呵責

title.防火 様より


その目が同じ問いを繰り返す。
いつだって見守るばかりで、その口が何かを咎めたことは一度もない。


「本当にいいの?」
「…それは俺の台詞だろ」

一言訊ねた声は静かで。是も非も唱えようとはしなかった。
ちら、と上目遣いにこちらを見上げ、部屋の奥へ向かう。遠慮がちに尾形の手を引く指が僅かに震えていた。

「ちょっと、緊張する…」

ベッドの上、誤魔化すようにはにかんで、そいつは軽く目を伏せる。遅れて乗り上げれば、沈む膝の下でスプリングが軋みを上げた。

「どうする?」
「…どうしようか」

ついた両膝の間にあった足を引き寄せ、淡々とシャツの袖を捲る尾形から身を守ろうとでもするように名前は膝を抱えた。

「好きにしろよ」
「…うん」

もぞもぞと少しだけ座る位置をずらし、身体を横たえる。動きがぎこちない。緊張はあながち嘘ではないらしい。
明かりもつけない部屋の中、薄いレースカーテンの隙間を縫う外套の白々しい光が、広く取られた襟から覗く鎖骨をなぞっていた。
瞳を縁取る白に、澄んだ青を幽かに忍ばせ、その目は尾形を見上げる。
声がする。耳の傍で。頭の中で。網膜に焼き付いた像がそのまま音に変わり、耳鳴りのように鳴り響く。

それでいいのか。

いつだってその目が問いかけることは同じだった。
問うばかりでいながら、それは確かに呵責を強いるのに。
ネクタイが名前の胸の上へ垂れ下がり、嫌でもそちらへ目が向く。とっとと外しておけばよかった。掴んだ先を雑に胸ポケットへ押し込む。名前がぼんやりそれを見つめているのに気付き、ちょいちょいと指先で視線を誘えば、上向いた目が尾形を映した。
手をかけた喉は思ったよりも細い。これなら体重をかけるだけで容易く折れる。

本当にいいのか。

訊くまでも無い。
一体どうして、望みを叶えてやることの何が悪い。望まれた事ならそれは疑いようのないもののはずだ。

柔らかで薄い肉の感触。ゆっくりと力を込めるのに、応えるように一つ震える。
もう彼らを呪いたくはないのだと、到底理解の及ばない台詞を紡いだ口が、空気を求めて喘ぐ。もう吸う必要もないのだろうに、人というものの仕組みはどうしたって生のシガラミから逃れられないように出来ている。やはり苦しいものは苦しいか、その指が手首に爪を立てているのを尾形は黙って見下ろした。

憐れだと嗤えば頷くだろう。
幸福だろうと聞いてもこいつは頷く。
手に入らないのに、届いてしまいそうな所にあるのが、目前にあるのが嫌なのだと。
手を伸ばして、伸ばした自分も呪わしいのに。笑い合う彼らを見るたび込み上げてくる感情に息が出来なくなるのだと。

ならいっそ息ごと止めてしまえばいい。当然のように辿り着いた極論の果て。最後の最後に手を伸ばしたのが、どうして俺だったのか。
はたしてその了見の中へ、一度でも踏み入れたことがあっただろうか。
いつだってその目が追うのはあいつのことで。
一度たりとて尾形を映したことなどない。
だというのに、今、その願いをすくい取ろうとしているのは自分だった。

お願いと、そう口にするのならば相手が違う。
本当はあいつが良かったんだろうに。

その意識が飛ぶ寸前、柔い肉に食い込むように頸部へ絡みついていた指を開けば、予期せず流れ込んだ空気に背を丸め、名前は激しく咳き込んだ。
涙を零す目が薄く開く。そうして、また同じ責め苦を紡ぐのだ。

それでいいのか。

問いかけながら、この目は尾形のことも憐れんでいただろうか。
自らがそう望んだように、憐れな男の望みもまた、叶えてくれようというのか。

途切れ途切れ、乱れた不完全な呼吸を繰り返すその顎を掴みこちらへ向ける。潤み、溶け落ちそうに熱の籠る目。

「全然…足りねぇだろ」

喘ぐように息を吸おうとした所でまた喉を塞ぐ。潰れた声と共に肢体が震え、今度こそ、恐怖がその目を掠めた。
下ろした腰の下、もがく名前が身を捩る。腰を浮かし、背を反らし、やっと抵抗らしい抵抗が出てきた。

「何だよ、本当に死ぬ気あんのか?」
「…ぅ゛ぁ………」

気まぐれに力を緩めては、酸素を求め喘ぐさ中に締め上げる。
先刻とはうって変わり、爪が喰い込んだ皮膚からは血が滲んでいた。息が詰まる度反射的に瞠られる目は、いくらもしないうちに歪み、尾形を見上げる。

「はは、いい顔してるぜ?聞こえてるか?なァ名前…」

軽く力を入れるだけで、喘鳴混じりの息が細い音を鳴らして途絶える。掌の下、死に切れずに足掻く様が肌を通して伝わるのに、ぞくりと劣情が背を這った。

繰り返し繰り返し、擦り込むように反復を続けるうち、段々と動きは鈍くなる。
幾度目か、意識が薄くなった所で手を離す。もう咳込む力も無いのか、ぐたりとした身体からは朦朧とした目に似合いの息が吐き出された。
唾液に塗れた下唇をなぞった指の腹が、ぬるりと滑る。

「代替品で満足できそうか?」

ぴたぴたとその頬を打てば、虚ろなその目が一つ瞬き、この瞬間ばかり、唇は落ちる間際の椿にも似た艶を帯びて、ゆるやかな弧を描いた。

「…おがた…が……いい…」

潰れた喉から零れた声が、耳にまとわりつく。
重たげに持ち上がる手が尾形の手を包むように、くっきりと赤い跡のついた喉元へと導く。

この生を締め括るのが自分なのだと、実感もなにも在りはしないのに愉悦めいた疼きが指先を伝う。
このまま引き返せたらどんなにか。けれどそれは望まれた結末には程遠い。
絡め取った指先に、触れるだけの口づけを落とす。
その指が、尾形へと伸ばされる。力なく頬をなぞったそれは何を拭いとったのか。

俺ではない他の誰かのためにこいつは微笑い、消えない呪いを残していく。






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