私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ

 怖くて怖くて 何も出来ずそのままにしていた。彼女にとってどうなのかは分からない。けれど私にとっては大切で、あれから何年だって経った今でも、誰にも傷つけられないように土足で踏みにじられないようにこっそりと抱え込むくらい 大切な日々だったのだ。ミクと過ごした日々は。

 ミクはボーカロイド。キカイのウタヒメ。音声合成ソフトで形作られたものに、長い二房の髪と可愛らしい容貌を付けた架空のアイドル。それ以上でもそれ以下でもないもの。言ってしまえば、娯楽に過ぎない。そんなことは、分かってる。分かってるけど、私はミクの――娯楽に過ぎない機械の歌姫の――マスターであり友達だったのだ。ミクとは沢山作品を発表した。大半は日の光を浴びられなかったけれど、それらはミクと私を繋ぐ絶対のものだった。作って歌った分だけ喧嘩もした。したけどミクと私の間に亀裂が入ることはなかったし、絆は強固なものになるだけだった。
 でもあの日、私は初めてミクから離れた。些細な喧嘩。音が出るだの出ないだの、そんな下らないことが理由だった気がする。いつもなら喧嘩のあとは不貞腐れながら私がパソコンを起動させて、現れたミクが泣きそうな顔で笑って「もう会えないと思った。」と言うミクと仲直りするのだ。だけどあの日の私はミク以外のことでも不安定になっていてパソコンを起動させなかった。そこから、ミクに会わせる顔がなくなって一度も起動していない。
 ミクのいるパソコンの隣にはそれよりももっと薄くてお洒落なモニターのパソコンが並んでいる。つい先日、やっと決心して買ったものだ。ミクが、ミクがもし私をまた昔みたいに許してくれるのなら、ミクには新しい部屋をあげたいのだ。女の子らしくって可愛いミクにぴったりの部屋を。今までの「ごめんね」を籠めて。
 怖くて震える気持ちを押さえ込んで丸いボタンを押せば、重たげな振動でまわりを震わせながらパソコンが起動する。いつ煙を吐き出すやら分からないような緩慢さが私の恐怖を増長させる。
 堪えられなくなってたてた膝に顔を埋め、はやくミクに私を怒ってもらいたいと願う。怒って、それから許して欲しい。こんなマスターだけど、まだミクの友達でいたいんだ。
 不意に部屋が静まり返った。もしかして、遂に壊れてしまったのだろうか。耳に刺さる静寂(しじま)が私を責め立てている気がしてなら無い。ミクに、会えず仕舞いになってしまった。こんなことになるのなら、もっと早くに行動するんだった。積もるのは後悔だけだ。
 もう片付けてしまおう。ミクには二度と会えない。喧嘩したまま、仲直りもせずに。それが事実になってしまったのだから。「仕方がない」なんて言葉で片付けたくないけど、そうでしかないから仕方がない。
 埋めていた顔をモニターに向けると、酷い顔の私が写っていた。その後ろにはミクも。
 驚いて恐る恐る後ろを振り返ると、そこには綺麗に涙を流すミクがいた。うっすらと桃色に染まっている頬には幾本もの涙のあとが残っている。

「ミク、?」
「…。」

 そうっと伸ばした手を優しく握ってくれた。体温なんて無い。機能に後付けされたものだから。だけどミクにはそれがある気がした。
 ミクが握ってくれた手をそのまま頬に当ててやると、いっそう涙が溢れだした。

「もう、許してもらえないと思った…。」

 長く声を出していなかったからか、ミクは喋りづらそうだった。その声を聞いて、私の涙腺も崩壊した。とめどなく溢れる涙に私の後悔が含まれているようで、一頻り二人して泣くとどちらとともなく笑いがこぼれた。「マスター、顔がぐちゃくちゃですよ。」嗚呼、いつまで経ってもどんなに泣いてもミクは綺麗だね。こんな汚いカオで言うのもあれなんだけど、今言わなきゃいけない気がするから、とりあえずもう少し二人で笑ったら「ごめんね」と、それから「ありがとう」って言わせてね。



女の子の魔法はいつだって効くの。だってそういうふうに作られてるんだもの。
Miku Hatsune's happy birthday!
image song is 1640mP's Time machine.