どうか目隠しをしたまま



下を向いた切っ先から赤い雫が滴り落ちる。
離れる間際に一瞬だけ砂時計の括れに似た線を形造って、丸い粒になって落ちてゆく。
こんな様子をどこかで見たことがある。どこでだったか、そうぼんやりと記憶をたどる。

あぁそう、庭だ。昔住んでいた家の庭。端っこまで走るとざらついた分厚い石塀があって、その先には、同じくらいの大きさだけどまた風合いの違った庭が広がっていた。
よじ登った石塀に、腕だけでどうにかしがみついているわたしの目の前を、白い蝶々がふわりと横切る。
塀のすぐ下には煉瓦で囲われた花壇があって。きちんと刈り込まれた芝生の向こうに、ペンキの剥げた犬小屋。家の軒下に置かれた台の上には、鉢植えが処狭しと並んでいて。その中の一つがやけに目を引いた。光を全て吸い込んでいるようなつやの無い真っ黒な鉢に、ずらりと実をつけた数珠珊瑚が植わっている。
鈴生りになった赤い実が一つ、芝生の上にぽつりと落ちた。




「あーあ…やっちまったなぁ」

幾許か、笑いの気配を含んだ声はささいな失敗だとでも言いたげだった。まるで小さな子供がコップを引っくり返した時のよう。零れて溜まるのは乳白色をした液体でもなければ、オレンジ色をした砂糖水でもない。

「まぁ気にするな」

言って包丁を取り上げたその人は、大丈夫だといつも自分にしているようにわたしの頭を撫でた。
優しいはずの言葉が酷く怖かった。
なんにも大丈夫なんかじゃない。これがそんな安っぽい台詞一つで片付くようなものなら、何かを心配する人間なんてこの世に一人だって存在しないんじゃないですか。

放り投げられたそれが、床で跳ねて、耳障りな音と赤い飛沫を撒き散らす。
傍らでは、同じ色をした水溜まりが伏した身体を起点にじわじわ広がり続けてる。もう動かなくなったのに、滲み出るそれはまだ浸食をやめようとしない。

伸びた腕にゆっくり引き寄せられて、後ろからわたしを抱きすくめたその人を振り返る。空っぽな目を間近に見た。わたしが映っているはずなのに、そこには何も映っていない。

尾形さん。

遠くにある自分の声は落ち着き払っているようで。

尾形さん。これは、何でしょう。

「良かった。お前が俺と同じで」

仄暗く響く声が。耳朶のすぐそば、満ち足りたように囁いて、四肢の力を根こそぎ奪ってゆく。
暗くって、昏くって。何にも見えない。
わたしの目を覆う手。外して欲しくて触れた指がぬるりと滑った。触るまで気付かなかったのは、きっとそれがわたしと同じ温度だったから。

ねぇ尾形さん。教えてください。
救ってやるって、どういう意味だったんですか。
ゾッとするほどおんなじで。冷たくないのに、温かくもないんです。
もっと熱いと思っていました。熱い飛沫が迸るものだとばかり。
もっと冷たいと思っていました。凍てつき痺れて凍えるほどに。

眼球を薄皮一枚で隔てたそこから、喉の奥まで錆びつきそうな鉄の臭い。
閉じていても、ごく僅かな隙間から滴が滲み出て頬を伝う。自分のものな筈なのに熱いから、これは誰か別の人のものだったんでしょうか。

かさついた柔らかい感触が、慈しんででもいるように首筋を食む。
片腕は、あばらが軋むほどに胴を締めつけているのに。その腕が、どこか縋るようなのに。

一枚一枚、覆うものが剥ぎ取られていくたびに、身体の奥からどろりとしたものが流れ出る。
“俺だけは、本当のお前を知ってる”そう言ったあなたは笑っていて。温度のない優しさが、その時ばかりは嬉しかったのに。

本当って、何が本当だったんでしょう。
擬態みたいだと思ったんです。わたしも。あなたも。人の形を真似た気味の悪い“ナニか”で。羽化のできないサナギみたいに、いつまで経っても人にはなれもしなくって。
その擬態は何のためだったんでしょう。捕食。保身。それとも繁殖だったんでしょうか。

揺れる視界の隅にはぬらぬらと鈍いコールタールの水溜まり。重ねた手が、艶めくほどに赤くって。熱いのは身体の外側ばかり。吐息交じりに名前を呼ぶ声が、恍惚としたその眼差しが、わたしを芯から冷やしていきます。
こうして互いに貪りあって、一体何が残るんでしょう。
どうせなら翅の一枚、足の一片も残らなければいいのに。

手を伸ばしてその髪に触れる。真似てその頭を撫でてみたら、その人は猫みたいに目を細めた。

ねぇ尾形さん。
今、わたしはわたしの保身を考えています。
あなたは考えていますか。あなたの保身を。これからどうしていくのかを。
投げやりなんて冗談じゃないんです。計算ずくはもっと御免です。
本当なんて、あなたに会わなければ忘れていられたのに。
背中を無理矢理引き裂いて、中身を全てぶちまけて。
救われたかったのは、あなたの方だったんじゃないんですか。


握った刃の先から、もうひと粒、赤い赤い実が落ちる。
すっかり皮を剥がれたわたしは、あなたの目にどんな姿で映っていますか。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -