私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ



 キッチンから甘い香りが漂って来ていた。
「ただいま。」と言ってリビングに入ると瞳子姉さんや玲名やマキ、つまるところ女の子たちが固まって何やらきゃいきゃいと騒いでいた。ちらっと視線を向けてみたけど、何をしているのかさっぱり分からない。とりあえず鞄を部屋に片付けてからもう一度カウンター越しにキッチンをのぞくと、瞳子姉さんから「お帰り。」を貰った。
「名前も着替えて一緒に作りましょう?」
「‥これ、なに?」
 それまできゃいきゃいと騒いでいた皆の声がひとつに重なって「パンプキンパイ!」と返される。なるほど、明日はハロウィンだからか。悪いけど、私はそういう女の子らしい行いがあまり好きじゃないので丁重にお断りしてから制服だけ着替えてテレビを見ることにした。ぽちぽちとチャンネルを回しながら、背後から漂う甘い香りでお腹を満たせていると座っているソファが大きく凹んだ。
「何してんだ?あれ。」
「ちょっと晴矢、飛び乗らないでよ。」
 頭の上に咲いているわけの分からないものを引っ張りながら「パンプキンパイ作ってるんだってさ。」と答えてあげると仕返しと言わんばかりに頬を抓られた。
「いったいんだけど!」
「お前が引っ張るからだろ!」
「頭の上に花なんか咲かせてるからわざわざ抜いてあげようとしたんですうー。」
「余計なお世話だっつーの!それに花じゃねーしな!眼科行って来いよ。紹介してやるぜ?」
「てめえが行けよ。」
 ぎゃあぎゃあとソファの上で騒ぎ立てていると、気に障ってしまったのか玲名から「貴様ら見ないのならテレビを消して表に出ていろ!」と一喝されてしまったので二人して口をつぐむ。多分ここでこれ以上騒いでしまうと、明日はお菓子を貰えない上に悪戯だってされてしまうだろう。trick and no treatである。あれ、どっちが悪戯でお菓子なんだったっけ?
「‥‥あのさ、」
 消すのも面倒なのでさっきと同じようにして画面の内容をコロコロと変えていると、晴矢が気まずそうな声で話しかけてきたので、ぶっきらぼうに「‥なに。」とだけ答えれば、晴矢は少し声を潜めた。
「お前は作んねえの?」
「うん。」
「‥なンでだよ。」
「だってああいう“女の子”って感じの、小っ恥ずかしい。」
 性に合ってないもんと唇を尖らせる。別に作りたくないわけじゃないけど、やるのが小っ恥ずかしいと思うのも自分の性格に合わないのも分かっているからこそ出来ないというか、なんというか。まあ、つまりはハロウィンというイベントといえど、そういうのをする勇気が無いから照れているのだ。
「じゃあ名前は明日一日中 俺のパシリだな。」
「‥はあ?」
「お菓子ないんだろ?だったら俺からの悪戯を受けないとなあ?」
「晴矢だって持ってないでしょうが。」
「準備してあるっつーの。つかさ、気付けよな。お前のが欲しいんだっつーの。」
「は、」
 驚いてテレビ画面から晴矢へと視線を向けると、晴矢は目を細めながら口角を吊り上げて意地の悪い、ニヤリとした笑みを浮かべていた。そして「パシられたくなかったら今すぐ俺の分作ってこい。」とだけ言うと私の頭をぐしゃぐしゃにして部屋に引っ込んでしまった。‥ちょっと待て、今の会話のどこに催促の台詞があったんだ。可笑しいでしょ。
 火照る頬を隠すように両手で包んで膝に顔をうずめる。ちくしょう、晴矢の癖に。花咲かせてる癖に。こうなったら驚嘆するくらい美味しいの作ってやるんだから。覚悟してよね。
 リモコンをテレビに向けて電源を落とす。それをぽいとそこら辺に放り投げてから私は甘いキッチンに足を踏み入れた。



素直じゃない君に魔法をかけてあげる
20111030