なんだかんだと



始まりは苗字が言った一言だった。

「白石が来なくなった」

やけに深刻ぶった顔で尾形に告げる。

「来てるだろ、ちょくちょくは」
「だって、もう一週間も食べに来てない」

むしろ尾形としては、時間をかけにかけた末ようやく手の中へ落ちてきた女の家に、週の半分以上入り浸っている男がいたことの方が問題だが、そんな事を気に留めよう筈もなく、苗字は最近本当に白石が姿を見せないのだと訴える。

「いつも放ってても勝手に来るのに。尾形何かした?」

そうしてこういう時真っ先に疑いを向けられるのは自分だ。相変わらず信用なんてものはないらしい。

「今さらか?俺が来た時にはもうあっちが常連だったろ」
「じゃあ、他に女ができたんだ」
「その言い方は語弊がある」
「なんで」
「お前があいつの女みたいに聞こえる」

淡々と返す尾形に向け、「だって…」と苗字は肩を落とした。

「絶対他にご飯食べさせてくれる人見つけたんだよ。どうしよう妬ける」
「…だから、どうしてそれでお前が妬くんだ」
「ほら…散々可愛がってた猫が、餌かビジュアルかかまい方か知らないけど新しく来たお姉さんにあっさり乗り換えてこっちに見向きもしてくれなくなった時の心境みたいな。…別に良いんだけど、そんなに良くもないっていうか」
「ペットかよ」
「厳密に言うと飼ってはない。餌をねだりに来てただけで」

アホらしいと一蹴した尾形に、連れて来て、と苗字は宣う。

「他所のが如何しようと気にしなきゃ良いだけだろう」

どうしてもってんなら自分で誘えと撥ね除けるも、お願いと手を合わせた苗字も引かない。そうしてついに根負けした尾形が一度声をかけてみるという事で話がついた。



言った手前何もしない訳にはいかず、尾形が連絡を取ると電話口の白石はひとしきり珍しがった後、迷う様子もなく無理だと返した。

「それで?」

案の定、そのことを伝えると苗字は世界滅亡を聞かされたような顔をした。

「来ない」
「それは分かった。理由は?」
「聞いてない」

玄関を開けるなり飛んできた苗字は尾形の返答に一度頭を抱え、分かったと短く答えて部屋着にしているシンプルなパーカーのポケットからスマートフォンを取り出した。
最初からそうしろよと呆れる尾形には構う様子もなく、何度も念入りに深呼吸を繰り返し、時間をかけにかけてからようやく意を決したように発信の表示をタップする。
苗字が耳にあてた端末に尾形も耳を寄せれば、数回のコール音の後、いつもの気の抜けた声が聞こえてきた。
短いやり取りを重ね、またも大きく息を吸った苗字が切り出す。どうして最近顔を見せなくなったのか、単刀直入に訊ねた声に、聞き取れないがぼそぼそと歯切れの悪い返事が返った事は分かった。

「行けないって…忙しいって、何に。まさか変な事に首突っ込んでるとか」

俄かに苗字の声の調子が変わる。おそらく白石が何か地雷を踏んだ。
焦った電話口の声が、聞き取れる程度には大きくなる。

『い、色々だって…!それに、最近名前ちゃんも尾形と付き合いだしたでしょ。そうなっちゃうと流石に俺だって遠慮はするし、お邪魔しても悪いしさぁ…』

ふつりと黙った苗字に、嫌な予感が尾形の頭を掠める。

「―――なら、尾形とは別「おい、貸せ」

予想に違わぬ言葉が転がり出て、みなまで言う前に端末を奪い取った。
舌打ちを零しつつ「白石」と呼びかければ『うげっ尾形ちゃん…!』とまずいと言わんばかりの声が返る。

『っと、とにかくそういうことだから、名前ちゃんにもよろしく!早まらないでって言っといてくれよな!それじゃ!』

逃げやがった。一方的に断たれた事を告げる電子音を聞きながら、苗字を見やる。

「シライシ……」

その目からぽとりと涙の粒が落ちたのを見て流石の尾形もぎょっとした。
浮かぶ涙が線を引いて頬を滑り落ちる。
泣く程のことかと言い放つも、苗字は何も言葉を返さずさめざめと顔を覆った。

