いつも通りの、日常。
それをあっさりと打ち破られたのは、ある土曜日の昼下がりだった。
「…雅樹?その人、誰?」
「…なまえ!?お前、なんでここに」
「なんでって、こっちが聞きたい。今日はレポートを書かなきゃだから会えないんじゃなかったの?」
いわゆる『修羅場』というものを、今わたしは体験しているらしい。
昨日までわたしの隣で笑っていたはずの男が、何故か今日は知らない女の人と腕を組んで街を歩いていた。
「雅くーん、この子誰ー?」
いやいや、貴女こそどちら様でしょうか。
雅くんとか呼んじゃって、まぁ。
わたしを睨むように見据えてから、雅樹に甘えた声で聞く女。
雅樹はこの状況をどうやって乗り切ろうか必死に考えてるんだろう、顔を真っ青にしながらわたしと女を見比べている。
誰がどう見ても、わたしは彼氏の浮気現場に遭遇した彼女。
…まぁ、本命の女はどっちなのか分からないけどさ。
「…雅樹、説明、して?」
一体いつから浮気されてたんだろう。全然気付かなかった。
付き合い始めて2年になるし、わたしなりに雅樹とはうまくいっていると思ってた。
だからこそ、ショックも大きかった。
泣きたい気持ちをどうにか堪えて、じっと雅樹を見つめる。
その視線を受けて、雅樹は首の後ろを押さえながら面倒そうに溜息を吐いた。
「…はぁ〜、もう俺ら別れね?ぶっちゃけ俺もうお前に飽きてるんだよね」
「……え?」
「体の相性っていうの?それもあんま良くないみたいだし。お前色気ないし。ずっと我慢してたけど、良い機会だしこれで終わりにしようぜ」
雅樹の言ってる意味が、良く分からなかった。
相性?色気?
なにそれ。
茫然と立つわたしをクスクスと笑う女。
冷たい視線を寄こす、昨日まで彼氏だった男。
こんな人通りの多い往来で、堂々と浮気相手に男を奪われたわたし。
泣きたくない。
こんな人たちの為に泣きたくないのに。
あ、だめ。やだ。
視界が潤み始めた、その時だった。
「ふぅん。それではこの子は私が貰おうかな」
甘く響いたテノールに囁かれて。
ぐいっと腕をうしろに引かれて、伸びてきた腕に抱きしめられたのは。
ふわっと男物の甘いコロンの匂いに気付いたと思ったら、既に誰かの胸の中。
何が何だか分からずに、目の前の二人を見れば目を丸くしたままぽかんとしている。
慌てて振り返ってみると、そこには。
漆黒の髪、白い肌。
涼しげな切れ長の瞳に、薄く形の良い唇をにやりと上げて。
スーツを着た美人な男の人が、私を見て笑っていた。
「…あ、あの、どちらさまで」
「そんなことは後回しだ。それよりお前の彼氏だったという男はソレか?」
私を抱きしめたまま顎でクイっと指し示すと、雅樹はビクッと身体を震えさせた。
雅樹よりも身長が高いその人は、まるで刺すような視線を送っていた。
「え、と、…はい」
素直にこくん、と頷くと、彼は雅樹を吟味するかのように見てからフッと笑う。
その顔がすごく素敵で思わずドキドキしていると、その穏やかな顔とはミスマッチな台詞が聞こえた。
「なんだ。良かったじゃないか、こんな下衆男と別れられて。お前の魅力を引き出せないようなつまらない男に、いつまでも付き合う義理はないだろう?」
ど、毒舌…!
この人さわやかな顔して毒吐いてる…!
そのギャップに雅樹も困惑したみたいだけど、馬鹿にされたってことだけは分かったみたいで顔を真っ赤にしていた。
「…いい気になるなよ、外野が。なまえは誰と付き合ったって色気なんか出ねェよ。不感症なんだよ、そいつ!」
それに今度は私が顔を赤くする番だった。
確かに、雅樹とキスするときもエッチするときも、ただ我慢するって感じで、友達が言ってるように気持ちいいとか感じたことはない。
やっぱり私が不感症だから、雅樹はつまらないと思っていたのだろうか。
なんだか顔を見られたくなくて俯くと、グイッと顎を掴まれて上を向かされた。
「…へぇ、お前って不感症なのか?」
「わかりませんけど、たぶんそうなんだと思います」
「じゃあ試してみようか」
「え?……んんっ!」
フッと目を細めて笑ったと思ったら、その顔が突然近づいてきて、唇に何か柔らかい物が当たったのが分かった。
驚いて唇を少しだけ開けると、その隙間から舌を差しこまれて、どんどん深いものになる。逃げても、追いかけられて、捕まって、絡められて。
背中がぞくぞくした。
「…んぅ、…ふぁ……ぁ…んっ!!」
もう酸素が足りなくて限界ってところでタイミング良く唇が離れていって、わたしは思いっきり息を吸い込んだ。
顔は熱いし、なんでか涙が出てるし。
身体がふわふわ?してるし、頭がぼーっとする。
懸命に荒くなった息を整えていると、驚きの表情で私を見る雅樹が視界に入った。
「良かったな、なまえ。不感症じゃなくて」
さらりと頭を撫でられて、ハッと我に返る。
「あ、あなた、ななな何を」
「証明してやっただけだ。こいつのキスが如何に下手だったかってことをな」
言われた雅樹は、今度は怒りではなく羞恥で顔を赤くしていた。
「感じてるなまえの顔は可愛いだろう?もうお前は二度と見られないがな。せいぜい後悔してろ。…行くぞ」
私の頬を撫でながら何やら雅樹に吐き捨てるように呟くと、彼は私の腕を引いて足早に歩きだした。振りかえると、頬を染めて彼を見る女の人と、悔しそうに顔を歪めた雅樹の姿があった。
手を引かれるまま小走りで付いていくと、突然ビルとビルの間に引きこまれて、今度は正面から抱きしめられた。ふんわりと香る香水が大人って感じですごく落ち着く。
おとなしく身体を預けていると、ふと身体を離されて、両手で頬を包まれる。
「なまえ。私と付き合うだろう?」
はいかyesしか聞かないとでも言うような、自信満々な彼の態度に笑いそうになりながら、まだ名前も知らない初対面の男性というのも忘れて首を縦に振れば。
若干嬉しそうに笑いながら唇を重ねてきた彼のスーツの裾を、ギュッと握った。
さっきは突然のことで気付かなかったけれど。
彼とのキスは、タバコの味がした。
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実はヒロインは初対面だけど仙様は前から知ってたっていう裏設定があります
っていうか仙様の名前が出てこなかった…!
偽者ちっくだけど仙様です
誰が何と言おうが仙様なんです
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