…あ、三郎。
雑音が入り混じる放課後の校庭を制服で横切るのは、帰宅部か、もう部活を引退した三年生のどちらか。
二年生の三郎は、もちろん前者だ。
その校庭が良く見渡せる、南校舎の四階―――吹奏楽部の部室。
私は今、そこにいる。
部活が始まる時間になるまで、決まって窓際に座りぼんやりと外を眺めるのが癖になっていた。
今日も今日とて、相も変わらず校庭を眺めていれば、ふと視界に入る明るい茶髪。
校則が厳しいことで有名なこの高校で、堂々と髪を染めている男。
それが、鉢屋三郎だった。
その正体は遊び人のくせして学年トップの頭脳を持つ天才。
あと、ついでに私の幼なじみだ。
幼なじみとは言っても、今ではもう言葉を交わすことはない浅い関係。
昔は…、小さな頃は、家が隣同士だったこともあり良く一緒に遊んだ。
私は三郎が好きで、三郎も私が好きで、その「好き」がどういう好きなのかは幼心には
わからなかったけれど、とにかくあの頃はお互いがお互いを好きだったのだ。
じゃあ、どうしてこうなった?
もちろん、悪いのは、私。
天才の三郎とは違う、凡人の私。
顔も成績も平々凡々な私は、良く三郎と比べられた。ほら、三郎って頭や運動神経だけじゃなくて、顔まで良いから。
ほんと、不公平すぎて嫌になっちゃうよね。
今でこそ、こうやって笑うことができる。
けど、幼かった私にはそれが辛くて、悲しくて、いつしか私は三郎と距離を置くようになった。
家は隣なのに、顔を合わせないように必死だった。
今まで一緒だった登下校も、一緒に行かなくなった。
そんなあからさまな私の態度に、聡い三郎が気づかないはずはない。
『なんで最近、俺のこと避けてんの』
『…べつに、三郎には関係…っ』
『ない、わけないだろ?なに、俺お前になんかした?』
三郎は何も悪くないの。
私が、何の取り柄もない私が悪い。
何もかも三郎に釣り合わない、私が悪いんだ。
心の中では、そう思っていたのに。
『…三郎のことが、嫌いになったからだよ』
咄嗟に口にした言葉は、全く逆の意味を持っていた。
絶対に言ってはいけないことを、私は言ってしまった。
あの日から、この妙な関係が続いてる。
少し開いた窓から秋風が入ってきて、私の髪をふわりと撫でる。
そういえば、昔は三郎も良く私の頭を撫でていたなぁと思い返すと、心臓がギュウと掴まれたように痛くなって、思わず目を細めた。
あれから、三郎は変わってしまった。
毎日違う女の子を連れていたり、校則を堂々と破ったり。なんていうか、そう、荒れてしまった。
そうしたらますます近寄りがたくなっしまって、今じゃ廊下ですれ違っても目も合わせない。
それは、私が三郎とすれ違う時はいつも下を向いてるから、なんだけど。
そんな、昔から割と最近までの思い出に浸っていると、校門を今にも出ようとする三郎と目が合った気がした。
っていうか、え?
こっち見てる?
ななななに、なんで?
まさかずっと見てたのがバレた、とか!?
思わず立ちあがって後ろに一歩後ずさると、背中にトンと何かが当たった気がした。
しかしそれよりも気になったのは、窓の外の光景。
目線の先では女の子が三郎に駆け寄っていた。
…おぉ、あの子は初めて見る子だ。
じゃあ三郎はあの子に呼び止められて振り向いたのか。
「なんだ、そっか」
思わず出た言葉が、どこか残念そうに聞こえて、ハッとする。
わたしは今さら何を期待しているというんだろうか。
彼から離れたのは、紛れもなく、この私なのに。
「…ふ、バカみたい」
「なにが?」
私は独り言を呟いたつもりだった。
だから、それにまさか返事があるとは思わなくて肩を揺らす。
そして突然窓にカーテンが引かれ、視界を遮られた。
パッと後ろを振り返って見れば、そこに居たのはにっこりと笑う吹奏楽部の部長。
「どうしたの?なまえ」
「ぶ、部長……あれ?みんなは」
「今日は部活なしって連絡を回したんだけど、知らないでここに来ちゃう子がいるかなーと思って。ま、なまえのことなんだけどね」
うぅ、何も言い返せない。
私のクラスには吹奏楽部の子がいないから、私だけ連絡が回るのも遅くて。
だから実は、こんなこと初めてじゃない。それに、部活があってもなくても、どっちにしろ放課後は毎日ここに来てぼーっとしているのだから、私には部活の有無なんて大して重要なことではないのだけれど。
「いつもご足労頂いて申し訳ないです。あ、ここのカギは私が責任を持って返すので、…?」
うん?
