私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ

 自分の口内を人様に晒すというのは、存外間抜けなものだと少女は考える。何を好き好んで粘液で覆われた口内を晒さなければいけないのか、といつも歯を磨く度に校内で行われる歯科検診を思い出して思うのだ。その度にいつも以上に一本一本余すことなく丁寧に磨き上げ、先程まで口内に巣食っていたであろう異物を吐き出し、彼が好ましいといった様子を保てているか鏡で念入りにチェックをするのが少女の決まり事である。

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 水ではなく、ぬめりを帯びた者同士が絡み合う音が赤司征十郎の部屋に響いていた。
八畳程の、中学生が持つにしては聊(いささ)か広い和室にはきちんと整えられた机と同様に中身がぎっしりと詰まった天井まである大きな本棚、ベッドが置かれているだけで味気が無いが、今は少女が「勉強」という名目で訪問しに来ているため、二人分の教科書を広げられるようにと大き目のローテーブルに押入れから久方振りに取り出した座布団も出ていた。だがそれらはただの置物にしか過ぎず、今、「赤司征十郎の部屋」という空間を作り出しているのは紛れもなくベッドに背を凭れさせた少女とこの部屋の主人が互いの口内を互いの唇やら舌で侵し合っているという、二人の年齢からすると淫靡だと称されるような状態だった。
「くち、あけて。」
 少女の意識が朦朧としだす一歩手前で唇を離した赤司は少女の息を整えさせると、促すように唇を親指でなぞった。「…ん、」少女は口内に溜まった唾液を飲み込んだのか返事なのかいまいち判別のつかない返事をしてから大人しく口を開ける。
 少女は彼が自分の口内をのぞく様子を見るのが好きだ。理由は単純で、それをしている時の彼はどことなくうっとりとしており、彼の視線は少女にのみ注がれるからである。
 不意に両頬に添えられていた手に在るうちの一本の指が少女の口内を弄(まさぐ)る。情けなく母音しか発せていない少女は苦しげに指に舌を絡ませた。無表情な部屋に響く、表情のある音が響き続ける。

「人に口内を晒すのって恥ずかしいんだよね。」
「ふうん。」
 赤司が満足し切るまで表情豊かな音を鳴らし続けた後に、口元に零れ出した音の残滓を粗雑に拭いながら少女は言った。興味の無さ気な赤司の返事はもとより予想の範囲内だったので、何も気にすることなく居住まいを正すと「でもさ、」と話しかけられた。
「君は僕が君の口内に指を突っ込んでいる時、とても恍惚とした表情をするよね。」
 目を細め口角を少し持ち上げた美しい顔に、意地悪げな微笑を浮かばせながら「もしかして、そういう趣味なのかな?」と言ってきた。自分だって突っ込みながら恍惚としている癖に、と心中で毒づきつつ否定の言葉を送る。
「ふうん?違うのか。」
「違うよ。そんなのが性癖の人間になりたくない。」
「そう言った性癖の人に対しての侮辱だな。」
 可笑しそうに笑った赤司に呆れてしまった少女は聞こえるか聞こえないかの程度で、口内を晒す様子は間抜けのようだと呟く。少女が口内を晒すことにここまで嫌悪を抱く理由は、不衛生そうだから、などといったものではなく、毎年、歯科検診の度に口内を晒す僅かな時間をどうやってやり過ごそうかと画策しているほど、普段人に見せるべきで無い様な場所を無様に晒すことは少女のプライドを傷つけるだけの行為にしか過ぎないからだ。
「じゃあ、どうして僕には無抵抗に晒すんだい。」
では、何故赤司に晒すことには拒否感も抱かず、うっとりとさえしてしまうのかと聞かれると少女が用意している答えには安易に見せられる場所だからというものしかない。
「私、征十郎を愛してるけど、中でもその赤い髪とか瞳とかが凄く好きなんだよね。その赤で私を縛りつけてもらいたいくらいに。でも私には征十郎とお揃いの赤い髪も瞳も無いし、外見に赤色なんて一つもないから私の赤は血液かこのくちの中だけなの。前に紙で指を切った時に、征十郎凄く怒ったでしょう?だからくちの中を見せて『私はこんなにも綺麗な赤で征十郎に縛られてるのよ』って示そうと思って。」
 すらすらと朗読するように澱みなく言い切った少女に赤司は少しばかり目を見開き、すぐに満足そうな笑みを全面に浮かべた。
「なら、もっと君を僕で埋め尽くさなければね。」




まずはその柔い首に所有印でも焼き付けようか。



20121028/joy