―――最近になって。
「き、喜八郎くん、おはよう」
名前から僕に声を掛けてくることが多くなった。
廊下とか、庭先とか、食堂とか、会うたびに。避けられはしても、自ら近づいてくることはなかった名前が。
いつも大体顔を俯かせていて、一言二言会話をするとそのままピュンと走って行ってしまうけど。
今までとはまた違った反応をする名前に戸惑う。
ぴょこぴょこと兎のように走り去る後ろ姿を見つめながら首を傾げると、隣を歩いていた滝が腕を組んで何故か得意そうにうなずいていた。
「うんうん、なかなかに可愛らしいじゃないか」
良かったな、と背中をバシンと叩かれたから、ムッとしながら「何が」と答えると。
目と口を大きく開けた滝は、その後すぐに肩を落として首を横に振った。
「まずは自分の気持ちに気付くことからだな、お前は。それにしても一体どうすれば・・・ブツブツ」
何を言ってるか分からない滝を無視して足を進めると、ドタバタと追いかけてきて怒鳴るのでやっぱり無視をした。
確かに僕は、少し前まで名前が嫌いだった。
それは名前のことを考えただけでなんだかもやもやするし、見かけるだけでイライラするし、今まで感じたことのない気持ちが頭を支配して、なんだか気持ち悪かったから。
でも、いま。
名前のことを考えても、別に胸糞悪くなったりしなくなった。
前よりも格段に接する機会が増えたというのに、イライラしない。
「・・・ねぇ、滝」
「うーむ。ここはいっそのこと強引に・・・ん?なんだ」
「僕は名前のこと、そんなに嫌いじゃないのかもしれない」
「ああ、そう、か・・・って。ええ!?お前、今何て!?」
滝に両肩をガッと掴まれて、前後左右に揺さぶられる。
首がぐわんぐわんと揺れる中、もう一度名前のことを考えてみた。
・・・うん。
別にイライラしない。
「だから、嫌いじゃ、ない、かも、って」
揺さぶられたまま途切れ途切れに発した言葉が、滝の耳に入った途端、ピタリと止まる体。
ああ、まだグラグラしてるみたいだ。
「・・・ふふ」
「・・・滝?」
「ふふ、ふははははは!」
「何なの急に」
「こうしちゃおれん!おーい、三木ヱ門!タカ丸さん!」
「・・・はぁ?」
突然爛々と目を輝かせて踵を返した滝に、首を傾げる。
意味が分からない。
まぁ滝が意味不明な言動をするのは今に始まったことじゃないから、いいか。
そんなことより、蛸壺掘ろう。
理由は分からないけど。
なんだか今日はいつもより気分よく掘れる、そんな気がした。
BACK