なんか。
部長の顔が、
さっきより近くなって…
「…ストップ!ストップです部長」
「なんだい、良いところなのに」
「いやいや、なんでこんな近いんですか」
「え?キスしようと思ったからだけど」
「キ、キキキスですか!へぇ、それは何でまた」
「何でって…おかしいな、もう気付いてると思ってたんだけどなぁ」
「はぁ、私には何が何だか」
これは何かのドッキリなのだろうか。
それとも部長は何かの勝負に負けて、罰ゲームで私に…その、して来いとか言われたんだろうか。
だって、それ以外で部長が私にキ、キキ、キスを、する理由、なんて。
「僕はなまえが好きだよ」
そう、好き……、好き?
「……へ」
「あれ、結構わかりやすかったと思うんだけどな。気付かなかった?」
ふるふると顔をめいっぱい横に振って否定する。
そんな、ちっとも気付かなかったです部長。
「ま、無理もないか。なまえはアイツしか見てなかったしね、…僕の方が近くにいるっていうのにさぁ」
「ア、アイツ…?」
「そう。鉢屋。鉢屋三郎」
その名前を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
「悔しいよね、僕の方が絶対なまえのこと好きなのに。ねぇ、何で僕のこと見てくれないの?そんなにアイツのこと、好き?」
好き…?
私が、三郎を?
突然のことに頭が混乱していると、トンと肩を押された。
よたよたと後ろにたたらを踏むと、背中に当たったのは、カーテンが引かれた窓。
いつもは楽器の音が溢れるこの場所も今日はしんと静まり返っていて、窓の隙間から聞こえる野球部の威勢のいい声がなんとも新鮮だった。
「私が、三郎を?」
「…うん」
顔
の両側に手を突かれる。
もう、逃げられない。
「…なまえ、僕と付き合ってみなよ」
「え?」
「ねぇ、本当に好きなんだ」
「あ、あの…」
やめてください、と突き出した両手を、絡めとられる。
「なまえ」
「ちょ、っと……やぁっ!」
急にぐっと近づく部長の顔。それが何故か心底いやで、ばっと顔を背けた。
―――バン…っ!
