私の涙に君を引き止める力があるのなら、からだが干乾びたってかまわないのに


(微ネタバレ注意です!)









「だから……もう、俺がいなくても大丈夫だな」


静かに暮れゆく夕日に照らされて穏やかに夜を待つ愚者の空母で、彼は私にそう告げた。隊長は穏やかに微笑みながら私を見る。

冗談でそんなこと言う人じゃないって知っているから、その先の言葉を聞きたくなくて、今すぐ耳を塞ぎたくなった。


でも、彼は私のことを「副隊長」と呼ぶから、私は彼の言葉を最後まで聞く義務がある。

今日は二人だけの任務。私と隊長の他には誰もいない。逃げることも隠れることもできない。

震えている左手に力を込める。下唇を噛み締めて、今にも溢れてきそうな涙を必死で堪えた。口の中で微かに鉄の味が広がっていく。




ずっと憧れていた。

任務が終わった後、よく頑張った、って言いながら頭を撫でてもらうのが好きだった。

彼の背中を預かるのに相応しい人間になりたくて、どんな難しい任務でも立ち向かっていけた。

時を共に過ごしていく中で様々な一面を知って、いつからか憧れだけじゃない恋心を自覚した。その凛々しい姿を見るたびに胸が高鳴っていた。

でもそれは、伝えてはいけない気持ち。
隊長にフラれるのが怖いとか、気まずくなるのが嫌とか、そんなことじゃなくて。副隊長としてしか私を見ていない隊長を困らせたくなかった。

そういう対象として見てもらえなくても、隣を歩いて笑っていられるだけでよかった。


もちろん、それが永遠に続いてくなんて夢みたいなことを思っていたわけじゃない。ゴッドイーターである以上、常に死と隣り合わせだし、人間だから命に限りはある。

いつか離れ離れになってしまうことも覚悟していたつもり。


でも、その日がこんなに早く来てしまうなんて夢にも思っていなかった。




「あとは俺が何とかしてみせる。だから……」

「……」

「それまで……あいつらのことを、頼む」


隊長の言葉が胸の中に染み込んで溶けていく。その一語一句を理解するたびに膝から崩れ落ちて、泣き喚いてしまいたくなる。

そんなの嫌です。

ずっと一緒にいてほしいです。

喉の奥で待ち構えているそんな言葉達が声になってしまうのを堪えるに必死で、ただ壊れた人形みたいに頷くことしかできない。

私がもっと弱かったら、隊長は一緒にいてくれたんですか。お前には任せられないって言って、脱退せずに隊長のままでいてくれたんですか。


隊長と一緒にいたくて強くなったのに、それってあんまりだ。


視界の隅で静かに漂う波も、風に揺れている小さな花も、隊長と一緒ならいつだってキラキラと輝いて見えたのに。今では全て色を失ったみたいに灰色。


隊長と一緒にいられなくなるだけで、世界はこんなに変わってしまう。まるで、世界が死んでしまうみたい。


いや、どうせなら、このまま世界が終わってくれればいい。そうしたら、隊長と離れなくて済む。

いくらゴッドイーター失格だと言われても、私にとっては隊長と一緒にいられない世界なんて、守る価値がない。


それくらい隊長のことが、どうしようもなく、好き。




「…隊長」

「……」


返事はせず、視線だけをこちらに向ける隊長。相変わらず綺麗な瞳。その瞳に私が映ることはないのだろうか。もう優しい眼差しで私達を見守ってはくれないのだろうか。


「私、皆を率いることなんて…」

「お前にならできるさ」


隊長の手が俯いていた私の頭上に掲げられる。でも、撫でてくれる気配はない。ふと顔を上げると隊長は寂しそうに笑っていた。それは、まるで今にも壊れてしまいそうな脆いガラス細工みたいな儚さがある。

