もぐもぐ

 

白石が夕飯をたかりに来たので尾形にも声をかけたら行くとの返事があった。
ただ少し遅くなるので夕飯はいらないと言われた。そうして電話越しの、顔以上に無表情な声が一言『いるか?』と訊ねる。

「よろしく」
『分かった』

そんな短いやり取りを終えて通話は切れた。



「尾形ちゃん遅いねー」

夕飯の片付けも終え、白石と二人テレビを眺めてなかなか現れない尾形を待つ。
誘えば来るし、時々呼んでなくても来るし。
白石に悪態をつきつつ、ついでに私にも心無い毒を吐きつつ、それでも不快ではないからここを訪れるのだと思えば、なんだか懐かない野良猫が居付いたような、不思議な心地だ。

気が付けば履歴の一番上はだいたいいつも尾形の名前で、それを思えば相当私からも誘っているということに最近気づいて、知らず妙な沼に足を突っ込んでいたのではと不安にもなった。
白石も似たようなものなのだが、なんというか、これは少し種類が違う。
そんな白石が重ねた腕に顎を置いて上目遣いにこちらを見た。

「遅くてもついでにここで食べちゃえばいいのにね」
「ね」

夕飯不要というからには、また仕事しながら適当な物を詰め込んで終わるんだろう。白石にすら「酷いよね」と言わしめる程いい加減な彼の食生活に思うことは色々あれど、口出しは無用だ。
尾形の食に対する執着は薄い。私に寄り掛かりすぎな白石の食生活も決して褒められたものではないけれど。
その時、がちゃりと戸の開く音がした。遠慮している訳でもないのに静かな足音が廊下を抜けてくる。

「やっほー」
「いらっしゃーい」

ゆるっと手を上げた私達に尾形も短く応じる。

「ほらよ」

テーブルの上にすっかりお馴染みになった箱が乗る。待ってましたとばかり歓声を上げ尾形を褒めそやす私達に、ふんと鼻を鳴らして尾形が笑った。



「お茶が良い?コーヒー?」

答える声にはいはいと応じつつキッチンに向かう。
箱の中にはケーキが三つ。白石はモンブラン。私は苺ののったショートケーキ。全種類を二巡くらいしてここへ落ち着いたお決まりのラインナップだった。尾形のはビターチョコだったりコーヒー系のヤツだったり、あまり甘くなさそうなものが気分で入っていて、たまにそっちがいいと言いだす白石にぶんどられたりもしている。
三つのマグカップと皿を盆にのせて戻ると、待ち切れなかったのか白石はもうモンブランを切り崩しにかかっていた。あ、フォーク入ってたのか。
私が自分の定位置に座ったと同時に、あ、という声を上げて、向かいに座っていた白石が立ち上がった。

「ごめん、俺ちょっと出てくる」
「どうかした?」
「杉元。何か急ぎの用あるんだって」

バタバタと慌ただしく上着を引っかけて白石が壁の向こうに消えた。と思ったら壁からにゅっと坊主頭が覗く。

「俺の、残しといてね」
「はいはーい」
「お前の食いかけなんて誰も食わねぇよ」
「酷い!」

ちゃんと置いといてよねーと念押しして今度こそ玄関の閉まる音がした。
ってことは戻ってくるか、最悪明日来るかなーと思いつつラップをしたモンブランを冷蔵庫にしまって、私はテーブルにつく。

「さてさて、じゃあ私達はケーキといきますか」

飲み物も入れたし準備万端。いただきまーすと合掌し、まず摘んだ苺をそっとお皿に置く。苺は必ず一番最後に取って置く派だ。隙をついて掠め取ろうとする白石がどんなに面倒でもこれだけは譲れない。

抵抗も無くフォークの先が滑らかなクリームに沈んでいく。
むぐ、と頬張ればそれだけでもう今日は最高の一日だ。

「ん〜っ美味し〜っ!」

口の中いっぱいに広がる幸せ。ふわっふわのスポンジを噛めば芳醇なバターの香りが鼻に抜ける。口どけの良いクリームをたっぷり堪能して目を細めた。

いつも買ってきてくれるこのケーキの店がどこにあるのか、聞いても尾形は教えてくれない。
ネットか何かで調べれば良い話だけど、なんとなく知っちゃうのが勿体なくてそのままになっている。尾形が知ってるんだから、それでいい。

すっと私のケーキを乗せた皿が引かれた。取り分けたケーキを落とさず口に運ぶには少々厳しい所まで、静かにテーブルの上を滑っていくそれを横目で見送る。

彼の突発的で訳の分からない行動にもすっかり慣れてしまった自分がいる。この程度で動じていたら尾形と友達なんてやってられない。

とりあえず口に入れていた分の幸せをもくもく噛みしめていたら、尾形の口から大よそ彼には似つかわしくない言葉が出て来た。特に何の脈絡もなく、けれど当たり前のような顔で尾形は私に尋ねた。

「恋とやらに興味はないか?」

何かの比喩かなと思いつつ「特に」と答える。
もしあると言ったら叶えてくれるのか。随分不穏なキューピッドだ。矢どころか銃で心臓を撃ち抜きにかかりそうで怖い。間違いなくあの世で一緒になりましょうコースだ。

