そのうえで




眩暈がする。

生まれてこの方20余年。私は私をごくごく常識的な人間だと思いながら生きて来た。輪からはみ出すこともなく、回りの足並みを乱すことだって特にしてこなかったはずだ。誰とだってそれなりに上手くやって来た。

それが…と天井を見上げた。格子状に並べられた木組みの奥には、良く晴れた日の空みたいなスカイブルーの照明パネル。真上にある清々しい光が、まるで洞窟の中から眺める空のように遠い。

男子トイレで致してしまった。

耳も目も顔すらも通り越して頭のてっぺんからつま先までをすっぽり覆い隠してしまいたくなる事実が、頭の中で陽気なステップを踏んでいた。
しかも、だ。それだけで済めば良かったのに、しれっと、本当にしれっと、一人だけ何事も無かったような顔をして尾形は上に部屋を取って来た。

ヤバい気配を感じたらとっとと逃げるに限る。頭で考えるその前に。これは鉄則。大原則。なのにまんまと逃げ損ねた。
終われば当然離して貰えるものだと思っていたせいもある。多大にある。
式の途中で出て行ってしまってから結局一度も会場に戻って来なかったあの様子なら、どう間違っても二次会なんて参加しないだろうから、もう一緒に帰るかな、とか。先に行ってる子たちに連絡入れないとな、とか。さー夕飯はどうしようなんてことを考えながら、待っとけなんて言われるままに大人しく尾形を待って、エレベーターに乗り込んだ。

当然下へと思っていた箱は、私の期待なんて塵芥の芥よりも価値がないとばかり、ぐんぐん高度を上げて行く。エレベーターの中、階数を示すパネルがひたすらに上階を目指していることに気付いた時にはもう遅かった。

慌てて今点灯しているボタンよりも下の階のボタンへ指を伸ばすも、阻まれる。車椅子用のボタンを窺えば目を塞がれ、諌める囁きが耳を掠めた。どこかの階で誰か乗り込んできてはくれないか、そんな願いも虚しく散り果てた。目的のフロアについたらしくエレベーターを降りた尾形に連れられながら、どうにかならないかと思い巡らせるも、頭の中でさえこの事態はどうにもならなかった。
部屋に押し込まれるなり、たちまちに服ははぎ取られベッドには放り投げられ、ふかふかな寝心地を堪能する間も無くそこから指で数回、口でも一度イかされた。

「も、しつこ…っ」
「何か言ったか?」

同じ場所ばかりを責め出した尾形へ向けた苦言に淡々とした声が答える。顔だけ見れば情事の真っ最中だなんてとても思えない。余裕がないのは自分ばっかり。無骨な指は反応する箇所を執拗についてくる。

「最…ッ悪」
「…ははッ」

ここで口元を歪めるなんて相当性根が歪んでる証拠だ。マザーグースのひねくれ男だってこの男を見れば自分なんてまだまだだと思うだろう。

「何が、おかし…ッひ…ぁ」

意思に反し、身体はビクビクと捻じ込まれた異物を締めつける。それでも責めが弛む気配は少しもない。

「…声。もっと出せ」

口から剥がされた手が頭の上で纏め上げられる。その方がイイだろなんて、わざわざ耳元で言うのにぎゅうと堅く目を瞑った。

「だから、やなのッ、…ッふ、んぁ、っや…も…」

こういう時の自分の声なんか聞きたくない。それを尾形に聞かれてる現実だって耐えがたい。
指も舌もいつもより数段ねちっこく、終わらない愛撫に責められ続けるうち、どこを触られても身体が反応するようになる。性感帯であろうがなかろうが関係ない。好き放題弄り倒されて、行き過ぎた快感はもう気持ち良いを通り越して苦しい。
バタつかせた足ごと押さえこまれて息を奪われた。視界が明滅を繰り返す中、思考全部消し去ろうとする波が寄せてくる。

前もそうだった。こうなった時の尾形は、何が楽しいのかこっちの自尊心をズタズタに裂きに来る。
もう好きにして、なんて投げやりな思いは絶対に口には出せないし、出したくない。一度迂闊に口にしたが為に、死にそうな目に遭ったことはまだ記憶の浅い所にある。
一服盛られた案件で尾形の家まで押しかけたあの時。玄関で起きた事なんて序の口に過ぎなくて、精神的にも肉体的にも殺されるかと思った。

そんな事があっても、次に顔を合わせた日には変わったことなんて何一つ無かったような顔をしてみせたこの猫っ被りは、一体今までどれほど爛れた性生活を送ってきたのか。そのおかげで私も学んだのだ。到底渡り合えもしない相手に、好きにしろなんて台詞は死んでも口にするべきじゃない。

