綱海さん、という呼び方は気に入ってない訳ではない。が、他人行儀というか壁を感じる呼び方だとずっと思っていた。
「綱海さんって呼ぶのやめてもいいですか」
「なんで」
綱海さんは訝しげに俺を見た。最近の俺は何故かあまり信用されていないみたいだ。
「ただの俺の思いつきです」
「ふーん。なんて呼びたいんだよ」
「条介くん、とか」
俺は思いついたのを言ってみた。綱海と名字で呼ぶのはやめたかったし、条介と呼びきりにするのは違う気がして、くんを付けてみた。だけ。
しかし、綱海さんは俺を少し見つめてから顔を赤くした。てっきり怒られると思っていた俺は驚いた。こんなかわいい反応が返ってくるとは。
「条介くん、どうしたんですか」
「やめろ」
「なんでですか。条介くんっていいじゃないですか」
「なんでくん付けなんだよっ」
なんで照れてるんだろう。条介くんって呼び方好きなんだろうか。
「駄目ですか、条介くん」
「やめてくれよ…」
綱海さんに近付いてみる。今日は珍しく俺を拒まない。俺は調子にのって距離を詰める。
「じゃあ俺の呼び方変えて下さい」
綱海さんは何も言わない。いいよってことか、と俺は勝手に解釈する。
「勇気、って呼んでみて」
今度は敬語をやめてみる。綱海さんはこの変化に気付いてないだろう。敬語にこだわる人じゃないし。俺にとっては結構な変化なんだけど。
「ねぇ…」
もう俺は綱海さんからこんな距離に近付かれたら、どうしようかってくらい綱海さんに近付いていた。今日の綱海さんはデレている。しかも俺の理想のデレ。
「っ…」
顔が赤い綱海さんは、いつものように抵抗しない。恥ずかしがってる所がまたいい。
「ゆ…ゆうき、」
別に下の名前を呼びきりなんて、友達の間では普通のことなのにこんなに意識しちゃって。あえてつっこまないけど。
ただ、綱海さんは俺を見ずにいうものだから、目の前にいるのに俺は綱海さんの目に写ってない。ちゃんと俺を見てよ、綱海さん。勇気は俺だよ。
「条介、くん…」
キス、しますよ。俺の手が綱海さんの髪に触れる。いい雰囲気なんだから今回はもう抵抗しないでほしいな。
でもそんな切実な俺の心の声は届かず、綱海さんは気付いたように、俺を豪快に押し戻した。がんばって縮めた距離は一気に元に戻る。
「お前!いつの間にこんなにくっついてんだ」
もう、いつもの俺を拒む綱海さんだった。残念。
「流れで…」
「ああっやめたやめた!勇気なんて絶対呼ばねーから」
自分で聞いたくせに綱海さんは俺の言葉を最後まで聞かない。しかも俺は名前呼びまで逃している。
「あと、条介くんなんてもう呼ぶなよ」
念を押された。それまで無しなのか。年下である俺が、条介くんと呼ぶってことで特別になれるかと思ったのに。
まぁたまに下の名前をくん付けで呼んでみようかと思う。綱海さん本当は条介くんって呼ばれるの好きなんじゃないか。本気で怒っていなかったし、何故かかわいくなっていたし。