行為がキスであったことが問題なのではない、相手が上司であったことが問題なのだ


常識とは俺達の身の回りに空気のように存在している。普段は目に見えないが、何かの拍子に意識するとその存在が妙に生々しく輪郭を表す。

例えば、今現在。

俺の目の前には健康的な四肢を惜しみなくさらけ出した何とも無防備な部屋着姿で眠っている女がいる。
彼女は、粒揃いのブラッド隊を上手にまとめる若き部隊長様だ。世界の危機を2度も救ったハイスペックゴッドイーターである。
そんな歴史に名を残すような偉大なゴッドイーターが、なぜ俺の前で眠っているのか。その発端は20分前まで遡らなければならない。








「宿泊地が確保できない?」

『ええ、大変申し訳ございません』

そんなフランの申し訳なさそうな声色に俺達は顔を見合わせる。

中距離の遠征へ出かけている最中、宿泊を予定していた外部居住区で感染性のウイルス疾患が流行した。
予約した宿泊地は感染者を看病するためにベッドを全て解放することとなり、俺達の寝るはずだったベッドには既に病人が寝込んでやがるらしい。
俺達が出向いてどうなるわけでもなく、むしろ無理に出向いたところで感染しては迷惑をかけるだけになる。

俺達は宿での休息を諦め、野宿をすることにした。幸い、移動用の車両はキャンピング用途を兼ねたものであり、所謂車中泊ができるタイプのものだった。

「んー。ベッド1つしかないね」

寝台の準備を終え、車内を見渡す隊長は頭を悩ませる。確かに隊長の言う通り、寝台は一台のみだが、サイドにソファがあり、そこで横になることは可能なようだ。そこで寝ることを提案すると、隊長は「じゃあ、私がこっち」とそそくさとソファに腰を下ろす。

「待て。普通、逆だろ」

「ギルの方が身体大きんだから、大きい方のベッドで寝てよ」

隊長は、当然でしょ、と言いたげな顔でそう呟く。しかし、こうした場合、上司という立場としても、女性という立場としても、隊長がソファで寝るという選択肢は相応しくないように思う。
その旨を隊長に伝えると彼女は首を横に振り、「こういう場合は、二人が如何に体力を効率的に回復できるかを考えるべきだと思うのだよ」と胸を張って主張する。
確かに隊長の言いたいことは分かる。しかし、俺にもプライドというものが僅かながら存在し、その在り方を素直に受け入れられずにいた。

互いの譲れぬ主張合戦が15分ほど続いた結果、痺れを切らした隊長はとんでもない提案を持ち出した。

「なら、ベッドとソファをくっつけて1つの大きなベッドにすれば良いんじゃん!」

彼女の提案に呆気を取られている間に事が次から次へと進んでいき、やっと「待て」と言う言葉を掛けようと思った矢先には既に大きなベッドがメイキングされて、いつでも寝られる準備が整えられていた。

ふざけんな。どうすんだ、これ。

「我ながらナイスアイデアすぎて恐ろしいわ。こんなことを思いつくなんて、やっぱり冴えてるのよね」

自画自賛しているがこの発想のどこがナイスなのか、是非とも解説願いたい。
嫁入り前の娘が男と同じ布団で寝ることの意味を考えた事がないのか。いや、無いからこんな事になっているのだろう。
むしろ、そういう事が出来てしまうということは微塵も男として見られていないと言うことではないだろうか。
車中泊如きで、なぜこんなにも悩まなければならない。だんだん腹が立ってきて、酒で気を紛らわそうと鞄を漁るも運悪く酒は入っていなかった。

「ふぁーあ。そろそろ寝ようよー。明日も任務あるし」

隊長は大きな欠伸をして、重たそうな瞼を擦る。気づかなかったが、いつの間にか普段着ているブラッドの制服から大きなTシャツへと着替えてやがる。
普段こんな格好で寝てんのか。大きな袖口から伸びる細い腕。歩くたびに揺れる裾からは健康的な太ももが惜しげも無くさらけ出されている。そして極め付けは、長く着ているのか、幾らか緩くなっている首元から見える鎖骨から胸元にかけてのライン。
ナナのように常日頃から見慣れてはいるやつは何とも思わないが、普段は隠されているそれらには男として反応してしまいそうになる魅力を感じざるを得ない。

待て。俺はこれからこんなのと同じ布団で寝るのか?

「ギルーはやくー」

早々に合体させた巨大ベッドに潜り、大きく空いた隣のスペースをぽんぽんと無邪気に叩く隊長。
仰向けに寝られると胸の形がより明瞭に浮かび上がり、不本意ながら思わず生唾を飲み込んでしまう。
隊長が寝て起きるまでの時間、あんなものを見せつけられているのかと思うとそれだけで疲労が溜まりそうである。無論、そんなことは口が裂けても言えない。

「先に寝とけ」

「えー。またお酒でも飲むの?」

先ほど鞄の中を覗いたが、それらしきものは入っていなかった。しかし、ここで隊長に先に寝てもらうにはその言い訳以外に思いつかない。
咄嗟に水の入った瓶を手に取り、「お前も飲むか?」とそれらしく演技してみると、隊長は「いらない。あんまり飲みすぎないようにね。おやすみ」と潔く諦めて寝てくれた。
しんどい。しかも手に持っているこの中身が酒ではない事実がさらにしんどい。
このまま寝ずに夜を過ごすか。