「……お前、俺の時は泣きもしなかったくせに…」
「……猫カフェで、一番仲良しだと思ってた子がいつの間にか貰われてっちゃったみたいな…」
「その例えはもういい。ほっときゃどうせその内また顔出すだろ」
「ほんとに?…嫌になったんだったらどうしよう。居心地悪くなったからもう来ないとか…」
「俺は邪魔が入らなくて良い」

言った途端、両頬を苗字の手が掴んだ。目一杯の非難を込め頬が引き伸ばされる。

「……私は、三人でいるのも好きだったの…!」

それであの別れる宣言かと思えば苛つきもする。
三秒でその結論に至った事に苦言を呈すべきか、それとも三秒でも悩んだ事に進歩を感じるべきか。
手を離させ、いいから上げろとようやく玄関を離れ部屋に上がり込んだ。
テーブルに突っ伏し「シライシ…」としょげ返る姿に、溜め息が口をつく。
来ていれば来ていたであれこれ文句を言う癖に、来なくなっただけでこうも騒ぐか。

「…食おうぜ」

予め買って来ていたケーキの袋をその目の前に掲げてみせる。
どうせ来ない事を告げればごねるだろうことは予想がついていた。
何年来の付き合いかは知らないが、話を聞く限り相当前から白石はここに居付いていた筈だ。
苗字はしばし呆然とそれを見つめた後、涙線が馬鹿になっているのかまた目に涙の膜をはる。

「尾形は私のなぐさめ方を分かってない」
「…知るかそんなもん」

声に滲んだ尾形の苛立ちはさらりと流し、それでも好物のケーキは嬉しいらしく、袋に手を伸ばした苗字は唇を尖らせながらもありがとうと呟いた。
それを持ってキッチンに行くからどうするかと思えば、冷蔵庫の前から「尾形はそっち」と指示が飛ぶ。
指が示したのはベッドで、何のつもりかと腰かけた尾形の前にケーキをしまってきたらしい苗字が立った。

何を思ったかその両腕ががばりと広げられる。そうしてぎゅっと眉を寄せた難しい顔で微動だにしない。
意図を捉えきれぬまま尾形が腕を持ち上げると、頭突きをかます気かという勢いで腕の中に苗字が飛び込んできた。

勢い余って押し倒されかけた尾形の上に、柔らな肢体が重なる。
首にしがみつくように回された腕。視界の隅に映るパーカーのフードから良く知った匂いが香った。
その背に腕を回せば、尾形の首元に顔を埋めたまま苗字はぐすぐすと本気でべそをかき始める。

「…しらいしぃ…」
「………」

何故か名目だけでも自分のものになった筈の女が他の男の名を呼び泣いているこの状況――しかも相手は恋敵ですらなくただのペットだ――。
離さないとでも言うように、腕は尾形を締めつける。結局どうして欲しいというのか。

「…おい」

耳元で囁いた声に、苗字はぴくりと身を震わせた。

…いっそ抱くか。

取りあえず意識は逸れるだろう。辛いのなら考えなければいい。
その身体を抱え身を返して組み敷けば、何が起こったのか分かっていない様子で苗字が目を瞬く。その頬へ手を添え顔を寄せたが、すかさず間に入った指が待ったをかけた。

「今日はしない」

真っ直ぐ尾形を見据える目に、またしても苛立ちが頭をもたげたのは言うまでもない。

「なら…、」

どうして欲しい、と言いかけた尾形の首に回った腕にぎゅうと力が籠った。

「ここにいて……」

縋るような、懇願するような、らしくもない声が尾形から自由を奪う。
沈鬱な溜め息が口をつくが、不快なばかりでもないことが不思議で、ただ寂しいのだと全身で叫ぶようなその背に腕を回した。










そんな騒ぎの元凶にも関わらず、二週間も経てば白石は何食わぬ顔で苗字に約束を取り付けてきたらしい。
今日も当たり前のように「お腹すいたぁ!」と挨拶代わりの声が玄関から響く。

「名前ちゃんご飯なぁに?ってあれ?尾形ちゃん今日早いね」
「たまにはな」
「今日は筑前煮。はい、台拭き」

あれだけ騒いだのが嘘のようにしれっと布巾を差し出した苗字から受け取ったそれを手に、白石は定位置につく。

「遠慮は何処へ行ったんだ?」

もっと盛大に遠慮してくれていいと言った尾形に、白石はテーブルを拭きつつ答える。

「有るには有るけど、それすると名前ちゃんが寂しがっちゃう…睨むのやめてぇ?」

ふんと鼻を鳴らした尾形が、結局のところ何だったのかと訊ねれば、白石は「名前ちゃんには内緒だぜ」と口元にあてていた手の指を折ってゆく。
「コレ」と最終的に小指だけを残した手を見て、尾形は「苗字」と流しへ声を投げた。

「やっぱり女だったみたいだぜ」
「あぁッそんなすぐいっちゃう!?秒ももたなかったよねッ!?」

騒ぎ尾形の口を塞ぎにかかって返り打ちにあった白石は、皿を運んできた苗字に気付くとおずおずとその顔を見上げた。

「白石…」
「は、はいッ」
「つき合ってるの?」
「い、一応。この間のはちょっとその子関係でごたごたしたって言うか、色々あって…」
「ちゃんとした人?…ちゃんとっていうのは、変な薬売ってたりとか妙な結婚繰り返してたりとかお会計の時にその道の人が出てくるような所で働いたりしてないかってことで、」

白石がふるふると首を振る。緊張した面持ちで見上げる様子に、苗字が強張っていた頬を緩める。

「…そっか…。おめでとう白石」

見た事もない顔で心底嬉しそうに破顔した苗字に、いたく感激した様子の白石が取り縋った。

「ッうわあああありがとう名前ちゃん〜〜!!」
「ッあ!?離れろこの馬鹿」
「ちょ、こぼれるっ!」

引き剥がされ、ついでに殴られた頭を白石がさする。

「酷い」
「酷くねえよ」

女ができたならそっちに行けと吐き捨てる尾形の頭に、皿を置いたらしい苗字の拳が降ってきた。
どうにも腑に落ちない。
舌打ちをした尾形に白石は、それにさぁとふやけた笑みを向ける。

「ぶっちゃけここのご飯が美味しいっていうかぁ」
「ハハハ、今すぐ帰れ。……お前も何で喜んでんだ。結局飯だけだっつってるも同然だろ」
「でも美味しいって言った…!」
「美味しいよ名前ちゃあん!ほんっといつもめちゃくちゃ美味しいから!!」
「―――シライシ…ッ!」
「おい。騙されるな」

手放しで飛びつこうとしたその胴に腕を回せば、白石という目標へ到達できなかった苗字の手が宙をかいた。

「放して尾形。私は今感動した」
「誰が放すか」

言った尾形に、白石と苗字は一瞬顔を見合わせ、示し合わせたようにニヤリと笑った。

「なになに尾形ちゃんやきもちぃ?」
「うっそ、妬いてるの尾形ぁ?」

一定距離を保ちながら、その実根本的に余程気が合っているらしい二人は、こと尾形の事になればここぞとばかりに結託してみせる。右からも左からも頬をつついてくる指を払い、持ち主どもをやかましいと一蹴する。

「馬鹿な事言ってねえでさっさと飯にしようぜ」
「んでその後はケーキだな!」
「お前の分なんてねぇよ」
「またまたぁ、そう言いつつしっかり買ってきてくれてるの知ってるもんね」

白石が得意げに向けてくる端末の画面を確認すれば、そこには箱の中に三つ並んだケーキの画像。

「リークしちゃった」

苗字が画面に同じ画像を映し出し、ぺろりと舌を出した。

「………」
「怒った?ねぇ怒った?」
「怒っちゃやぁん尾形ちゃ、いてッ」

妙なシナを作り擦り寄る白石を尾形の足が蹴り飛ばす。

「あ、こら尾形」
「酷いッ」
「酷くねえよ」

諸々について、結局は諦める他ないのだろう。腕に足に、取りつく二人を交互に見やる。揃えば喧しい上、白石に至っては居なくても一向に構わないのだが。

………まぁ、いいか。

溜め息を吐き出せば、すっかり馴染んでしまった顔が二つ、屈託のない笑みと共に尾形を見上げた。












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付き合うとペットもついてくる方式。
ロ○ット団ではない。




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