幸いにも異常なまでに苛め抜かれたのはその時くらいで、後は概ね止めれば止まるし、無茶なこともしてこない。だから、うっかり格納準備宜しく記憶の倉庫へ放り込むところだったのだけれど、今、あの日と同じ目がここにある。

中も外もどろどろにされた身体の上で尚も尾形は奥を穿ちにくる。頬が多少上気しているものの、観察でもするみたいに表情のない目が喘がされるばかりの私を見下ろす。
水が飲みたいと言ったって、それすらねだりにねだってようやく尾形経由の口移しだ。
押し付けられた唇の端から受け切れなかった水が零れていく。流し込まれる分だけじゃ足りなくて、もっとなんて言えば舌を突っ込まれてかき回されて、そのせいで酸素までが足りなくなった。

頭おかしいんじゃないかってぐらい。こっちまでおかしくする気なんじゃないかってぐらい。なんでか知らないけど、タガが外れてるとしか思えない。

ぐたりと重い頭を枕に預け、ようやく少し休めるかもなんて期待を抱いた所で伸びて来た腕に、抱きかかえられるようにして身体を起こす。ざらついた手の平が背中を撫で上げて、ぞわぞわしたものが首の後ろを這い回った。
身体が離れて、代わりに低く下げさせられた頭。唇に硬いものが押し当てられる。

「…舐めろって?」

口元を歪める尾形は気分転換だとでも言い出しそうだ。

「…前は下手くそって言ったくせに」

握って先を咥えれば、目は満足気に細くなる。
あぁ、やだな。
それだけでお腹の深いところがきゅうとなる。

手で扱きつつ、舌で裏筋をなぞった。窺い見る尾形は表情一つ変えていない。
下手だって言うなら、どこが気に入らなくてどれが気持ちいいのか教えてくれればいいのに。そうすれば、少しくらい合わせられないこともない…はず。と薄い自信を乗せて考えてみたりする。

でももし、こういった尾形の振る舞いのどれもが、知らず知らずのうちに自分が望んでいる人物像に寄せられたものだったりしたらと思えば怖い。
時々、本当に分からなくなる。尾形が見せる顔は、私用にちょうどよくカスタマイズされたものかもしれないなんて、普通ならすぐに笑い飛ばすような考えだって、妙に信憑性があったりする。それくらいに掴めないし、真っ暗なこの目の奥にある筈の思いは一片たりとも読めない。

これも、どうだろ。

好き放題してるように見えて反応の一つ一つを緻密に拾われている気もするし、どこまでならと踏み込めるラインを探られている気もする。
今でも私に尾形の本当は分からない。そもそもな話、本当なんてあるのかも怪しくて。

今日見た式が頭を過る。新婦を見つめる新郎の目元。気恥ずかしげに、けれどとても愛おしそうに。パンケーキにかかるシロップにだって負けないくらい、甘くやわらかに溶けていた。
そんな目、私は一度だって見た事ない。

言葉も、
時間も、
身体も、
重ねれば重ねただけ積み上がるものだと思ってた。
でも尾形といると、積んだはずのものが、片っ端から輪郭を失くして消えていくみたいな感覚になる。時々。折々。最近は割と頻繁に。
本当は、この男は私の事を心底嫌ってるんじゃないだろうか。優しくないだとか、そういった事とはまた違った、ひょっとすると本人さえも気付いていない本質的な部分で、私は尾形に嫌われている気がする。

舌先で先端のくぼみを刺激したら声がした。思わず手を止め舌を止め、瞬きを繰り返して出所を見上げる。

声、出した。尾形が。

驚き半分、もう半分には興がのり、仕返しとばかりに同じ箇所を責めてみれば、頭の上から苦しげな息遣いが降ってくる。

「きもちいいんだ?」

口を離して見上げた先、答える代わりに尾形の口元が引きつった。
突然頭を強く掴まれ、無理矢理に押し込まれたのは今の今まで咥えていたそれだ。奥を擦られ、えずいたにも関わらず一度引いては再び喉奥を突き、生理的な反応を嘲笑うように硬いそれが何度も何度も捻じ込まれる。満足にいかない呼吸。意識がぐらりと寄る辺をなくした時、口の中のものがぶるりと震えた。

「げ、ほっ…うぇ…」

咳込み手の平の上に吐き出した生温かい白濁は、太い指にすくわれ再び口へと運ばれる。唇を割って入ってきた指に舌を這わせれば、ぐちぐちと中途半端に水気を纏った音がした。内側から骨を伝って聞こえる音が、否が応にも火照りを煽る。