「一番尾形から遠い言葉かも、それ」

何か思う所がある、という顔をしたけれど、反論がない所を見ると自覚は少なからずあるらしい。
一応大学時代からの付き合いではある。尾形が色々とヤバいヤツらしいってのも薄っすら知っている。
でもそれは尾形に関わって痛い目をみた人達の恨み節も混ざって本当も嘘もごちゃまぜだし、どこまでが本当かは特に興味も無い。とりあえず今こうしている分に実害はないのだから彼がどこで何をしていようと別に良かった。

急にどうしたのか訊ねるも、別にと素っ気ない。「ただ、」そう言葉を繋いだ尾形が視線を投げてくる。

「甘いもので得る幸せは、恋だの愛だのの代替品だって話を思い出した」

幸せなんて、また似合わない事を言う。ふーんと返事をしつつ、遠くなったお皿に手を伸ばし引き寄せた。止めるでもなく尾形はそれをただ見ている。

「でも私はケーキ食べてる方がよっぽど幸せ」

甘いだけのこちらの方が、余程良い。それに、尾形が買ってきてくれるケーキは、美味しい。

鼻に抜ける甘い匂い。吸い込めば頭の奥の方をくすぐられるようで、確かにそういった側面もあるのかもしれないけれど。
ちらと義務のように何の感慨も無い顔でケーキを口に運ぶ尾形の横顔を見やった。

代替品、その言葉は尾形に近づいては離れて行った彼女たちを思い出させた。
何となく。尾形には彼女たちですらも何かの変わりだったんじゃないかって。
私には、尾形はいつもぽっかりと空いた穴を埋めたがっているように見えていた。欲しいという欲求を抱えながら、肝心の欲しいものが分からなくて密かな駄々をこねているみたいに。
とはいえ、

「じゃあ尾形が悪い遊びをやめたのは、こうしてケーキを食べるようになったおかげかな?」

聞いた話では、悪名高い尾形サンのつまみ食いも最近はすっかり鳴りを潜めているらしい。
白石に連れられやって来た尾形と、三人でこうしてケーキをつつく仲になったのも丁度その頃だったような気もする。ぶっちゃけ覚えてないけど。

「だとしたら糖分凄いね。最強」

世界だって救えちゃいそうだと笑えば、返事こそなかったけれど珍しく尾形もふっと笑った。

「ところでこのケーキ、誰が買ってきたか分かってるよな?」
「もちろん尾形さんです。感謝してます。ついでに大好きだから次もよろしくお願いします」
「そうじゃねえよ」

呆れたような、でもどこか面白がってでもいるような目。

「よくそうも警戒せずに食えるもんだと思ってな」
「何の話?」

だって、尾形がケーキを買ってきてくれるのはいつものことだ。白石と二人やんやと尾形を讃え倒してはその恩恵に預かっている。感謝はあれどいちいち躊躇なんてするはずもない。

ふと疑念が湧いて、思わず食べかけのそれに目を落とした。
何か入ってる?いやまさか。そんなマンガみたいなことがある訳ない。

「尾形」

生クリームとスポンジがたっぷりのったフォークを差し出せば、ぱかりと口が開く。
些か量の多かったそれをもぐもぐと咀嚼する様子がリスか何かのようだ。そうしてれば少しは愛嬌が出る。その喉仏が上下に動いたのを見届け私はまた、つぷりとケーキにフォークを入れる。

「尾形がすんなり食べたから大丈夫。危ないものは入ってない」

どうだとばかりに笑ってまた一口頬張る。舌の上で溶けて行く甘みがこの上なく幸せだ。
口の端についたクリームを親指で拭いながら、「甘い」と尾形は当たり前の感想を口にする。
まだ一口分ほどしか手をつけられてない滑らかなビターチョコの光沢を見やった時、尾形が言った。

「俺は、甘いものは好きじゃない」
「――――え?」

そんなこと言って、いつも一緒に食べてるのに。思いつつ最後の一欠片とともに口に入れた苺を噛んだ時、何故か果肉の奥でぐにゃりと分厚いビニールを潰したような感触があった

「今、何か噛ん――…」

甘酸っぱい中に、とろりとおよそ果汁ではないものが溶けだす。

げ、何か入ってた。
吐き出そうとティッシュに手を伸ばしたその時、何故か尾形が身を乗り出したと思うと、伸びた手が後頭部に回りうむを言わさず引き寄せられた。間近に洞の様な瞳。完全にフリーズする思考に追い打ちをかけて、唇を柔らかく湿ったものが覆った。
舐められたことへの驚きにごくりと喉が鳴ったのを合図に、頭を押さえていた手が離れる。

「クリーム、ついてたぜ」

呆然としたまま「…そっか」と返し、いやそっかじゃないしと逆に身を乗り出した。それぐらい指で、と言いかけてそれも違うと内心で悲鳴をあげた。突っ込みどころも目の前の男を問いただして吐かせるべきことも色々あるが、

「まって、さっきの…飲んじゃった」

喉を押さえ青ざめた私を見て、尾形がにんまりと目を細めて笑った。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -