滑り台みたいだよね、あれ。と呟いた友人の額を私はぺしっと叩いていた。彼女は口を尖らせて憎たらしそうにこちらを見たけれど気にしない。だって私の大事な大事な天童君の鼻筋を、どこにでもある遊具と一緒にしてほしかぁないのだ。
「酷いよー、痛くはなかったけど気分いいもんじゃないね。」
そうぶうたれながら彼女はぶたれた所を擦っている。仕方ない、自業自得なのだから。
「あのね、天童君の顔立ちはね、芸術なの。油絵でありながら彫刻なの。わかる?」
「残念、表現に無理がありまーす。てかマユコ、小さな声で言わなきゃ、愛しの愛しの天童君にバカがバレちゃうよ?」
「残念返し、バカであることは今更隠せません。既に周知の事実でございます。」
「そらそうかダダ漏れか。」
「イエス、ザッツライ!」
発音の悪い英語と共に親指を立てて、笑い合ってみたものの少し悲しくなってしまった。自分を卑下するのも程々にしなくては。

昼休みの教室は少しだけざわつく。廊下を誰かが走り抜ける音、甲高い声が飛び交い、金具やビニルがリノリウムの床を滑り、全てが一つの時になる。
友人はつい今、震えた携帯を開けて恐らく来たメールを返しはじめた。私の携帯は繁盛しないタイプなので見る必要もない。

ちら、と窓際の席に目を配らせ彼の姿を捉えた。陽の光を浴びて左半身がキラキラ輝いている、眩しい。
大丈夫、きっとさっきの話は聞こえちゃいないはず。だって当の天童君は何か音楽を聞いているみたいだ。短く切られた髪の隙間に見える耳から、白いコードが生えている。

今日の彼も一級の芸術品。
眠っているのだろうか、深く椅子に掛けたままだらりと動かない。長い睫毛と瞼が重力に従順だ。
先程言った友人の言葉が頭を過る。

(鼻筋が滑り台、か。)
強ち間違っていないような気もした。それはそれで、素敵な形容なのかもしれない。
空腹を満たして脳に糖が送られ、この微睡んだ意識の心地よさと少し先に見える彼の艶やかさのマーブルは私にとって最高のデザートになる。

(このまま、チャイムが鳴るまで、寝るのかな)
彼はゆっくり息をしているみたいだ。肩が僅かながら上下に動いている。
きっと正面から見ればあどけない少年らしさを残した無防備な顔を見られるのだろうが、私にはそんな勇気はない。
こそこそと覗き見る厭らしい戦法だが、私なぞ眼中に無いであろうから迷惑だとかそう言うこともなかろう。

刹那スイッチが入ったかのように彼の瞼が開いた。思わず私の体は僅かに痙攣し、ぎょっとなる。そして天童君は素早くこちらを向いた。

(あ!)
突然の出来事に、私はこの世界が消えたかのような錯覚に陥る。彼の濡羽色した瞳孔が私の邪な視線を捕まえて離さない。吸い込むような、突き放すような、見えない力に支配される。
今、首を捻ってしまえば、逃げられるのに。こんなにも私は、逃げたいのに。でも頭の片隅では、捉えられたのをいいことに天童君の瞳の美しさを堪能していた。真っ黒で、どこか不安定な、その色を。
閉じ込められたみたいだ、喧騒は消え、周りの景色はぼやける。彼の輪郭だけがはっきりしていた。
喋りかけられる訳でも、歩み寄られる訳でもない。ただ彼はじっとこちらを、私を見ていた。交わる視線からは何も感じとれず、ただただ動けないまま。
思考回路も、停止したまま。
「土曜日空いてる?」

「…え?」
「遊ぼう。何?だめ?」
「いや、うん。大丈夫。大丈夫大丈夫。」
不意に届いた彼女の一声が、私の耳にまた騒がしい音を返してくれた。それと同時に彼と私とを繋いでいたピアノ線も、誰かが切ったようだった。
映画のカチンコがはぜたように、人々も彼女も私の眼球も筋肉も、間違いなく動く。
「…マユコ、一瞬寝てたでしょ?」
「違うよー起きてた起きてた。土曜日ね、何時から?」
「んー多分昼間くらい。」

そうして終わりを報せるチャイムが鳴った。

「モーマンタイ!」
「ありがと。また決まったら言うわ。」
「うん。空けとく。」


廊下を誰かが走り抜ける音、甲高い声が飛び交い、金具やビニルがリノリウムの床を滑り、全てが一つの時を迎える。あちこちで会話が途絶え始め、紙を捲る音とペンとペンが擦れる音に教室が埋もれた。
私は切れた視線を戻そうとまた天童君を見たけれど、彼の濡羽色の目はもう外を見つめていた。窓から見える青空と彼とで一つの絵画のよう。

(宝石みたいだったなぁ、魔法の、うん。)

そんな余韻に浸る間もなく大柄な男性教師が現れ、教壇の前に立ちチョークを選び始めた。
「おーい、にっちょくぅー。」
今日の日直は、あ、私だ。


「あ、きりぃーつ。」


視界の端で天童君が笑ったような気がした。


あなたの濡羽色

End


企画 咲くやこの色様へ

ありがとうございました きぎまる

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