鮮やかなる矛盾




「あ、名前先輩。おはようございます」
「あはは、おはよう。数馬くん」


…とまあ、会話だけ聞いていれば先輩と後輩のなごやかな朝の挨拶、としか思えない。別にその会話にも変わったところはなかったが、普通じゃないのはその居場所だった。

苗字名前と三反田数馬の二人は、早朝から仲良く同じ蛸壺の中にいたのである。


***


「ひゃぁぁあああ!」
「あ、」
「痛たた…、あれ?」
「名前先輩、大丈夫ですか」
「うわああご、ごめんね、今すぐ退くから!」

寝ぼけ眼をすりすり、井戸に顔を洗いに行こうとした道中、庭先で。
突然足場がなくなり重力に逆らうすべもなく、気付けば冷たい地下の世界。
そこに居たのは、最近顔見知りになった忍たまだった。


「いやー、数馬くんに会うのもこれで三日連続だねえ」
「はい、なんだかこの展開にも慣れちゃいました」

ふにゃりと笑う彼は保健委員の三年生、三反田数馬くん。保健委員といえば不運に見舞われることで有名で、きっと今もその不運に見舞われてる真っ最中なのだ。まあそれと同じ境遇にさらされている私もどうかと思うけれど。でも私のこれは不運ではない、気がする。

「名前先輩も大変ですね。四年生の綾部喜八郎先輩が名前先輩にちょっかい掛けまくってるって、既に学園中の噂ですよ」
「ははは…なんでかね、そんな風になってしまったんだよね」

遠い目をするとおどおどと心配するような視線を感じたので、数馬くんを安心させるために咄嗟に笑顔を貼り付けた。
あの日、つまり私が綾部くんと廊下で鉢合わせした日から、綾部くんは気付けば私の近くに出没するようになった。
と言っても、髪の毛を触られたり、急に手首を掴まれたり、いわゆる嫌がらせしかしてこないけれど。
蛸壺も前よりたくさん掘っているみたいで、それに比例して私と、おまけに保健委員の方々が落とし穴にはまる回数も増えた。


なんでなんだろう。なんで私なんだろう。私のことがそんなに嫌いなら、放っておけばいいのに。無視すればいいのに。


「ああ、また腕すりむいてますよ。早く消毒しないと!」
「あれほんとだ。やっぱり数馬くんは保健委員だね」

委員会柄、怪我や血の匂いに敏感なんだろう。自分でも気付かなかった傷を目ざとく見つけると、数馬くんはいつも持ち歩いているらしい小さな救急セットを取り出した。どうやら応急処置をしてくれるらしい。

「少し失礼します」

そう言って数馬くんが私の腕に触れようとした時、それを弾くかのように上から誰かの手が伸びてきて、私はその手に腕を掴まれたままひょいっと外へ引きずり出された。

「へ…!あ、綾部、くん?」
「……なに」

え、なに、ってこっちが聞きたいんだけどなあ…。突然のことに数馬くんも目を丸くしてこちらを見上げている。うん、そりゃびっくりするよね。

数馬くんを見下ろした綾部くんは、ふいに視線をそらすと私の腕をつかんだままどこかへ歩き出そうとした。え、数馬くん助けないの…?

「綾部くん綾部くん、ちょっと待った!」

眉間に皺を寄せて振り返った彼の足が止まったのをいいことに、私は地面に膝をついて穴の中へと手を伸ばした。

「数馬くん、捕まって」
「え、でも」
「ずっとそのままというわけにもいかないでしょう?」
「は…はい、ありがとうございます」


ぱしり。

乾いた音が再び鳴った。

それは私の手を避けて、綾部くんが数馬くんの腕を掴んだ音。さらに驚く数馬くんをやすやす引っ張り上げると、彼はあろうことか数馬くんを地面にぽいっと投げた。

「綾部くん!」
「……なに」
「数馬くんがけがしたらどうするの」
「…うるさい」
「え?」
「うるさい」
「ちょ、綾部くん…!」


再び腕を掴まれてぐいぐいと引かれるまま足が動く。後ろを振り返るとどんどん小さくなる数馬くんが苦笑していた。いや、笑ってないで助けてよ…!


連れて行かれたのは、早朝の誰もいない保健室だった。私を座らせると、綾部くんは勝手知ったるといった感じで手早く消毒の準備をした。

「…っ」

うううう、沁、み、る。
手加減などなしに綾部くんは傷口に消毒液を浸した綿を押しつけまくった。


「名前」
「う、な…に?」
「…おはよう」


なんとも脈絡のない会話。突然話しかけられて、しかもそれが今の状況とまったく関係のない言葉、なんてのは最近では日常茶飯事のことですっかり慣れてしまった。

うん、慣れはした、けれど。

やっぱり綾部くんは何を考えているのか分からない。すごく酷いことをされるし、酷いことも言われるけれど。たまにこうやって彼なりの気遣いも見せてくれる。
そもそもこの傷だって綾部くんのせいで出来たようなものなのに、その当人に手当てされるというのも不思議な気分だった。


「……おはよう」

なんだかよくわからないけれど、挨拶されたので返しておく。
それを聞いた綾部くんは少しだけ満足そうに頷いて、私の腕に包帯を優しく巻きつけた。




 



BACK



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -