傍迷惑な微罪



とある、冬の日の話である。

「不運ですよね。打ち上げと誕生日が重なるなんて」
「誰かさんが口を滑らせたせいで余計にな」

形ばかりの同情を向けた私に、後輩を可愛がるという理念を失しているらしい先輩が速攻でリターンを決める。

「おかげ様で、こっちは受けなくて良かった筈のとばっちりを食わされてる」
「そんなことばっかり言ってるから、誕生日を独占してくれる彼女の一人も作れないんですよ尾形さん」

言えばまた皮肉交じりの返答が返ってくるのに、内心で舌を突き出した。









 傍迷惑な微罪









私がまだ大学出たて、おまけに配属初日でほやほやどころじゃないぴかぴかの初心者マークを胸に掲げる新人だった頃の話だ。当時在籍していた先輩から聞き出して来てと頼みに頼みこまれて、尾形さんに生まれた日を尋ねた事があった。
彼の人となりを知らず、素行も意地の悪さも知らずにいたまだぴゅあっぴゅあな頃である。

初めまして。これから宜しくお願いします。ところで誕生日を教えて頂けますか。

言われたからと何の疑問も抱かずに質問して、手痛い洗礼を受けた。私に全く非がないかといえばそうでもないが、それにしたって入りたての後輩に向けるにはあんまりな、情け容赦ない皮肉の急襲にあった。
後から知ったのだけれど、あの頃、私にリサーチを命じたその先輩からの度重なる猛攻に晒されていた尾形さんは、相当にぴりぴりしていたらしい。うかうか巻き込まれに行った新人からすれば、そんなもん知るかという話である。

兎にも角にも、衝撃的過ぎたファーストタッチによって、聞き出した日付がその時の出来事と共に私の頭の片隅に残っていたのが彼の運の尽きだ。もとい、半分くらいは自業自得とも言う。
あれ、その日って…。そう声を上げた時に、素で驚いた顔を見てしまった。いっつもニヤニヤしながら嫌味を垂れ流している尾形さんが、奇襲を受けた猫みたいに目を真ん丸くして固まった。

そうは言っても、最初から日取りは被っていたと反論すれば、黙ってくれてりゃ普通に店で飲むだけで済んだと、ご尤もとしか言いようのない意見が返る。もう祝われて嬉しい歳でもないですしね。そう口を滑らせたせいで、横目にじろりと睨まれた。

「そうは言いますけど、私だって元々欠席希望のとこ出て来てるんですよ。感謝してくれていいし、なんなら誉めちぎってくれてもいいです」
「昼なら行っても良いって言ったろ」
「責任取ってなんて、重たい女の子みたいなこと言われたら、妥協案くらいは出しといた方がいいかと思うじゃないですか」
「……そんな言い方はしてねぇ」

今日は尾形さんの生まれた日らしくて、今いるのも尾形さんの家。そうして今私の隣には見るからにかったるそうな尾形さん。と、ものの見事に尾形さん尽くしな訳だけれども。

なら誕生日会も兼ねよう。苗字も参加だ。昼から飲むなら尾形の家でいいでしょ。なんてトントン拍子に、私にしてみれば坂を転げ落ちるような勢いで話は纏まっていた。
おそらくは、見事開催権を獲得したこの部屋の主の意見も一つだって聞き入れられていないに違いない。

ちなみにお名前の通り鶴の一声をかましてくれた言いだしっぺ鶴見さんは早々に仕事で不参加になり、居酒屋を探す段階で嬉々として尾形さんの自宅を開催場所に上げたお腹の中が真っ黒に違いない宇佐美さんも急用だかで不参加になった。月島さんが言うには、鶴見さん絡みだから鯉登さんには黙っていろと。うちの職場の人間関係はなかなかに複雑だ。
それでも、残された面々は律儀に予定通りのお誕生日会を開いている。

「だがむしろ丁度良かった、次こそ苗字を参加させろとうるさかったからな」

言った鯉登さんが指さす先へ目を向けてみても、そんなこと口が裂けたって言わなさそうな人が座っているだけだ。

「えー…尾形さんそんなこと言いますか?」

言ってねえと、概ね予想通りの返事。対する鯉登さんは確かに聞いたと口を尖らせる。

「言っていただろう。酒の席で酔い潰れたら大体そうだ」
「私はまずそこから想像がつかないんですが」
「尾形はあまり酒が強くないからな」
「貴方と比べたら皆下戸になりもすから」

さらりと煽ってビールも呷る尾形さんに鯉登さんが眉を吊り上げ、飽きもせず繰り返される小競り合いが始まった。今日くらいやめておけばいいのに。
それを横目に、ご指名だったんじゃないと茶化してくる二階堂。嬉しくないからと舌を出せば、缶ビール片手に唐揚げをつついていた月島さんが小さく笑う。

「尾形は嫌か」
「尾形さん全然私の好みじゃないですもん。宇佐美さんくらい可愛くて、宇佐美さんみたいに怖くない人が良いです」

言ったと同時に、部屋にいた人全員が一斉にこっちを見た。犬猫合戦の真っ最中だった二人までもが動きを止めた。そんな中、先陣切って口を開く二階堂はゲテ物でも食べたような、もしくはゲテ物に精神を乗っ取られでもしたような顔で笑う。

「お前、今適当にいない人のこと引っ張り出しただろ」
「割と本気だってば」

お次は揃って未確認生命体でも見る目をされた。
わぁ。評判悪いんだあ宇佐美さん。

「と、いうよりですね。まず今の職場で好みって言えるような人に会った覚えがないです」

強いて言うなら谷垣さん、と口にしようとして止めた。相手がいる人の事を引っ張り出すのは無粋だ。
即座に鶴見さんのことを持ち出した鯉登さんは、目が節穴だとかなんとか、取りあえず言いたい放題である。

なのに私が鶴見さんにちょっかい出そうもんなら絶対怒るんだもんなぁこの人…。

そんな鯉登さんに対して周囲がまたあれこれと話を飛躍させて行くのを聞きつつ、お皿に自分の取り分を盛って行く。まぁ細かいことは置いといて、だ。来たからには飲んで食べよう。

テーブルの上に並んだ料理は、近くのデリで各自好きなものを好きなだけ買って来たら見事に茶色一色になった。そうなると見越して詰めたサラダが、そんな中で肩身が狭そうに縮こまっている。案の定誰も手をつけていないそれを、また何か余計な事を言おうとした二階堂の口へ突っ込んだ。






「もう一本どうですか」

宴もたけなわ。そろそろお開きの気配が漂い始めた頃、わいわいやっている面々から離れた所で壁にもたれて座っていたその人に気付き、甘そうな缶チューハイを手に声をかけるも、すげ無く断られた。
でしょうとも。内心で呟きつつ、そのつもりで取って来た缶のプルタブを起こす。かしゅ、と小気味の良い音に泡の弾ける音が続く。

「結構飲めんだな」
「尾形さんて本当に弱いんですね」

私、実はまだ一本目ですと答えたら嘘つけと返ってきて、ついでに本数を言い当てられた。何で知ってるんだろうこの人。
腰を下ろして隣に座るその人の様子を窺う。陽に当たった事が無いのかと思うほどいつも不健康に白い顔が、普通の人みたいに赤くなっていた。

…違うか。
黄みが無く青白い顔をしているせいか、朱というよりも、ピンク。男性ではあまり見たことの無い、薄い桃色が頬に差す。
ももちゃん、と彼に似つかわしくない音の並びが頭を過れば、つい吹き出しそうになった。確か、名前の事で以前誰かにそうからかわれていた。ふやけた口元を隠す私に、尾形さんは考えてる事は全てお見通しだと言い出しそうな一瞥を投げかける。

立てた片膝の上に乗った腕の先には、さっきまでまじまじと眺めていたらしいモデルガンが握られている。何も無いのも味気ないからと全員で出しあったプレゼントは、元々かなり精巧にできてはいるけれど、尾形さんが持ってると余計に本物っぽく見えてくる。
気に入らなかったですか?こっそり耳打ちしたら、そうでもねぇよと尾形さんは口の端っこを歪めて笑う。嬉しいのかな。嬉しくないのかな。表情だけだとわからない。
その髪にクラッカーで盛大に紙テープと紙吹雪まみれにされた名残を見つけ、そっと指でつまみ取る。

「何だかんだ、皆さん仲が良いですよね」

私も含めて、と付け足しつつ、結構好き勝手言い合いながらも楽しくやっている面々を見渡す。
破裂音と共に宙を舞ったこの紙吹雪みたい。カラフルで、個性はバラバラ。衝突だって少なくない。なのに蓋を開けてみればこうなんだもんなぁ、と。
けれど、どうやら尾形さんの見解は違っているらしい。

「仲が良い人間は人の誕生日を祝おうって時に、祝われる側の人間に飾り付けさせたりしねえだろ」
「これ、尾形さんが自分でしたんですか?」

意外。壁には幼稚園でしか見ないような輪飾りがテープで吊り下げられている。

「してねえ。どうせやってないだろうからって、ひと足先にな」

言ってその親指は月島さんを指す。それはそれで…。月島さんが作ったのかな、なんて考えていた所に、ほぼ嫌がらせだ、との台詞が飛んで来てちょっと笑ってしまう。

「でも、こうやってわいわい過ごす誕生日も良いもんじゃないですか?」
「…どうだかな。いい歳した男が雁首揃えてこんなままごとじみた事してんだぜ」
「それは、まぁ。…どうせなら一から作れば良かったですね、料理も」
「ゾッとする」

言いつつ、尾形さんの指は床に散らばっていた紙テープを拾い、無為にぽいと放り投げる。大勢で押しかけられてさぞかし虫の居所も悪かろうと思っていたけれど、少し機嫌が良さそうでさえあるその横顔に、私は小さく息を吐いた。






尾形さん曰く、真昼間から酒を飲みたいがためだけの会はそこそこの時間でお開きに。後始末を終えるとすぐさま放り出された。
外に出てみると、まだ思っていたよりも空が明るい。夕暮れに差し掛かって、ガラス玉みたいに透明な冬の空に、お腹の辺りを薄いオレンジに染めた雲が切れ切れに浮いている。

健全だ…。身体にはもうアルコールがこれでもかと滲み渡っているのに。

見上げ、吐き出した息が白い。
寒さにぶるりと身を震わせて、ふと気づく。いつの間にか回りには誰もいなくなっていた。
まったく、優しさに満ち満ちたうちの先輩方は、相手が可愛い後輩であろうとすぐに置き去りにしてしまうんだから困ったものだ。

足早に後を追えば、徐々に影に沈む準備を始めた道の端で月島さんが斜め上を見上げて何か言っていた。見れば、ベランダに尾形さんの姿がある。咥え煙草で、片手にはさっきのモデルガン。
やっぱり気に入ってるのかな。高い所にいる尾形さんは、雲と同じで橙色をした光にぼんやり染められていて、その表情もいつものように冷たくは見えなかった。

再度お礼と労いの言葉をかけていたらしい月島さんに、尾形さんは銃を持つ方の手を上げ、小さな会釈を返す。前を行く人達がベランダへ向けて声をかけたり片手を上げたりしていく様子を眺め、何を言おうかと私は無難で適当な言葉を探す。

考えながらもたもた歩いていたら、アルコールのご助力によりぼんやり鈍った思考の向こうに、ジャキ、と金属のぶつかる音が小さく聞こえた。
音のした方へ目を向けると、尾形さんが銃口を私に向けていた。
そうして照準を合わせるみたいに片目を瞑って。口パクまでおまけに付けて。ばん、と撃った。

目の前で起きたことがなかなか呑み込めなくて、反動を模して銃身が跳ね上がる様子をぽかんと見守った。そうして足はゆるゆると走り出す。馬鹿みたいな顔を、馬鹿みたいな事をした尾形さんへ向けたまんま。