「……ん…」

鼻にかかった声が漏れた。呼応するように、舌で遊んでいた指が動きを止める。

あ…まずい。

慌てて指を吐き出し、いち早く離脱を試みた私の足を尾形が掴んだ。

ああ…タイム、タイムだってば。ようやく休めそうだと思ってたのに。っていうか、出したばっかじゃん。

無慈悲に引き戻され、必要以上になめらかなシーツの上を身体が滑る。
気分は氷上のアザラシ…いや市場の冷凍まぐろ。振り返れば一片たりとも考えの読めない薄笑いがそこにある。

「きゅ…休憩にしよう」

一ミリたりとも表情が変わらないどころか、尾形はお構いなしに乗り上げてくる。

「ね、そうしよ。せっかくこんなトコに居るんだし、下のレストランとかでご飯でも食べ、て…ゆっくり…」

このままじゃ際限なく流される。
入り口にあてがわれたそれがじわじわと押し入ってくる。みちりと隙間なく詰められるような感覚に身を震わせながら、これを止められる文言を必死に考えた。
頭のどこか、流されてしまいたいような気がしながらも、プライドと体力が残るなけなしの理性に警鐘を鳴らさせていた。

「ず、ずるくない…?…わたしばっかり」

紡いだ言葉で、肩にお腹に鬱血痕を残していた尾形の動きが止まった。しばしの間を開け、そうして代わりに悪い事を思い付いた顔でにたりと笑う。

「なら、何でも一つきいてやる」
「へ…?なんでもって…、」
「早く言え」
「わ、わかった、分かったから…!じゃあ…ええと…指……」
「指?」

焦って出した答えに、早速頭を抱えたくなった。迂闊に口から滑り出た言葉が新たな苦悩を私にもたらす。
指を、どうする。私の指か、それとも尾形の指かなのか。視線をさ迷わせる間、こんな時だけ尾形は律儀に――私にしてみれば嫌がらせみたく――言葉を待っている。

「…舐めて」
「………」

もう、どうにでもなれ。
半ば投げやりに口にする。探るように私の表情を窺う尾形に抱え起こされて、向かい合った状態で座らされた。
いったいどういう状況だと、私が思うのも致し方ないと言える。むしろ誰でもいいから言ってくれ。下だって挿入ったままだ。

呆れつつ、ともあれ少しは休めるのではと、良いように思考を展開させた私の手を尾形が取る。指先に唇が触れたと思うと、第二関節までが粘膜に包まれた。熱く湿った感触。どこもかしこも硬い尾形の中の柔らかい部分が丁寧に柔らかく指を覆う。
抜こうとするのを見越していたように軽く立てられた歯に捕えられた指を、舌は丹念に這っていく。くすぐったいような、ぞわぞわするような、変な感じ。

一本ずつ本数を増やし、時にわざと音を立てたり吸ってみたり。薄く開かれた唇は濡れ光り、そこへ出し入れされる自分の指も、同じようにてらてらと濡れている。
奉仕なんて言葉が過れば、顔は燃えるように熱くなった。なんでフェラが好きな男が多いのか、ちょっと分かったかもなんて考えたその時、隙間から洩れた息が熱く指の間を滑り、ぴくりと身体が反応した。

やばい。と思った。
伝わらない筈がない。絶対に今、尾形のものを締め付けた。
低い位置から上目遣いに私を見上げる暗い目。その奥にも、確かな熱が灯っていた。

あぁこれ…私がダメなやつだ。

指先を甘く噛んだ尾形の頬に手を添え、重ねた唇を離して思った。
我ながら、どうにも頭の中がどろどろに煮溶かしたジャムになっているとしか思えない。

「…顔」

噛み殺した笑い声。ほんの少し、いつもと違う形に細められた目に、不覚にも胸の奥がぎゅっとなった。
かと思えば抱え上げられ、ナカのものがずるりと抜けた。何をと思う間に引っ繰り返され頭がシーツに押し付けられる。うつ伏せた身体に尾形が圧し掛かってくると同時にずぶりと入ってきた質量に息が詰まった。

「…ッは……あ…っ」

ぶるりと身体が震えた。

「…や…やだ……こ、れ…ふか…ッ」

抜き差しされる度に頭の奥を痺れが駆ける。
バタつかせた足ごと押さえこまれた。動けない。指はきつくシーツを握って離さないのに、他のどこにもうまく力が入らない。

うそ。

抑えようにも壊れたみたいに喘ぎが喉から零れ続ける。

「…何が嫌なんだ?教えてくれよ」

楽しげな声。ぐり、と奥を捏ねられ、悲鳴みたいな声を上げながら頭の中で何度も最悪と繰り返す。
呆れるほど簡単に達して、その屈辱感を噛みしめる間もなくまだ痙攣していたナカを抉られ、弛緩しかけた身体が強張る。

