わたしなどのあずかり知らないところで、世界は確実に変動している
それからの一週間は自分史上最高に面倒で退屈で窮屈な一週間だった。きっとこれまでもこれからもこんなに最悪だと思う一週間は、きっとない。
それは私が根暗で内気でネガティブ思考であることを除いても、やっぱり最悪なんだと思う。
あの日、私を庭園まで連行した生真面目優等生のジュリウスは顔を合わせるたびに説教を垂れてくるようになった。
エレベーターの扉を押さえ付けながら放った捨て台詞を忠実に守るために。
自分の価値を軽視するな、とか。
お前には違う才能があるはずだ、とか。
性交はもっと特別な行為なんだ、とか。
好きな相手ができたときに絶対後悔する、とか。
熱血教師のような青臭い説教をほぼ毎日聞かされる。最初は一つ一つに反論を返していたが、そろそろ面倒になって聞き流すことがほとんど。
最後の方はもうほとんど呪文だった。暗号の如く難しい言葉をつらつらと。頭が痛い。
正直、うんざりだ。
しかし、私の置かれているそんな状況を局長やその他のお客様が把握しているわけもなく。まあ、把握していたとしても娼婦の事情を気遣うお客様なんていないだろうけど。
今日も局長室を後にする。真っ先にエレベーターを目指して走った。
抱かれた後で疲れているはずなのにジュリウスから逃げるためだと思えばなんてことはない。
しかし、彼は厳しかった。
飛び込むように乗り込んだエレベーターの中でばったり鉢合わせ。それが偶然なのか、彼の計算なのかは定かではないが、ジュリウスはどちらとも解釈できる笑みを浮かべて私を見る。
「奇遇だな」
「……」
「丁度、お前を説得するための資料を用意したところだ」
「……」
「さあ、庭園に行こう」
私が一言も話していないのに会話が勝手に成立してしまっている。
本当にこんな一方的なお説教が私のためになると、彼は思っているのだろうか。
これから始まるであろう、地獄のようなお説教タイムを思うとため息しか出てこない。
なぜ、私がこのお説教タイムを抜けられないのか。もちろん逃げる隙がないわけじゃない。実際、一度だけ逃亡を図ったことがある。
でも、相手は戦場で敏速に動くアラガミ相手に戦うゴッドイーター。しかも精鋭部隊を率いる隊長ときた。ただ性交を生業にして生きてきた私が太刀打ちできる相手ではない。
そんなわけで逃げるという行為が無駄だと悟ってからは大人しく時間が尽きるまで彼の説教に付き合っている。
皮肉にもより多くの予約を得ようと奉仕のテクニックや演技の幅、性器の具合などは一週間前より格段に向上した。その甲斐あってか多少は予約や延長が増えけど、もちろん、感謝なんかしていない。
「今日は情愛について話そうと思う」
「はあ」
「情愛とは…」
普段、生活していく上では全く聞かないであろう言葉を並べながらジュリウスは『情愛』とやらについて熱弁を始める。
それが、あれで、しかし、それこそ、読み取れるのはそういった接続詞のみ。肝心の内容は全くだ。
しかし、この人はどうして私なんかの為にこうも熱くなれるのだろう。私がどこで何をしていようと彼には関係ないはずなのに。
隊長と言う役柄、他人にお節介を焼きたくなる人種なのだろうか。それにしたって、この執着は異常じゃないか。
私は生唾を飲み込み、カラカラの喉を潤した。
「あ、あの」
絞り出すように口をついたのは小さく掠れた声だった。
「どうした。質問か?」
「い、いえ、そうじゃなくて!」
さっきまでマシンガンのように『情愛』について解説していたジュリウスは壊れたかのように黙って私を見る。
久しぶりに私が反応を示したため、驚いているのだろう。
「どうして、そんなに構うんですか」
「言っただろう。お前に娼婦を辞めさせるためだと」
「そ、そうなんだけど……別にジュリウスには関係ないじゃん。どうして赤の他人の私にそこまで執着するの?」
思わずジュリウスと呼んでしまった。しかし、発してしまった言葉を取り消すことはできない。私は自己嫌悪に駆られて俯く。つま先から伸びる影を見て、自分の両肩が凄く上がっていることに気付いた。そういえば最近肩こりが酷いと思ったらこれか。私はゆっくりと脱力する。
「なまえとここで初めて話をした時、凄い不思議な奴だと思った。俺が今まで出会ったことのない種類の人間だと」
「……」
「だから、お前を理解したいと思った。その上でお前に相応しい生き方を一緒に模索したいと」
ジュリウスは真顔で呟いた。
は?、と言葉にしようとしたけど上手く出てこない。口だけがその形になって固まった。
これはもう呪文を通り越して異星語だ。
この人は人型のエイリアンだ。
思考回路が普通の人間とは違うんだ。だから、彼の言動が理解できなかったのだ。
私は再び肩の力を抜いて深呼吸をし、高揚した気持ちを落ち着ける。相手はエイリアンだ。人間でも底辺の方にいる私が対応できる相手ではない。まともに取り合った時点で勝ち目はないのだ。
「お節介です」
「自分でもそう思う」
困ったように笑うジュリウス。この人の笑った顔、初めて見た気がする。
「でも、お前の生き方を無理やり変えようと思っているわけではない。俺が考えうる全ての方法を使ってもお前が今の生き方を選ぶと言うのであれば、きっとそれがお前に相応しい生き方なんだと納得する。しかし、」
「しかし…?」
「俺の行動で少しでもなまえの気持ちが動いてくれる可能性があるなら、それに賭けたいと思ったんだ」
「可能性なんて……」
「ないと思うか?」
ジュリウスの真っ直ぐな瞳が私を捉える。まるで蛇に睨まれたカエルのように指先一つ動かせない。
私はこの人の食べられてしまうんだろうか。
死骸すら残してもらえないほど食い尽くされ、今いる私と言う存在は消えてなくなってしまうんだろうか。
そんなわけない。こんな綺麗な場所で生きてるしがないエイリアンの言動なんかで、十数年続けてきた生き方が変わるわけない。
そう確信しているはずなのに。
私は歯を食い縛り、なんとか首を立て振った。振った、というよりは脱力して首が垂れたと言った方が正しいのかもしれない。
「そうか。……では、あと一週間だ」
「は?」
「あと一週間でなまえの気持ちを動かせなければ、もうお前を説得するのを諦める。お前の今の生き方を認めてもう口出しはしないと約束する。だから、あと一週間だけ俺に付き合ってくれないか」
あの苦痛があと一週間も続く。でも、あと一週間を乗り越えれば、もう一生付き纏われなくて済む。
また何も考えずに身体を差し出すだけの日々に戻れる。
私は意を決した。
「……一週間だけですよ」
「感謝する。改めてよろしく頼む」
ジュリウスは腕輪のない左手を差し出す。
迷いつつも、私はその手にそっと、自分の手を重ねた。
*
title by 不在証明
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