行き場を失っている隊長の手を掴もうと手を伸ばした時、それを見てしまった。


黒い、蜘蛛の痣。



「隊長、それって…」

「あいつらには言うなよ」

「でも、すぐサカキ博士にっ!」

「いいんだ。そんな悠長に治療を受けている暇はない」


隊長はどうせ、治療法は確立されていないからな、と自嘲気味に続けた。これじゃあ、最後に手を取り合うことすら許されない。

私は神機を手放し、両手で顔を覆う。目頭が熱くなり、もう涙が止められない。我慢しようとすればするほど苦しくなって嗚咽が漏れる。

どうして、貴方がそこまでするの。

何が、貴方をそこまでさせるの。

ずっと傍にいたはずなのに何もわかっていない自分に苛立つ。今更、彼の背負っていたものの大きさに気付くなんて、副隊長失格だ。

こんな無能な私に皆を率いることなんて出来ないです。隊長の期待に応えることなんて私には、もう。






どれくらい泣いていたのだろう。涙は枯れることなく、まだ視界を歪ませるけど、心は幾らか落ち着いてきた。私達は堤防に肩を並べて座る。もう少しで太陽は水平線へ沈んでいくようでオレンジ色の日差しは徐々に弱まっていく。


「俺は、」

「……」

「お前達を守れるなら、この命すら惜しくない」


清く濁りのない声。隊長はいつも以上に落ち着いていて、冷静なように感じた。それが余計に私の気持ちを悲しくさせる。もう、本当に隊長はブラッドを出ていくのだ。私が初めて涙を見せても、考慮の余地などないくらい隊長の意思は強固なものだった。


「人類を守れなくてもお前達が無事なら、それで良いとさえ思った」


じゃあ、どうして私達を置いて行くんですか。そう問い詰めたくなる。でも、隊長が私達を大切に思ってくれていることは痛いほどわかるから言えない。


「特にお前はいつも突っ走って、すぐに無茶をするから目を離せなかった」


突然、私の話をする隊長に思わず視線を向けてしまう。夕日に照らされた横顔が綺麗で思わず見とれてしまう。こんな時にバカみたい。また涙が溢れてきた。


「でも、お前は誰よりも輝いて見えた。必死に俺達の期待に応えようとする姿は本当に魅力的だった」

「…っ…」


魅力的。

隊長から初めて聞く言葉だ。そんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。何て言えばいいんだろう。ありがとうございます、そんなことないですよ、いえいえ隊長の方こそ。どれもそぐわない気がする。でも、他に返す言葉が思い浮かばない。


「気が付けば、そんなお前を目で追うようになって…」


静かな水面に一滴の雫が落ちて何重もの波紋を作るように、隊長の一言が胸に広がっていく。


「お前になら、ブラッドも、人類の未来も託せると思った」


隊長はあの寂しそうな笑顔で言う。なんて光栄な言葉だろう。かつて、こんなに人に称賛されたことなんてない。でも、ちっとも嬉しくない。


人類の未来なんかどうでもいいんです。自分の未来すらもいりません。


今、貴方といられるなら、それだけでいい。


そんなこと言ってはいけない。そんな確信が心を縛り付けている。彼が私を副隊長として接する以上、この気持ちはこのまま心の中で眠らせておくのが正解なんだ。私がどんなに恋焦がれて隊長と一緒にいることを望んでも、隊長はそれを拒絶し続ける。

わかっていたこと。



それが、彼の答え。



「隊長、」

「どうした?」

「ブラッドを抜けても、私達のこと…忘れないで下さいね」


精一杯力を込めて口角を上げる。上手に笑えているだろうか。せめて、隊長が安心してブラッドを抜けられるように。


「ああ、絶対に忘れない。……なまえを………ていたことも」


一際大きな風が私たちの間を裂くように吹き抜けていく。肺を満たす潮の香り。高く唸る波の音と重なって隊長の声が聞こえない。

それは、もう二度と聞き返すことの出来ない言葉。



隊長は立ち上がり、服に付いた汚れを払う。神機を手に取り、私に微笑む。いつもみたいに手を差し出してはくれなくても、この笑顔だけは変わらない。


「そろそろ行くか」

「はい。隊長」




これが、私が最後にジュリウスを『隊長』と呼んだ日になった。







*衝動で殴り書き。
title by 不在証明


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