私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ




 私が慶次のことを好きだと言ったら、慶次はどうするのだろうか。驚く?わらう?馬鹿にする?それとも何も答えない?選択肢は山のように積み重なるのにその中からちっとも予想がたてられない。少しだけ頬を膨らませて、ソファの上に乗せた為に近くなった膝に顔をうずめて両腕でそれを抱え込んだ。

★...
 フローリングの床に裸足でいるんじゃなかったと後悔。足先が物凄くつめたい。手で覆ったって温かくなんかならないから床暖房つけて欲しい、なんて人様の家で言えないしなあ。雑然とほうられたソックスもきっと冷えてしまっているだろうから、あんまり履きたくない。やっぱり、キッチンにいる慶次に「床暖房つけて」と頼もうかと一瞬思ったけど、それは余りにも悪い気がしたし、人の家でわざわざ裸足になってる私が可笑しいからやめる。その代わりにキッチンに向かって「あっついココアよろしくー。」と叫んでおいた。

「猫舌じゃなかったっけ?」
 数分してから慶次が湯気をたてたマグカップを私と自分の分の、2つを持ってソファに戻ってきた。質問には答えずに、お礼を言って両手でマグを受け取ると甘い匂いがした。嗅ぐだけで冷えた体が温まりそうなくらい、甘ったるい匂いのそれにふうふうと息を吹きかけてちびちびと飲めば「やっぱり。」と、私が猫舌なことを正確に覚えていたのが嬉しかったのか、慶次は笑って呟いた。
「あったまるけどやっぱり熱過ぎる。」
「冷えたのか?」
「うーん、ちょっとね。雨にも降られてたし。」
 なんの気なしにふらふらっと外へ出歩いていると、急に雨が降り出した。おかげで濡れ鼠になってしまった私はたまたま慶次の住んでいるマンションが近くにあったことを思い出したのだ。運良く手にはシュークリームの箱が握られていたし、それを免罪符にして失礼だがずぶ濡れのまま押しかけさせていただいた。慶次は驚いていたけどすぐに上がらせてくれたから風邪を引く様子は今のところ見られないし大丈夫だと思うけど、さっきので足先が異様に冷たくなってしまった。
 慶次は口の中で言葉を転がすとどこかの部屋へ入って行ってしまった。どうかしたのだろうか、と思っていると顔を出した慶次が突然何かを覆いかぶせてきた。マグを口に着けて飲んでいる途中だったので中身を零さないように固まると、視界は真っ暗になった。マグを感覚で水平にして「けいじ 動けない。」と言えば、慶次は悪い悪いと言いながら被せてきたもの――大きな黒いブランケット――を少しどかして私の顔を出すと、手を動かしやすいようにくるくると私の体に巻きつけた。ふわりと香った匂いは嗅ぎ慣れたもので、このブランケットが慶次の物だということが分かる。
「わざわざ こんなことしなくってよかったのに。」
「女の子なんだから体冷やしちゃ駄目だろ。」
「人様の家で靴下脱いでる私が悪いんだよ?」
 慶次は「いいから」と言って私の隣に腰かけた。慶次のコーヒーの苦い香りが漂う。

★...
「慶次ってさあ、好きな女の子のタイプとか無いの?」
 雨は止みそうにないから、利家さんとまつさんが帰って来たら車で送ってもらうことになった。2人が帰ってくるのを待つ間、慶次が気を使って見つけて来てくれたラブロマンス物の映画(多分まつさんのものだ)を観ていて、ふと疑問になりました、と言った風を装って慶次に聞いてみる。横目でちらりと慶次を窺ったけど慶次は聞こえていないのか、じっと画面を見つめていた。
 もう一度聞くのも恥ずかしい気がしてきたので私も視線を画面に戻す。画面の中では男女がようやく結ばれようとしているところだった。「そうだなァ、」不意に慶次の声が静かな部屋に響く。
「大和撫子みたいな大人しい子も可愛いらしい子もセクシーなお姉さんも好きだけどなあ。」
「ふうん?」
「この映画のヒロインみたいにツンデレなのもギャップがあっていいよなー。」
「へえ‥。」
「なんだよ、そっちが聞いといて。」と慶次が唇を尖らせたが、私の中はそんなことに構ってられる程の余裕なんて微塵もなかった。私は大和撫子みたいに家庭的な面が強いわけでも大人しいわけでもない。それに、どっちかっていうと私は美人とか綺麗に分類される方で(あくまで分類なのであって事実が伴っているわけではない)可愛い子ではない。セクシーにほど遠い体系なわけでもないけど、セクシーはさすがにちょっと無理がある。色っぽいお姉さんでもないしツンデレなんかでもない。どれも私から遠いのだ。
 どうしよう?どうやって慶次に好きになってもらおう?どうすれば慶次の眼中に映る?家事全般を得意にして大人しい性格にしてみる?髪を巻いてレースやらフリルの付いた服を着てみる?肌も少し露出させてグラマラスな体系を目指してみる?今からツンとした態度をとってみる?マグカップの中のかき混ぜられたココアのようにぐるぐるとして何をすべきか分からない。
 ぴと、と慶次の手がマグを持った私の手に触れた。そこで自分が意識を違うところへ持って行っていたのを思い出してはっとする。「下げていいか?」と聞いてきた慶次にどもりながら「うん。」と答えて渡すと、慶次は受け取ったマグをテーブルの上に置いて私の手をしっかりと握ってきた。
「けい、じ?」

★...
 どれくらい時間が経ったのか分からない。壁に掛けられている時計の秒針を何千回も何万回も聞いた気がするし、そうでもない気もする。じっと見つめられて表情がうかがえないわけではないから、どきどきと高鳴る心臓は慶次がずっと手を握っているのも相まって一定にならない。もう一度名前を呼ぼうかと思ったがタイミングが分からないまま時間だけが過ぎてゆく。
 今まで動かなかった慶次が突然すっと動いた。びくりと体を震わせると、慶次は私の首筋に顔をうずめる。あまりにも突然のことで利家さんとまつさんが帰って来るとも言えず、そのまま固まっていると慶次はクツクツと笑いだした。「なに笑って、」握っている手とは逆の、空いた手が私の腰に絡まってくると必然的に慶次に抱きつかれる格好になる。
「でも俺はそのままのあんたが好きだよ。」
 至極楽しそうに笑いながら言った慶次からはコーヒーの苦みとココアの甘みが混じった香りがした。




image song is GUMI,"十面相"
企画サイト無限ループ様へ提出
20111009