吐き気のするような眩暈の中、恋をした


(学パロ注意!)


少しずつ春の訪れを感じながらも、まだまだ生足女子高生には辛く厳しい今日この頃。扉のノブ如きにさえも、その冷たさで心を抉られる。
すっかり冷えてしまった指先はホットミルクティーで救助しつつ、人気のない屋上に足を踏み入れた。

「うぅー。寒いなぁ」

容赦ない北風に思わず身を屈める。無防備なスカートの隙間から不埒な風が進入するのを防ぐためだ。

天文部のソーマ先輩が設置したと噂の簡易ベンチに腰掛けると、少しだけ木材の軋む音がした。
毎度のことながら壊れないことを祈りつつ、全ての体重をその椅子へ預ける。


微睡むような午後の陽射しはほんのり暖かく、風さえなければ極楽浄土だった。
あーあ。もし学校から特等席が与えられるとしたら、ここがいい。そんなことになろうものなら、ソーマ先輩はブチ切れそうだけど。

そんなどうでもいいことを考えていると、グランドの方から活気溢れる若者の掛け声が聞こえてきた。

「っと!のんびりしてる場合じゃない」

ベンチから立ち上がり、フェンス越しに狭いグランドを見下ろす。
脳筋運動部員達が、狭い土地を奪い合いながら喧しく活動している。その中からお目当の背中を探すのが最近の日課だ。

最初こそ目的の背中を探し出すのに苦労したが、最近は大体検討はつく。
なぜなら、その人は日毎に私の中で存在感を増していくからだ。体内にセンサーみたいなのができたかのようにその人が近くにいるとすぐわかってしまう。

「いたぁ」

土埃が舞うグランドの外周を一人颯爽と走る少年。彼こそが、私のお目当の人。ジュリウス先輩だ。

ソーマ先輩と同じ学年で、成績優秀、スポーツ万能。品行方正でカリスマ的な存在。憧れている女子は多い。
非公式なファンクラブがあるという噂も聞く。と
にかく神様から二物も三物も与えられたパーフェクトヒューマンなのである。

まるで人形のように綺麗な金髪が足を踏み出すたびに風に揺れて、思わず見惚れてしまう。彼の髪に触れられる風になれたらどんなに良いだろう。そんな妄想ばかり膨らんでいく。

「良いなぁ」

「なにが?」

「ひょえあっ!」

自分のものとは思えない声が出てしまった。心臓がとんでもない速度で脈を打つせいで息が上がる。
恐る恐る振り返ると、そこには見慣れた人の姿があった。

「ろ、ロミオ……先輩」

「よっ」

人の気も知らずに陽気な挨拶で返してくれるこの人は、ジュリウス先輩と同い年のロミオ先輩。
しかし、その人気も実力も知名度も月とスッポンほどに差があるらしく、中々話題には上がらない。
残念系だが、親しみやすさはピカイチで後輩の面倒見も良いムードメーカー人だ。

実は少し前まで所属していたバスケ部の先輩でもあり、わりと親交がある。

「何だよ。部活辞めたと思ったら、こんなとこにいんのか?」

「別にここに来るために部活を辞めたわけでは……」

ロミオ先輩は「ふーん」と納得してなさそうな相槌をして、ソーマ先輩特製のベンチに腰掛けた。私と同じく木材が軋む音。
あの音を鳴らすのが、私だけじゃないんだと少し安心する。

「そーいや、何してんの?」

「え? いや、特にこれと言って何も」

楽しそうに笑うロミオ先輩から視線を外し答える。こんな反応をしては、如何にも何かあります的な感じで凄く恥ずかしい。
案の定、先輩は「嘘つけ。良いなぁとか独り言言ってたじゃねぇか」と痛いところを突いてきた。

誤魔化せない。
この人は、誰とでも仲良くて軽そうに見えるけど、意外と他人のことをよく見ている。
その観察眼といえば、あの人間観察マシーンであるリヴィ先輩も認めるほどだ。

「ジュリウス先輩が……いたので」

「ジュリウ

黙って頷く。
なんでこんな馬鹿みたいに正直に言ってしまうんだろう。
本当に自分が嫌になる。

「お前って、ジュリウスが好きなの?」

「だ、ダメですか?」

質問に質問で返してしまった。バイトの求人雑誌に御法度の一つとして書いてあった気がする。
まあ、でもロミオ先輩ならいいか。

「ダメとかじゃねーけど、お前って意外とミーハーなんだな」

「み、みーはーですか?」

確かにジュリウス先輩は嘘ですかってくらい人気があるし、ファンクラブが発足されているほどの人気者だ。
しかし、私は彼が人気者だから好きなわけではない。あの一生懸命に走る姿、真剣な眼差し、一貫してぶれない態度。

