去った方向をぼんやり眺めていたら、軽く1時間くらい経っていたみたいで、ドラマを見逃してしまった。
でも、あんなに見たがっていたはずのドラマも、なにもかも、どうでもよくなってしまったの。
明日の放課後、音楽室に行ってみようかな。
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ツンデレだけど基本紳士な聖ちゃん
昇降口で困ってるヒロインが音楽室から見えて、練習無しにして急いで階段を下りてヒロインの元へ向かう聖ちゃんを想像したら萌え禿げた
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