私のいた時間よりも私のいない時間を愛してください | ナノ

 暇だったのでふらりと家を出て、いつもは使わない道を通って近所を歩いていた。そうしたら、ふんわりと良い匂いが鼻を掠めたので、そちらに行ってみると出店のようなたい焼き屋さんがあった。そこらのスーパーなどで売っているたい焼きよりも大きめであんこもたくさん。お値段も‥‥スーパーで小さなあんまり美味しくないたい焼きを買うよりもこっちの方がお得じゃないか。そう思った私はポケットから財布を取り出して、たい焼きに近寄った。
「みっつ下さいな。」

 紙袋の中の魚は焼きたてで温かかった。どこで食べようかとぶらぶらしていると、家の近くの公園が見えてきた。この道ってここと繋がってたのかあと思いながら公園に向かって足を進める。陽が大分傾いてきていたので公園には常連の子供たちが一人もいなかった。冷たいベンチに座り、紙袋から一匹取り出して一口分だけ口の中へ。ああ美味しい。出店みたいで移動しているようなお店だったから、もう見つけられないかもしれないなあ、3つじゃなくて10個くらい買えばよかった。でもそんなことしたら私の財布が泣くか。
「名字じゃん。」
 突然頭を掴まれて上に向かせられた。びっくりして瞬きをすると、教科書の代わりにお菓子がたくさん入ったエナメルとテニスラケットを持った丸井がいた。
「丸井じゃん。」「何食ってんのお前。」「さかな。」「たい焼きだろい。」「分かってるなら聞かないでよ。」「どこで買ったんだよ。」「あっちの角曲がって左行って坂上ったところ。」「遠いな。寄越せ。」「え、やだよ。」
 丸井が隣に置いていた紙袋に手を伸ばした。食べかけのたい焼きを咥えて、さっと残りの2匹も助けて丸井から距離を取ると丸井は手を伸ばして、咥えていたたい焼きを盗った。
「ん、美味え。」「ちょっ、何食べてるの返してよ!」「えっ何言ってんだよい。間接キスになんだろうが。」「そっくりそのまま返す。」
 丸井がごっくんと魚を咀嚼して飲み込んだ。私のおさかな!丸井はしてやったりとでも言いたげな顔でにい、と笑うと私が助けた2匹を紙袋ごと私の腕の中から華麗に取り上げた。
「待って!私1匹も食べてない!」「マジかよい。しょうがねえから1匹分けてやるぜ。」「もともと私のだし!返せ!」「おっと。」
 紙袋が私から逃げるように空を泳ぐ。
「ちょ、そんな風に振り回したら魚が飛んでっちゃうって!」「魚は飛ばねーし。」「意味を推測しろっての!」
 誘うように逃げる丸井のもとへ大きく一歩を踏み込むとぐいと腰を引き寄せられた。片手で紙袋を持ち、もう片方の肩にエナメルとテニスラケットを掛けて私の腰を掴んでいる丸井に、器用だと感心せざるを得なかった。
「ほい、1個。」「1個じゃなくて2つとも返せ。つか顔近い‥。」「俺だって食べたいし。」「買ったの私だし。」「‥‥いいこと思いついた。そんなに食べたいんなら、いっそのこと残りはチューしながら2人で食べようぜい。」「‥は?」「ポッキーゲームの要領でやれば出来るだろい。」「待て。何で私が丸井とチューする方向になって、」
「俺がしたいからいいだろい。」
 さかながあまい。


およぐさかな/20110427