前を向くと、止まっていた息がようやく戻ってくる。まるで息を吹き返すみたいに、ゆっくり。呼吸に合わせて、景色までもがスローモーションに見えた。足は雲を踏んでるみたいだ。変にふわふわしていて、ちゃんと引っくり返らずに走れているのが信じられない。耳の奥、心臓の音が鼓膜を叩いている。徐々にテンポを上げて行くそれが、私を現実に引き戻していくみたいだった。

違う。逆かもしれない。どんどん遠ざかってるような気がする。

手を伸ばして、追いついた背中に垂れ下がるマフラーを思い切り引っ張った。後ろに引っくり返りそうになるその背をずべべべべと何度も叩けば、何事だとしかめっ面の鯉登さんが振り返る。

「―――今、さっきまでの私は死にました」
「は?」
「ここで失礼しますね。私、あっちから帰るので。お疲れ様です!」
「おい!?」

またワケのわからん事をと言う声を背に、急いで今来た道を駆け戻った。エレベーターも待っていられなくて、階段まで走る。戻るとこ見られてるだろうなとか、月曜に出勤したらまた面倒臭いことになるんだろうなとか、そんなこと全部置き去りにして段を蹴りつけ駆け上る。廊下を抜け、鍵が開いたまんまの玄関を抜け、たわみそうな程勢いよくリビングの扉をぶち開けて、シャツに染みたミートソースみたいな西日の差し込む窓辺へ走り寄った。

「尾形さん…ッ!!!」

カーテンを押し退けた先では、もうちょい静かに入って来れんだろ、とまだ銃を持ったまんまの彼が振り返る。

「む、むやみに人を撃っちゃいけないんですからね!」
「ちゃんと狙って撃ったろ」

そんな事言いに戻ったのか?とベランダから尾形さんが戻ってくれば、左胸の上にゴリ、と硬いものが当たる。突きつけられた銃口のすぐ下で、心臓がいっそう酷く暴れ回っていた。
なんて、手腕。

「ね、狙いが、正確すぎて」
「へぇ?」

顔が熱い。走ってきたからなのか、酔いのせいか、それとも窓から差す西日のせいなのか。
たぶんそのどれもと、残りは目の前にいるこの人のせいに違いない。誰だ、この人にこんなもの持たせたのは。

「私、撃ち落とされる鴨の気持ちが分かり過ぎるくらい分かりました」

それどころか息まで止まった。どうしてくれるんですか本当に。
「何だそれ」と他人事みたいに尾形さんが薄く笑う。

「つまり?」
「責任、取って下さい」
「嫌に決まってんだろ」

あんまりにも素っ気なくあしらわれ目を瞬いた私を、銃口に代わり、グリップがゆっくり押し戻す。徐に窓を閉め、コートを羽織って玄関へ向かったその背を追った。シューズボックスの上へ銃を乗せた尾形さんは、そこに無造作に置かれていた部屋の鍵を手に取る。

「飲み直そうぜ」
「尾形さん、弱いのに?」
「やかましい」

さっさと靴を履いて、もうドアノブに手をかけた彼が振り返る。

「独占、させてやるから早く来い」
「―――っ…」

一瞬言葉を失くした後、「よろこんでっ」と自棄気味に叫んで私も脱ぎ捨てたままだった靴に足を突っ込んだ。

まったく、まったく、どうかしてる。
お酒のせいだったりして、と残る冷静な部分が考える。酔いが醒めた時に私まで冷めてしまってないと良いけど。

「そんな居酒屋あるよな」

そう言ってちょっと可笑しそうに片方の口の端を持ち上げるのだって、つい数十分前までただの嫌味にしか見えなかったのに。

「バーより居酒屋行きましょう居酒屋。汚くて美味しいとこ」
「知らねえよそんな店」
「教えてあげます」

悔しいから、とそんな言葉を呑み込む。

もう色々ずるいし、反則どころの話じゃない。
入った居酒屋では真っ先に焼酎を注文してやる。素直になれない尾形さんなんか、さっさと酔い潰れてしまえばいいんだ。むしろ潰す。
そう心に決めながら引いた手は青白く、彼の顔色とは随分違っていた。






title.防火様より




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