それと同時に、部室のドアがまるで蹴破られでもしたかと思うほどの音を立てて、突然開かれた。
そこに、立っていたのは。
「…さぶ、ろう?」
何故か、息を切らした、三郎だった。
「はぁ、…っはぁ、離せよ、コラ」
「鉢屋三郎…。君、帰ったんじゃ」
「お前もボサッとつっ立ってんな、行くぞ!」
「…え、あ、え」
部長の腕を振り払い、私の腕を取って三郎は歩き出す。
私は色んなことがいっぺんに起こりすぎてもう何がなんだか分からず、ただ腕を引っ張られるまま、三郎の背中を見つめながら懸命に足を動かしていた。
「三郎…、待って、三郎」
「…」
どうやら三郎は屋上に向かっているらしい。
幾度か階段を上り、やっと最上階の踊り場にたどり着くと、三郎は立ち入り禁止のドアを何の躊躇もなく開けた。
途端に、サァっという風を頬に感じ、視界が広がる。
初めての屋上にキョロキョロと視線をさまよわせていると、ふと繋がれていた手が離れた。
「なんで逃げないんだよ、お前は」
「え、えぇ?そう、言われても」
「そう言われても〜じゃなくて、男に迫られたら股間蹴ってすぐさま逃げろっていつも言って聞かせてたじゃねぇか!」
「だ、だって、そんなことやっぱりできな………あ」
「?」
えっと…いま私、普通に三郎と話してた、よね。
何年も話してなかったのが、嘘みたいに。
三郎もそれに気づいたのか、気まずそうに頭を掻いている。
「あー、その、なんだ。もし迷惑だったんなら謝る」
「…っそんなこと、ないよ。本当に、嫌だった、から」
だんだん下がっていく視線。
三郎が私を見てるのがわかるからこそ、顔を上げられなかった。
「なまえ、顔上げろ」
「無、理」
「なんで」
「無理だ、から」
「面倒くさいヤツだな」
「ちょ、やだ…っ」
「……なんで泣いてんだよ」
「わ、わかんない…っ」
三郎の声を近くで聞くのがすごく久しぶりで、なんかわからないけど涙が出た。
止めようと思っても後から後から流れてくる。
「ごめ…、なんでもないっ、から」
気にしないで。
そう言おうとしたら、からだがふわりと包まれた。
顔に押し当てられたのが胸だと分かって、初めて三郎に抱き締められていることに気づく。
「さぶろ、」
「今さら何を気にしてんだか知らねぇけど、俺はガキの頃からずっとなまえが好きだったよ」
「…っ」
優しい声でそう言った三郎は、私の涙を止めようと背中をポンポンと叩く。
それが逆効果だってことも知らずに。
「だからお前が勝手に勘違いして離れてった時はムカついた。話をしようとしても避けられるし。――けどな、俺のことが嫌いって言ったのが嘘ってことも、あの部室から毎日俺を眺めてたことも、全部知ってるんだよ。バーカ」
「……うそ、」
「お前の代わりにって、色んな女と付き合ったりしたけど、全部駄目。やっぱ俺は何もかもが平凡なお前しか好きになれねぇみたいなんだよな」
あぁ、もう、だめだ。
身体中の水分がぜんぶ涙になって出てるんじゃないかというほど、ぼろぼろ流れて止まらない。
「わ、たし…っ、ごめ、なさ…」
「ん、わかったなら宜しい。で?まだお前から返事もらってないんだけど?」
自信満々にククッと笑った三郎は、あの頃のままで。
やっぱり私はあの頃から、ずっと。
「私も、ずっと前から、三郎が好き…っ」
私が嗚咽交じりにそう呟くと、三郎はちょっと笑って「それも知ってた」って。
それを聞いたとたんに、ちょっと涙が引っ込んだ。
だって、えっ、なんか、結局は、私が勝手に一人で勘違いして突っ走ってただけ、ってこと?
「うぅ…もうやだ穴があったら入りたい」
「はっはっは」
「あ」
「ん?」
「部長…どうしよう」
「あいつか。むしろ俺はあいつを穴に埋めたいけどな」
「三郎ならやりそうで怖い…」
「当たり前だろ?」
次の瞬間、三郎の顔が近づいてくると思った時には唇に暖かいものが押し付けられていた。
すぐに離れたそれは、キスとも呼べないようなものかもしれないけど、にんまりと笑った三郎に見つめられて顔が熱くなる。
「なまえにこういうことしようとしてたんだろ?」
「…ぅ、ぁ」
「はっ、顔真っ赤」
「う、うううるさいな!」
初めてのキスは、涙のせいか少ししょっぱかったけれど。
好きな人とのキスは、本当に幸せなものなんだなって思いました。
「ねぇねぇ、これから護身術とか習った方がいいのかなぁ」
「なんで」
「いや、なんか三郎の元彼女さん達にいつか刺されそうで」
「その時は俺が守ってやるよ」
「えっ刺されるってこと自体は否定しないんだ!?」
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無駄に長かった…
あと最後詰め込みすぎですみません(スライディング土下座)
もっと色々書きたかった場面とかあるんだけど、短編のくせに長ったらしいのはどうなのよってことであえなくボツに
あ、あとヤンデレ気味の部長が出張りすぎてて笑った
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