ホントのきもち




パシリと掴まれた腕。
驚く暇もなく向かい合わせにされた体。
お互い黙ったまま静寂の時間が流れる。

さっきから視線を感じるから綾部くんはきっと私を見てるんだろうけど、私はとてもじゃないけど彼を見ることはできなくて、じっと地面を見つめていた。

掴まれたままの腕、その彼が触れている部分だけが異様に熱い。
腕を掴まれたり手を握られたりしたのはこれが初めてなんかじゃない。でも、それを恥ずかしいと――顔を赤くするくらい、どうしたらいいかわからないと感じたのは初めてだった。

そう、私が綾部くんを好きだと自覚してから、初めて彼に触れた。
たったそれだけでこんなにも違う。以前はなんとも思わなかったことに一喜一憂して。



でもね、それは所詮、私だけ。
なぜ彼が嫌いなはずの私を呼び止めたのかは謎だけど、そこは綾部くんのことだから特に理由もないんだろうなぁ。

ぼーっとそんなことを考えていたら、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

「あれ?名前じゃないか」


落ち着いた低い声。
その声の主は火薬委員会の久々知兵助先輩だった。(実はわたし、火薬委員会に所属してます)

「兵助、先輩」
「こんなところで何をしてるんだ?綾部も」
「…ぁ、えっと……」

別に何もしてないんですけど、なんて言うのはちょっとおかしいよね。でも何かしてるってわけでもないし…うーん。

なんと答えたらいいのか分からなくて悩んでいると、くい、と腕を引かれる。

なんだろう、と兵助先輩の方に向いていた体を戻したら、不可抗力で綾部くんとばっちり目が合ってしまった。

吸い込まれるような瞳に、視線がそらせなくなる。

彼は相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。
そんな彼が、私を見ながら呟いた。


「…久々知先輩、今夜のA定食には冷奴が付くそうです」

「お、そうなのか!それならば急がないと。またな」

冷奴、と聞いて先輩がじっとしているはずもなく。鼻歌を歌いながら足早に去っていった。何がしたかったんだろう、先輩は。


そしてまた、ふたりきり。
兵助先輩が来たときにはこれに便乗してさっさと逃げてしまおうと思ったのに、結局は更に私の手首を掴む綾部くんの手の力が増しただけだった。

「…あの、綾部くん、いたい」

微妙に視線をずらしてそう言えば、綾部くんは今気づいたかのように私の手首を見た。それをそっと離すと、手首が真っ赤になっている。どおりで痛いわけだった。


「じゃあ、もう行くね」

これ以上ここに居たって、何もすることはないし話すこともない。それも綾部くんが私をひき止めた理由がわからないのだから当たり前だ。

そう思って歩き出そうとすると、ザクッと音がした。
びっくりして見れば、綾部くんが鋤を地面に突き刺していて。

「久々知先輩のこと、名前で呼んでるの?」


そう、聞いてきた。

あまりに突然のことだったから私もうなずくことしかできなかった。そんな私を、綾部くんが見つめる。


「じゃあ、僕は?」

「…え?」

「なんで僕のことは名前で呼ばないの?」


「な、なんでって、言われても…」


別に、理由はない。
ただ急に呼び方を変えるのも変だし、ずっと綾部くんって呼んでるし…、むしろ名前で呼ぶ理由もない。


「呼んでよ、今から」

「…へ?」

「はやく」

「ぇ、え?………き、喜八郎、くん?」

「うん」

「喜八郎、くん」

「うん」


一瞬、綾…じゃなくて、喜八郎、くん、が優しい顔をした気がした。なんだったんだろう。幻覚?


まぁなんだかよくわからないけど、私は今から綾部くんを名前で呼ぶことになった。



前よりぎこちない関係になってしまったのに、表面上だけは名前を呼び合うことで少し彼に近づいたような矛盾。

それにしても、何故喜八郎くんは嫌いなはずの私に名前で呼ばせたかったんだろう?


うん、長屋に帰ったら凛ちゃんに相談してみよう。





―――――


「…ということなんだけど」
「……それで?」
「それで、って?」
「あんたはどう思ったの」
「わ、わかんない」
「……」
「凛ちゃん?」
「はぁぁぁ。あんたのこと鈍い鈍いと思ってたけど、鈍いんじゃないわ。超超超鈍い!もうこの子は!」
「ぇ、ええ!?」
「もどかしく見てるこっちの身にもなってみなさい!せっかくわたしが立花先輩と……あ、」
「立花先輩…って、仙蔵先輩!?じゃ、じゃあ私が強制連行されたのは、」
「…え、えへ」
「えへ、じゃないよ!まさか凛ちゃんが仙蔵先輩と繋がってたなんて…!」
「まぁまぁ、それは置いといてね、なにかしらきっかけを作ってあげればいくらあんたでも気付くかなーって思ったのよ。それなのに…」
「ねぇねぇ、さっきから気付くとかきっかけとか鈍いとか…なんのこと?」
「……そろそろ気付いてやりなよ、綾部の"ホントのきもち"にさ」
「喜八郎くんの…ホントのきもち?」



ホントってどういうことだろう。

だってそれは「嫌い」じゃないの?



――もし、「嫌い」じゃなかったとしたら。


彼のホントのきもちは何なんだろう。





 



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