注意深く偽って、それが愛なら止めないで
「隊長は誰かを好きだったことってありますか」
「唐突だな」
任務の報告書を作成していた隊長が手を止めて、配給品の整理をしていた私を見上げる。隊長はあの綺麗な瞳を細めて控え目に笑っていた。その表情は公園で無邪気に燥ぐ子供を見守る母親に似ていた。男なのに母親みたいとはこれ如何に。
「そうだな。ないと言えば嘘になる」
隊長は作業を再開しながら独り言のように呟く。
それは誰ですか。幼少期を共に過ごしたシエルちゃんですか、一番長い付き合いのラケル博士ですか、仕事仲間として信頼し合ってるフランさんですか、それとも布面積最小のナナちゃんですか。
私は彼の胸ぐらを掴んで問いただしたい衝動を抑えてターミナルを操作するフリを続ける。
「しかし、好きだった、というのは多少語弊があるかもしれない」
「と、言いますと?」
「好きだった、ではなく……今、好きである、と言うべきなのだろうか」
それはつまり、現在進行形で好きということだ。何だか一気に胸を抉られたような気がした。彼だってベテランゴッドイーターで一部隊の隊長であることを除けば、若干二十歳の男性なのだ。
人を好きになることだってあるだろう。 …というか、自分から質問しておいて勝手に失望している自分に呆れた。
「誰、なんですか」
さすがに胸ぐらを掴むほどの勢いも度胸もなく、穏やかにさり気無く聞いてみる。
「気になるのか?」
口角を上げて余裕の笑みを見せる隊長。私の心中を見透かしたようなその笑顔に思わず視線を逸らしてしまう。まるで短距離を全力疾走し終えたかのような息苦しさを感じた。
「ふ、副隊長として、隊長の精神的衛生管理のためにも把握しておくべきなのでは…と思いまして」
「随分仕事熱心だな。感心だ」
咄嗟に出てしまった意味不明な言い訳にも隊長は穏やかに返してくれる。こんなこと聞くのが副隊長の仕事なわけないじゃないですか。 でも「本当にそれだけか」なんて返されたら私は頭を沸騰させてどこか遠くへ飛び出してしまうところだった。
私がそうなってしまわないように気を遣われたのかと思うと、それはそれで恥ずかしいのだけれど。
隊長は手元に置かれた紙コップを傾けて、まだ湯気の立ち込める珈琲を飲む。規則的に上下する喉仏の動きがとても官能的で厭らしい。思わず、生唾を飲み込んでしまう。
「副隊長も飲むか?」
「え、あ、いえ、結構です」
首を傾げながら聞いてくる隊長の誘いを丁寧にお断りする。普通、自分が飲んだ珈琲を相手に勧めるだろうか。 この人はよくブラッドを血を分けた兄弟と言うけど、本当に妹みたいなものとして私を見ているのだろうか。それとも純粋に仕事をする副隊長に対しての労いとしてやっているのか。どっちにしてもたちが悪い。
どうせなら、今すぐその柔らかそうな唇を啄んで喉の奥から今飲んだ珈琲を吸い出してやろうかとさえ思う。きっと、紙コップで間接キスして飲むよりもずっと、ずっと美味しいに違いない。
…何考えているんだ、私は。
「そういえば勤務表を見たんだが、最近休んでいないみたいだな」
「休んでもすることないですし、寝ているくらいなら一体でも多くアラガミを狩るべきかと」
「良い心掛けだとは思うが、あまり不休を続けると身体に支障を来すぞ」
貴方に言われたくありません、とでも言ってもらいたのだろうか。
違う。
この人は本気で私の身体を気遣っているのだ。まるで疲れるまで遊び続けてしまう子供を心配する保護者のような気持ちで。
もし私がブラッドじゃない普通のゴッドイーターで血を分けた兄弟じゃなかったら、こんな風に心配したり、気を遣ってくれないのだろうか。
でも、その代わりに私を一人の女として見てくれるのだろうか。珈琲だって、ちゃんと新しいコップを差し出し、恋の話だってもう少し恥ずかしそうに語って「お前はどうなんだ」とか興味あり気に聞き返してくれるのだろうか。
考えれば考えるほど頭が痛くなる。お前には砂糖一粒ほどの可能性もないと言われているような気がした。
でも、何で話したこともないであろう他部隊員より毎日顔を合わせて任務に行く私の方が可能性がないなんて考えてしまうんだろう。
自分のネガティブ加減にドン引きだ。
「あの隊長」
「どうした?」
「私が不休でぶっ倒れたら困りますか」
私のぶっ飛んだ質問に隊長は目を丸くしている。何度も瞬きをして、きっと怖い顔をしているのであろう私を見る。
「あぁ。困るだろうな」
「それは、」
欠員が出て任務に支障が出るからでしょうか、と言いかけて言葉を飲み込む。なぜかわからないけど、きっとクローズドな質問は隊長に逃げ道を与えてしまう気がしたのだ。別に隊長と戦っているわけではないのだけど。
隊長はさっきの驚いた顔から、いつもの穏やかな笑みに戻る。さっき私がしていた下品な妄想も、見知らぬ他人にした嫉妬も、全て見透かしているかのような笑顔。
「お前が心配で任務が手に付かなくなるからだ」
どうしてこの人は私の心をかき乱すようなことばかり言うのだろう。やっぱり本当に全てを見透かしていて、私が悶々と悩む姿を見て面白がっているのだろうか。
「その言葉、シエルちゃんやナナちゃんにも言いますか」
「言わないだろうな」
「…どうしてですか」
泣けてきた。いや、もう視界が歪んでいる。笑っている隊長がよく見えない。
「任務が手に付かなくなるくらい心配してしまうのは、きっとこの世でお前だけだから、だろうか」
「……っ、…差別です、」
「そうだな」
どんなに辛い任務でも、決して涙なんか出ないのに。
今、隊長がどんな顔して私を見ているのか知りたいのに。
涙はまるで雨のように溢れだして私の視界を歪ませ、この史上最高に幸せな瞬間を拝ませてはくれなかった。
*体験版の時に思い描いていた隊長像です。 title by 不在証明
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