私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ


 帝国学園には大企業のお坊ちゃんやお嬢様はもちろんのこと、政治家の息子や娘やらなんかも在籍している。だけどその中にはやはり一般市民だって混じっているのだ(もっとも、そういった人のほとんどはずば抜けて頭が良く、スポーツも万能なのが常だが)。一応、私もその一般市民に属している。帝国学園内で二割にも満たないという数少ない一般市民だけれど、そこいらの親の威を借る坊ちゃん嬢ちゃんよりも頭は良いのだ(ちなみに学年10位に入っている)。スポーツだって不得手ではない。だけどそういった子に限って『天才』なんて陳腐なレッテルを張り付けられる。私だって何もせずに成績を修めてスポーツもこなせる人がいるのなら天才だと呼ぶけれど、私は何もしていないわけではない。毎日きちんと予習復習だってするし欠かさずに簡単な運動くらいはする。その努力を見て『天才』だというのは大いに結構だが、上っ面しか見ていないようなちっぽけな人たちに『天才』だと持て囃されるのはもういい加減嫌だった。だから特待生として帝国学園に入学したのだ。
 一般市民の我が家に帝国学園での学費を納め切る余裕なんてないので、私は学費免除制度が組み込まれている『特待生』という枠から零れ落ちることは絶対に許されない。それが苦痛なわけではないけれど、欲を言えば周りの子のように車で送迎されたい。早朝の電車は通勤ラッシュで酷く込み合ってなかなか勉強することが出来ないからだ。自家用車で送迎してもらえれば、いくらかましになるんじゃないか、という考えが私の中にある。でも家のことを考えれば自然とその考えは一度も口から出そうとしたことは無かった。だから私はかなり早い時間に電車に乗り、教室で勉強することにした。かなり早いと言っても、朝礼の時間に対しての早いなので、その時間は通勤ラッシュが徐々に始まるような頃合いだろうか。そんな落ち着かない車両内じゃ勉強してても気が散るので文明の利器である携帯電話を使って暇潰しをしていると、これが、なんというかハマった。所謂、携帯依存症というやつに私がなるのに時間はかからなかった。


 陰鬱な雰囲気の中で、数日くらい続けて見覚えのある制服を見つけた。学年証を見れば同級生。知らない顔だからたぶんほかのクラス。自分以外をこの時間の電車で見かけたことが無かったから、珍しいと素直に思った。
 見つけてから結構経った。今日の車両は人が妙に多くて、ぐいぐいと無理矢理押してくる人の流れが鬱陶しい。おいこら、今足踏んだの誰だよ。とん、と肩に人がぶつかる。ふわりと香ったものが汗臭くなかったからたぶん女。あーよかった、酷くぶつかってたら痴漢だのセクハラだのなんだのと五月蠅く騒がれていたかもしれない。それでもまあ一応謝っておこうと思って相手に視線を当てると、それは最近よく見かけるあいつだった。いつものように一心不乱に小さなデジタル画面と睨めっこしている様子を見て謝らなくてもいいかと自己完結した時、がったん!と大きく車両が揺れた。先に言っておくと、俺は物凄く運動神経が良い。


「大丈夫か?」


 突然の大きな揺れに対処出来なくて焦った私は、あろうことかその場で揺れに逆らいもせずそのまま振り回されてこける――ということになる筈だった。しかし私の体は横転するどころか、体勢を変えてすらいない。揺れに驚いた瞬間に、揺れとは逆方向に引っ張られたのまでは記憶の断片にある。刹那のこと過ぎて少し曖昧な感じだけど、誰かが引っ張ってくれたのだと思う。謝罪を言う為に口を開こうとした瞬間、ふわりと香った芝が目の前の制服とあまりに不釣り合いで声が出なかった。あれ、これって帝国学園の男子制服?スポーツやってる人?芝ってことはサッカー、とか?

「おい、どっかうったのか?」
「 あ、」

 意識が吹っ飛んでいた私は「大丈夫です。ありがとうございました。」と言うだけのことすらまともに出来なくて、尻すぼみになってしまった。よくよく思い返してみると、彼は我が帝国学園サッカー部に所属している佐久間君ではないか。道理で芝の匂いが…じゃなくて!

「私なんかより、佐久間君は足とか大丈夫ですか?」
「…名前、」
「あ、友達が良く話題に出すので…。すみません、知らない奴に急に呼ばれたら気分悪いですよね。」

 失態である。穴があったら入りたいくらいの失態である。携帯依存症になってしまったあたりから失態である。こんな美人さんとこんな近くでお話し出来るほど私は出来ちゃいないのである。依存症から抜け出さないといけないということがたった今やっと骨身に沁みたのである。心臓が緊張で爆発する前に出来るだけ会話を早く終わらせたいのである。語尾がすべて統一されるくらいにテンパるほどの失態である。日本語が支離滅裂になるほどの失態である。

「いや、別に良いけど。それよりさ、」

 電車のアナウンスが帝国学園の最寄り駅を伝えて、扉が大袈裟な音を立てて開いた。佐久間君は私の腕を掴んだまま電車を降りて改札をくぐる。(何でこの人電車通学してるの?一般市民なの?)そのまま端っこに連れていかれると、ぱっと携帯を取り上げられた。そのまま私の携帯を空いている片手で弄りだす。プライバシーの侵害である。

「あんま携帯ばっか見てると今日みたいなことになるから程々にしろよ。」

 ぱくんと閉じられた携帯を突き返される。受け取ると未だに掴んだままの腕を引っ張って駅から出る。方向からして多分そのまま帝国学園に向かっているのだろう。いつまで手を引っ張っているつもりですかと訊くと「こうしてたら携帯触ってられるだろ。」と返された。そしてこの状況に追いつけずにテンパり続けているといつの間にか帝国学園についていて、佐久間君は朝練があるからと言ってグラウンドの方へ行ってしまった。この人結構マイペースである。
 ぱかりと握ったままだった携帯を開くと画面は編集途中のアドレス帳だった。名前の欄に『佐久間次郎』と入っていてその下にはアドレスやら電話番号やらがしっかりと記入されており、メモには電車一緒だしよろしく。嫌だったら消してくれと簡潔な内容が記されていた。本当にマイペースである。
 グラウンドから響いてくるサッカー部の掛け声を聞きながら、いつものように携帯を弄る。メール画面を開いて新規作成。7、4、22……。送信完了。返信次第でまた当分、私は携帯依存症から抜け出せそうにない。

『また今日みたいにしてもらえるとありがたいです。』



平行線の接点
20120209