「帰ってくれ」

久しぶりのテニス部のオフ、柳の家で一緒に映画を見ながらのんびりしているところに突然掛かってきた幼馴染みからの電話が終了した後、彼は先程までとは違ったトーンであたしに告げた。聞き間違いではないかと反射的に出たえ?というあたしの言葉を聞いた柳は再びあたしを見ること無く帰ってくれ、と繰り返した。どうしたの、というあたしの問いに答えるつもりも無いらしい。とうとうあたしを置いて自室に入っていってしまった彼を止めることも出来ずにあたしは暫くぼうっとドアを見つめていた。

「な、んで…?」

あまりの突然の出来事に思考回路が追い付かない。しかし彼がこの場からいなくなってしまった以上、もうここにはいられない。あたしは重い体と心を引きずりゆっくりと柳の家を出た。午後2時、デートが終わるには早すぎる時間だ。外に出たはいいものの、このやり場の無い気持ちをどうにかしたくて、あたしは無意識に携帯の発信ボタンを押していた


「で、俺を呼び出したわけ?今日はせっかくのオフだから今から出掛けようと思ってたんだけど」

「だって、話せるのあんたしかいないじゃん」

「はあ…お礼はジュース一週間分でいいよ」

幸村精市。あたしと柳の関係を唯一知っている人間。実はあたしたちの関係は学校はおろかテニス部にも言っていない。理由は至極簡単なものでただ面倒な事になりたくないというものだった。確かにファンクラブに苛められたり白い目をされるくらいなら登下校を共にせずひっそりと休日に会う方がだいぶマシだと思ったからだ。故にこの関係を知っているのは何故か勘付かれた幸村ただひとり。だからこそ、あたしは彼にしか相談が出来ない。

「…なんでなのかな…あたし、何かしたんだよ、ね」

一通り話し終えると無意識にため息が出た。理性的な柳が理由も告げずただ帰ってくれと言いあたしをそのままに自室に戻った。それはつまりそれだけ酷いことをあたしが彼にしたという事。しかしどんなに考えてもその答えは見つからずただしきりに目尻から涙が零れ落ちるばかりだった。

嫌われたのだ。彼に。

考えたくもない言葉が頭から離れない。ただ黙って聞いてくれる幸村の前で、あたしは暫く泣き続けた

「なまえ、」

「…ん?」

一頻り泣き終えたあたしを待っていたかのように幸村が口を開いた。泣き腫らした顔の状態のまま顔をあげることは困難ではあったが幸村がもう一度なまえ、とあたしの名を呼んだのでゆっくり顔をあげると珍しく少し困ったような顔をした幸村がいた。

「その電話が来た、幼馴染みの子って?」

「え?小学校の時まで一緒だったミチルだけど…それが…?」

「…なるほどね」

どうして電話の話が出てくるのだろう。ミチルは関係無い。それに第一柳は、他の友人と未だ電話をしているのを聞いて怒るような人間ではない。と、あたしは思っている。少し懐かしい相手だったから長話になってしまう、なんて今までだってよくあったし確かにミチルはその中でも仲が良かったけれど恋愛対象ではないという事くらい、データマンの柳なら知っている筈だ。

あたしが好きなのは、柳だけだ

どうしても分からないと目で幸村に訴えると、はあ、とあたしに負けず劣らずな大きなため息を吐かれた。

「何、よ」

「なまえでも、名前で呼ぶ相手がいたんだね」

名前…?幸村の発した言葉の意味が分からず首をかしげると幸村は恋人は柳なのに、幼馴染みはミチル?俺なら彼女の事監禁してやるね。と付け足した。恋人は柳なのに幼馴染みはミチル?一体どういう意味なのだろうか。あたしが好きなのは確かに柳で、恋愛対象なんかじゃないのがミチル…柳、ミチル…

「あ」


あたし、柳と付き合って結構時間が経つのに、彼の事を名前で呼んだことが一度も無いや


「あんまり言いたくないから俺からはそれだけ。あとは蓮二に直接聞くと良いよ」

ほら、と後ろの席を指差す幸村。なに、と奥の席に目をやるとそこにはいつの間にか、柳が座っていた。幸村に呼ばれた柳は立ち上がりゆっくりと近づいてくる。どんな顔をして彼に会えばいいのだろうか、あたしはうつ向いてしまう事くらいしか出来なかった

「すまなかった」

うつむいたあたしの耳に聞こえたのは、柳からの謝罪の言葉。思わず顔を上げるとあたしに向かって深々と頭を下げる柳がそこにいた。違う、謝るのは柳じゃない。あたしだ。そう頭ではしっかり思っているのに言葉がなかなか口から出てこない。このままじゃ謝る事はおろか会話さえも成り立たない。そうなれば今度こそ、嫌われてしまうかもしれない。

「蓮二…」

一番最初に出た言葉が、彼の名前だった。ミチル以外の男性の名前を呼ぶなんて初めてで、その名前には違和感があったけれど、その三文字がとても愛しく感じた。れんじ。あたしの愛する人の名。

それを聞いた柳は驚いたのか顔をあげてあたしを見た。開眼した彼の顔は久しぶりで思わず笑みが零れてしまった。ああ、彼が愛しい。名前を呼んだだけで、あたしの言葉ひとつで計算高い彼の表情がコロコロ変わっていく。それがどうしようもなく可愛くて、愛しくて格好良くて

「なまえ…「ごめんね、蓮二。これからは、ちゃんと名前で呼ぶから。」

無理はするな、と彼は言う。
だからその前に彼の唇をあたしの唇で奪ってやった。今だけは周りの目を気にしなくてもいいでしょう?なんて思いながら。

いつの間にか幸村は帰っていて、携帯にやっぱりジュース一ヶ月分。とだけ連絡が来ていたのを見たのは二人で再び柳の家に帰った後。



「蓮二、でも急にあたしが呼び方変えたら変に思われないかな?」

「構わない。もしバレても俺がお前を守りきれる確率は、100%だ」

そんな彼を、愛している










おわり
――――
遅れて申し訳ありません、やっとあげる事が出来ました。磯崎閖様に捧げます柳でした。なんだか全く理解に苦しむ話で申し訳ないです。一応主はミチル(銀華中の彼)と幼馴染みで彼の事だけ名前呼びだったんです。で、恋人である柳の事は名字呼びだったので電話口で名前呼びをしている主の言葉を聞いた柳がイライラしてしまったというわけです。

訂正とか書き直せとかありましたらいつでも連絡お待ちしています。

それでは観覧ありがとうございました!



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