from childhood. | ナノ



 鯉幟がはためいている。
「別に忘れてた訳じゃないんだよ。」
 どうだか、と肩を竦めて見せた臨也の向こう側には大きな窓があり、そこから一つだけ鯉幟が見えた。肩を竦める動作でこちらの感情を煽ろうとしているのか、臨也のそれは大分オーバーだったけど、意にも介さず手持ちの近くのスーパーの袋をダイニングのカウンターに置いてやった。
 昨日、五月四日みどりの日に臨也は誕生日を迎えた。色んな子に色んな方法で祝って貰ったらしい。沢山人間観察出来て良かったねと言うと一番の興味対象は君だったよと顔を歪めて言われた。なんでそんな顔されなきゃいけないの。
 臨也の言い分はこうだ。まず自分の誕生日を知っている人物を半分に分けて『誕生日だと教える』グループと『誕生日だと教えない』グループをつくる。そして誕生日を知っている人が、本人から誕生日だと言われてどういう反応を返してくるのか(私は「こいつ祝って欲しいのかよ(笑)」とか思う)、同じように教えなかったらどのような反応をしてくるのか(スルーする人とわざわざ「おめでとう」って言ってくれる人の二パターンしかないと思う)を見てみたかったらしい。ちなみに、私は『誕生日だと教える』グループに入っていた。臨也の話によると、教えた人は心境がどうあれ皆祝いの言葉をくれたらしい。その中で、唯一祝いの言葉をあげなかったのは他でもないこの私で。臨也からの電話に対してつれない返事をして通話時間が一分を刻まないうちに携帯の電源ボタンを押したのだ。
「その癖してどうして今日祝おうとするのかが分からないよ。」
 理解に苦しむ、と臨也は大きな白い箱を冷蔵庫に入れる私をせせら嗤った。
「祝うなんて一言も言ってないけど。」
「そんなに大きなケーキを持ってこられたら誰だって分かるだろ。」
「じゃあ、こっちの袋の意味は分かる?」
 置いたばかりのスーパーの袋を持ち上げてやると、首を左右に振った。それとそっくりそのまま、同じように窓の外の鯉幟が左右に揺れるものだから思わず吹き出してしまいそうになったのを慌てて隠す。幸い、あの目敏い臨也はチャットルームをのぞいたところのようだったのでセーフだ。
「臨也は人間を愛しています。私はその中の一人です。」
 当たり前だと言った風な表情の臨也に、言葉を続ける。
「ですが私は“折原臨也”という人間を愛しています。だから少しだけでも記憶の中に残るように他の人とは違う祝い方をすることにしました。」
 見せつけるようにひとつずつ袋から食材を取り出して、ダイニングに並べると臨也は訝しげな顔をした(丁度その顔が後ろの鯉幟のような難しい顔に似ていて、またも笑いかけたのは秘密だ)。
「鍋?」
「誕生日祝いとして鍋が出てくるなんて斬新でしょ?」
 笑顔を臨也に向けると、臨也は呆れ果てたような顔をして冒頭のような大袈裟なアクションで肩を竦めた。でも私は見逃さない。冒頭のように捻くれただけの動作ではないということを。いくら混じっているのかは分からないけど、滲み出る程度には喜びが混同しているということを。「鍋の後にケーキなんか食べられるわけないだろ」と悪態をつくのだって、その照れ隠しだっていうことを。
 結局のところ、夕飯が何であれ、臨也は必ずケーキを食べて私にお祝いをさせてくれる。背後で泳ぐ鯉幟にはしゃぐ子供と何ら変わらないのだ。



from childhood.
臨也誕生日おめでとう
20120505