私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ




 瞼を閉じれば、視覚が黒に塗りつぶされて他のどこかが鋭敏になった。どこが鋭敏になったのか知りたくて、落ち着けば知れると思ったから深く深呼吸をする。息を吸って、吐く。吸って、少し溜めて、長く吐く。
 何度も何度も深呼吸していると、何のために深呼吸をしていたのか忘れた。本末転倒だなあ、なんて頭の中の片隅で思ったけど目は閉じたまま深呼吸を繰り返す。嗚呼、風の音がする。陽の温かさがする。花の匂いもする。自分が花の上に寝転がっているのを思い出して、下敷きになってしまっている花々に心の中でごめんねと謝る。謝ったって意味が無い事なんて知っているけど。
 謝って済むのなら―――誰かが誰かと争い諍うことも、建造物が爆破されるのも、ひとのいのちが虐殺されるのも、私が世界に甘受されることもない。私が所属している武装組織が、世界に必要なわけがない。総てが謝って済む世界だったのなら。
(謝ったって済まない事があるから私たちはいるんだよ。でも、君へのごめんねは言わせて。自己満足だけでもしていたいの。)

 雨の匂いがなくなった。あれ、いつから雨って降ってたんだっけ?そもそも、いつから私は目を閉じていた?
 塗りつぶしていた黒に光の色を入れると目が眩んだ。刺すようにして入ってきた光に少しだけ痛みを覚えながら持ち上げた瞼は、とても重たかった。まったく、私ってばどれだけ閉じていたんだか。いつまで経っても視界がクリアになりやしない。
 ようやくまともに景色が見えだすと、そばに誰かがいるのが見えた。「せつ、な?」上手く出てこない声が恥ずかしい。
「…起きたのか。」
「ずっと、そこにいたの?」
 かぶりを振ることもなく、刹那は視線を私から自分の正面へと移動させた。ふうん、ずっといたんだね。でも、「ずっと」っていつからの「ずっと」?
 寝転んだまま少し下に視線を向けると、花に雨露が乗っていた。さっきまで雨が降っていたんだ。でも、私の体はちっとも濡れていない。刹那だって濡れていない。どうして。
「ねえ、雨、降ってなかったの?」
「さっきまで降っていたが?」
「じゃあ、どうして私も刹那も濡れていないの?」
 私の問いに、刹那は「傘を差していた。」と言って傍らから大きなビニール傘を二本取り出した。でも、その傘一つじゃ手足を折り畳んだ大人一人分しか覆えない。私は大の字になって花の上に寝転がっているのに。もう一度問うと「タオルを掛けていた。」という返事。上半身には傘があって、下半身にはタオルが掛かって寝ている女なんて、さぞかしシュールな画だったのでしょうね。
「…いつからここにいたの?」
「お前がここで寝ているのを発見してから。」
「どうして放って置かずにいたの?」
 六度目の私の問いに刹那はすぐに答えなかった。
 さわさわと、風にくすぐられた草花が私の体をくすぐる。嗚呼、へいわ、だなあ。しあわせと呼んでもいいかもしれない。この肺にはこの場所の綺麗な空気が詰まっている。爆弾も火薬も血も涙も知らない、穢れのない空気が。「…お前が、」不意に刹那が口を開いた。
「死んでしまったのかと思った。」
「…そりゃまた、どうして。」
「花畑の中で、穏やかに笑って寝ていたから。」
「…成る程、棺の中に入った死人に見えるかもしれない。」
「フェルトたちに聞いたらついさっきまで動いていたと言うから、死んでいないか様子を見ようと思った。」
「生きてたよ。ご感想は?」
「安心した。」
 刹那に言葉を返せなかった。駄目だよって一言言えばよかったのに。仲間の死に一喜一憂なんてしていたら、私たちはすぐに世界から追いやられてしまうんだから。それを言えなかったのは、きっと、私も刹那と同じだからなのだろうか。刹那がここで私のように眠っていたら、永眠してしまったのかと不安になるかもしれないから、だろうか。
「……見ててくれてありがとう。」
「…ああ。」
 お説教はやめて思ったことを口にした。死んだと思うくらい心配してくれて、ありがとう。私ってしあわせ者だね。むくりと体を起こすと体のあちこちが悲鳴を上げた。それは骨だったり筋肉だったり、はたまた神経だったり。簡単に体をほぐして前を向くと一面に色取り取りの花々が咲いていた。綺麗だなあ。
「ねえ、」
「…?」
「もしも私が死んだら、こんな風にして眠らしてね。」
 最期は花に囲まれてこの世界とさようならをしたい。子どもたちが生まれた時に、歓喜の花が一面に咲いているのと同じように。そういえば、刹那は表情を曇らせた。確かに、戦場を彷徨っている私には不釣り合いな最期かもしれないけど、一度は祝福されて生まれてきたんだからこれくらいのわがままは許されてもいいと思うよ?
「…そうじゃない。」
「?違うの?じゃ、どうして?」
 刹那へ九度目の質問。でも、これは聞かなくたって答えを出題者は知っている。正解は、“死ぬことよりも生きることを考えろ”。
「刹那、私はまだ結婚もしてないし子供もいないし理想の家庭っていうものを築いてないし、戦争根絶だってしていないし、何よりこの間フェルトと約束した地上の美味しいスイーツを食べに行くっていうこともしてないんだ。」
「ああ。」
「だからね、戦争根絶はともかく、フェルトとスイーツを食べに行って、こんな風に花がたくさん咲いているところで結婚式を挙げて子供を産んで理想の家庭を築いたあとに死ぬ予定が入ってるの。」
「…だから、なんだ?」
「だから、私が死ぬまでの予定を全うした時は花の中で、刹那と同じ墓に眠らせてね。」
 私のプロポーズ紛いの言葉に途惑っているのか、刹那はぱちぱちと瞬きを繰り返した。そんな刹那をよそに私は立ち上がり、倒してしまった花を数本起こしてから刹那に手を差し出す。刹那だって、歓喜の花に包まれていた頃はこけたり座り込んでいたりしたら、よくこうしてもらったでしょう?無表情のまま中々手を取らない刹那に微笑むと、おずおずと手を重ねてくれた。引っ張って立ち上がらせると草花に乗っていた雨露があちこちに飛んで、きらきらと光を乱反射させる。
「刹那の方が私より先に死んじゃったら、花に囲ませて私のお墓に入れてあげるね。」
 刹那は言葉に隠した意味を読み取ってくれたのか、呆れたように「俺はお前より先に死なない。」と言った。
「だから、俺はお前の墓には入らない。お前が俺の墓に入るんだ。」
「…ね、それはプロポーズとして受け取っていい?」
「受け取ってもらわないと困る。それに、お前が先に言ったんだろう。」
 わたしって、ほんとう しあわせものだなあ。


I'm always by your side.
image song is Yuna Ito,"trust you".
20110820