「っ…ん…む、りぃっ……あ…あ…あッ、ヤ…やだ…いやっ…あァぁッ」

焼き切れそうに熱い。感覚の全部が、尾形の動きだけを追ってる。
休む間もなく身体に刻まれ続ける快感。暴力的に、何もかもを押し流して行くそれがただただ恐ろしい。

「っ…も……イッ、てっ…いって、ッ、のにっ、」

なすすべもなく、両脇につかれた尾形の腕にすがりつき、すぐにまた大きな波が来るのに身体を震わせる。

「イッて?なんつー、頼みだよ」
「ち、が…ッあ…ひっ…んァッ、あたま、へん…なる…ッ」

分かってる癖に。
睨む目に精一杯の非難を込めれば、尾形の顔から表情が消えた。

「その目…。余計にクるって知ってるか?」
「ひぅっ」

動きを変えられれば身体は正直過ぎる反応を返す。
にたりと笑うその顔に、蹴り飛ばしてやりたい衝動が込み上げる。
こ、ここで笑うか…。

「この、へん、たい…ッ」
「っその変態に、散々イかされてんのは、誰だろうな」

酸素を求めて喘ぐ唇の端を唾液が伝う。
わけ…わかんなくなる…。
奥を思い切り押し上げられれば目の前にまた光が散った。

「っも…、……くる、し…ッ」

無理。死ぬかも。
だらしなく声を上げながら、自分のものじゃないみたいにびくびくと身体が跳ねる。
掴まれ振り向かされた顎からはぼたぼたと雫が滴っていた。

「息くらい吸っとけ。できるな?」

薄闇を思わせる笑みと共に、子供に言い聞かせるみたいに低く低く囁かれた声。
絡め取るようにこれでもかと垂れ流される色気。首筋を尾形の唇が滑ったかと思うと首の付け根に痛みが走った。取り込んだばかりの空気が悲鳴に変わって吐き出される。噛みつかれたまま何度も腰を打ちつけられ、深く入ってきたそれに最奥を押し上げられて、頭の奥までが真っ白に染まった。

目が覚めたら朝だった。高層階の分厚い窓ガラスに阻まれていれば流石に鳥の声は聞こえて来ないが、差し込む冴えた柔らかな光をぼんやりと眺め、所々が切り貼りしたように抜け落ちた昨日の記憶を辿る。

…いつ寝たのか覚えてない。

たぶん、意識飛んでた。
重たい身体を起こせばあちこちが軋みを上げた。肌触りのいいリネンが滑り落ち、顕わになった胴体に散らばる噛み跡と鬱血痕を指でなぞる。

尾形め…。

随分好き勝手してくれた。呻いて、またベッドに横たえた身体がスプリングの上で鈍く跳ねた。無気力に苛まれる視線の先、窓辺に設えられた一人掛けのソファには尾形の姿がある。

割合…普段は手加減されてたんだろうか…。

鼻を掠めるのは煙草の匂い。ガラステーブル上の灰皿には幾本もの吸い殻が見て取れる。どこか遠くの景色を眺めているらしいその背を見つめていれば、障子を引くように静かな平行移動で振り返った尾形と目が合った。緩慢に立ち上がり、私は巻き付けたリネンを引き摺って窓辺へ近寄った。

「よぉ」

短く声をかけてくる尾形は、自分だけすっかり身支度を終えていて、今にも私一人を置いて出て行きそうだ。まだ微妙にオフらしく、肌蹴たシャツの襟から鎖骨を覗かせるその破廉恥極まりない男を見下ろし、微妙に居たたまれない気持ちになる。

尾形とスルのはそれなりに思い切りがいる。
何するか分からなくて怖いってのもあるし、手慣れたピッキングを披露するような手軽さでもってタガを外されるのだって相当怖い。
でもそれ以上に、身体を重ねる度に乾いていく気がしてる。
手を伸ばされても、その手が何を求めてるのか分からなくて。いつの間にか、私ばっかり追いかけてるような気分になる。
尾形から取り上げた煙草を灰皿に押しつけ、どかりとその膝の上を陣取った。

「はー…」

ため息と共にずるずるともたれかかった身体が、ちょっと強張る。色事の絡まない接触に、尾形はいまだに少し戸惑いに似た素振りを見せる。

…あんななのになぁ。

横暴で。容赦なくて。意地が悪くてズルいのに。
見つめる目にこれでもかと悲哀を込めて、また大きな溜め息をつく。

「何だよ」
「…何でもない」

そういう所だけは少し…。…ほんのちょっと。…1ミクロンくらいは、可愛いと思う。


 




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