あの人を構成する全てが好き。

別にファンクラブがなくて、人気がなかったとしても私は多分あの人に惚れていたのだと思う。

「もっと身の丈にあった恋人を探すべきだと思うぜ」

「身の丈にって、凄い失礼なんですけど」

ロミオ先輩は人の気も知れずケラケラと声をあげて笑い出す。

この人みたいに気軽に話せたらどんなにいいだろう。

別に毎日とは言わない。
数ヶ月に一度くらい。
いや、織姫様と彦星様みたいに一年に一度だって構わない。

他愛もない話でジュリウス先輩の笑顔が見られたら、それだけでいい。

叶うはずのない妄想だけが、惨めな私の心を宥めてくれる。

「っていうか、人のことどうこうよりもロミオ先輩は何しに来たんですか?」

「へ? ああ、まあ。あれだよ。あれ」

明らかに目が泳ぐロミオ先輩。怪しい。
もしかして、彼もここから何かを探しに来たのだろうか。

そう言えば、ユノがお気に入りなんだとか噂で聞いたことがある。

でも確かユノはコーラス部だからグラウンドにはいないはずだけど。

「な、ナナがさ!おでんパン作るとかって言って調理室入ってったから、お前にも食わせなきゃと思って」

「え。またあの変なパン作ってるんですか?」

「そーだぞ。お前の相方だろ、何とかしろよ」

「え?あ、ちょっとロミオ先輩っ、押さないでくださいよっ」

先輩は立ち上がり、私の背中を押す。もう少しジュリウス先輩を拝んでいたかったけど仕方ない。後ろ髪を引かれる思いで、家庭科室へと向かった。


***



「ナナ、あいつどこ行ったか知らねぇ?」

「特に聞いてないけど、たぶん屋上じゃないかな」

立ち込める湯気の向こう側でナナが曖昧に答える。今日も今日とて、例のおでんを煮込んでいるようだ。隣のテーブルには大量のコッペパンが転がっている。これ全部自分で食べる気だろうか。
先ほど昼飯を終えたばかりの身としては中々理解しがたい光景であった。

「ふーん。最近よく屋上行くよな」

「なんかねぇ、屋上からグラウンド見てるみたいだよ」

「グラウンド?」

ナナが興味深そうな単語を口にする。この時間帯のグラウンドと言えば、野外競技の運動部が馬車馬のように走り回っている頃だ。つまり、運動部の誰かを眺めているということか。

別にあいつがどこで何をしてようが俺には関係のないことだけど、サボリ魔を捕虜するのは俺の役目だった。
あ、そういえばあいつ部活やめたから捕虜する必要もないのか。
いや、でも元部員を心配するのは先輩としての務めだと思うし、別に変ではないよな。うん。大丈夫。

そうやって自分をなんとなく納得させると、俺は家庭科室を出て屋上へ向かった。その時間にして、約5分弱。扉の小窓から差し込む陽射しがすごい柔らかそうで、そこがとても神聖な場所であるかのような雰囲気だった。

陽射しとは裏腹に凶器的に冷たいドアノブに手をかけて、扉を開く。一瞬で凍えるように冷たい風が身を包んだ。
もう春だと言うのに一向に暖かくなる気配がない。先ほど扉に射し込んでいた優しい陽射しは幻だったのではないかと疑うほどである。

陽射しの眩しさに目が慣れると、フェンスに寄りかかる女子生徒の後ろ姿が見えた。
紛れもなく目的の人物。
探していた背中。
久々に見たその後ろ姿には、部活を辞めてから伸ばし始めたという髪が暇を持て余すかのように揺れていた。

すぐに声をかけようかとも思ったが、こちらに気づかず何かを夢中で追いかけている彼女に何だか悪戯心が働いてしまう。
音を立てずにそばに近寄る。
彼女は背後を気にする様子もない。

「良いなぁ」

「なにが?」

「ひょえあっ!」

彼女は、まるでこの世のものではないモノを見たかのようにオーバーな挙動で出迎えてくれた。我が後輩ながら満点をあげたいくらいのリアクションである。

ソーマさんが作ったと噂のベンチに腰掛けて、なぜこんな場所にいたのかと問えば、すんなりと「ジュリウス先輩がいたので…」なんて返して来た。
暴露した彼女は、もう火が出るのではないかと思うほど真っ赤に頬を染めて、恥じらいながらもどこか嬉しそうだった。

こんな彼女は見たことがない。
試合でゴールを決めた時だって、帰り道にアイスを頬張る時だって、部長に退部届を叩きつけた時だって。
ずっと傍で見て来たはずのに、そこにいるのは俺の知らない彼女だった。

俺の知らない彼女。

あんなに一生懸命だった部活を辞めて、ぼんやりと恋をする彼女。
あー。すげぇモヤモヤする。苦しくて吐きそうだ。ナナのおでんパンにだって耐えられるのに。

「もっと身の丈にあった恋人を探すべきだと思うぜ」

苦し紛れに口をついたのはそんな嫌な言葉だった。もっと励ますような言葉をかけるべきだったのに。心が言うことを聞かない。自分が自分でないみたいでとても苦しかった。

「身の丈にって、凄い失礼なんですけど」

俺の不躾な言葉に彼女は唇を尖らせながら頬を膨らます。人の気も知らないで、そんな表情を見せるから思わず笑ってしまう。
気づかないことがある意味で救いだった。応援してやりたい。あんなに好きだったものを諦めたこいつには。幸せになってほしい。

……そう思ってたはずなのに。
つーか、気づいた瞬間に失恋してるってあんまりじゃね。

「っていうか、人のことどうこうよりもロミオ先輩は何しに来たんですか?」

いかにも怪しそうな目でこちらを見ている。何となく、探しに来たとは素直に言えず、ふと思い出したナナのおでんパンの試食会の誘いだと誤魔化した。

うまく話題が切り替わり、なんとか彼女を屋上から引っ張り出すことに成功した。
しかし、正直こんなことしたって彼女の気持ちが変わるわけもなく。

悪足掻きでも良い。
俺だけを見て欲しいなんて言わない。

ただ、この一瞬だけ。

後ろ手に閉めた扉のノブが、さっきよりも冷たく感じたのは、きっと彼女の背中がとても温かかったからだと思う。


気付いた時には恋心になっていて、自覚した時にはすでに失恋している。

そんな恋もあっていいじゃないか。
報われる恋だけが、恋じゃない。

おでんパン食ったら、応援するよ。

だから、もう少しだけ、お前のこと好きでいさせて。


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