明日の任務命令をオーダー表で確認すると討伐すべき大型種2体と感応種1体の属性と名前及び、リッカに頼まれている回収素材が所狭しと書き並べられていた。
早く終わらせてアナグラに戻りてぇ。いろんな意味で。

「んー」

オーダー表をテーブルに戻すと同時にベッドの中から微かな寝息が聞こえてきた。冷静になって考えてみれば、何だこのシチュエーションは。女と寝た事がないわけではないが、それはつまりそういう行為に及ぶためである。
もう言わずもがなではあるが、俺は隊長を隊長として慕ってはいるが、女として見ていないわけではない。
そりゃ、男として女の寝息が聞こえてきたら反応してしまうのも無理はないわけで。
何を思ったか、おれは恐る恐るベッドへと近づき、上から隊長の寝姿を眺める。






今までに経験したことのない類の緊張感が全身を襲う。自分の心臓の鼓動がクリアに聞こえてきて気持ち悪い。

女の寝てるところを覗きに行くとは、もうハルさんを批判できる立場ではない。


どんな夢を見てやがるのか、気持ち良さそうに口をもごもご動かし、笑っている。
可愛いを通り越して、今すぐ抱きたいレベル。

だが、冷静に考えろ。
こいつは、俺をどうとも思っていない。俺がこうして寝顔を見物しているなど、夢にも思っていないだろう。
そんな隊長に下心丸出しで近づいていい訳がない。

半ば強引に冷静さを取り戻し、テーブルに戻ろうとした瞬間だった。

「…ギ、…ル」

寝ぼけながら人の名前呼ぶとか狙ってんのか。それとも挑発されてんのか。

なけなしの理性で何とか正気を保とうと努力したものの、隊長の一言でそれは脆くも崩れ落ちた。

わかってる。
こいつは、良かれと思ってこの状況を作り出し、ただ無意識に俺の登場する夢を見ているだけ。
意地悪でも、悪気でも、悪意でもない。
ただ、純粋で優しくて人が良くて、少し常識外れなだけだ。


しかし、もう止められない。除隊だろうが、懲罰房だろうが甘んじて受け入れる。

ベッドへ戻り、意を決してベッドへ潜り込んだ。
スプリングが軋む音が妙に生々しく、この異質な状況を現実だと知らしめる。

目の前には隊長の寝顔。当たり前だが、初めて見る。
少し息を吸い込むと仄かに甘い香りがした。それは男を興奮させる女特有の香り。頭に血が上りクラクラする。まともな思考能力が麻痺していく。

「たい、………なまえ」

目の前で眠る女の名を呼んでみる。そう言えば、面と向かってこいつを名前で呼んだ事がない。俺がブラッドに入隊し、程なくして、こいつは副隊長に出世して、そこからはずっと「副隊長」だった。無論、隊長に就任してからは「隊長」と呼んでいる。名前で呼ぶほどプライベートな付き合いがあるわけでもない…というより、プライベートな時間を作る暇がない。

故に名前で呼ぶと、今更ながら気恥ずかしい。
幸か不幸か、なまえは寝たままで反応はない。


どうする俺。
多分二度とない千載一遇のチャンスをものにしてアバンチュールを楽しむか、それとも上司と部下という穏便で居心地の良い立場をこのまま保ち続けるか。
二択であり、二者択一であり、二つにひとつであり、あれか、これである。




だが、待て。
この選択権は本当に俺にあるのか?
もし、万が一手を出して泣かれたらどうする。
なまえは部下として俺を慕っている。男としては見ていない確率の方が圧倒的に高い。受け入れてもらえる確率など0に等しい状態だろう。

何をのぼせ上がっていたのか。こういう行為は相手との同意がなければ、ただのセクハラだ。そんなこと常識じゃねぇか。
よかった。やる前に気づいて。ありがとう、冷静な俺。ありがとう、常識。


まあ、頭で納得していても身体は無条件に反応してしまう可能性は大いにある。現に下半身に熱がこもってきそうな予感がするため、そっとベッドを抜け出す。まだ未遂だ。許せ、隊長。

「ギ、ル……んぅ…もう、少し」

また俺の理性を崩壊させるかのような寝言。夢の中の俺はさぞかし美味しいシチュエーションにいるんだろうなと推測する。俺の分まで楽しめよ、夢の中の俺。

「……」

ベッドの外から名残惜しく隊長の寝顔を見下ろす。相変わらず気持ち良さそうに眠っている。俺の出てくる夢がそんなに楽しいのか、と自惚れてしまいそうになる。現実の世界で寝込みを襲われそうになっていたなんて、それこそ夢にも思っていないだろうな。

「隊長……」

乱れている前髪を払い退けると、絆創膏が貼られた白い頬が姿を現す。
溜息を吐いて、周囲の気配を今一度確認する。

静かにその頬へ唇を落とす。


「これぐらい許せよ」

寝ている隊長にそう言い残し、俺は神機を手にして車の外へ出た。

明日の朝、顔見られる自信がねぇ。





title by 不在証明


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