くものうえ




人でごったがえす日曜の駅構内。ウィンドウショッピングを楽しむ女性や、仲睦まじくおしゃべりしながら歩くカップル。のんびりと、それも込みで休日を満喫していると言わんばかりに歩みの遅い人々の間を、殆ど駆け足に近い早歩きで抜けて行く。
片腕でがっちりホールドするのは尾形の腕だ。

「歩きにくい」
「手離したらすぐ歩こうとするからでしょ…!!」

さっきも言ったと叫びながら、地下通路へ続く階段を普段ならちょっと考えられない勢いで下る。しかも足元には慣れないピンヒールというとんでもないリスクを履いて。

「転げ落ちるぞ」
「落ちてもいいから急ぐの!」
「遅れてもかまわねぇだろ」
「もうとっくに遅刻確定だって!」

互いの足が揃いのタイミングで一段一段を蹴りつける。ズレればもう一人を巻き添えに階段下まで一直線な事が分かり切っているせいか、口で文句を言いいつつも、今ばかりは尾形も足並みを合わせてくれていた。
目指す先は雲の上。スカイチャペルを謳う超高層ホテル。
既に靴擦れの予感を感じさせる足を振り上げ、今度は階段を駆け登る。
地上に出れば、空が抜けるように青い。
まったくもって、本日はお日柄も良く。
隣の男はマイペース。ついでに言うなら散々だ。

今日、私達は同じ結婚式に出席する。






「え、尾形も?同じ日?」

信じられなくて何度も聞き直せば、三回目辺りでやかましいと返ってきた。
新郎は新婦が大学時代から付き合っている相手だ。私も何度か話したことがあるけれど、印象としてはとても真面目な人で。純朴というか、すれた所のない人だったので意外だ。尾形と交流があったとは知らなかった。
なんというか、狭い世界である。
その中にちんまりと収まって、私たちは同じような日々を繰り返す。

「尾形、呼んでくれるような友達いたんだ…」
「………」

いつものように部屋へ来て、まるで自分の住処のように寛ぎきっていた尾形は、何も言わずにそっぽを向いた。

それが一月くらい前の話だったか、当日になり、例のごとくだらだらと私の部屋の一角を占領している尾形がいつまでも用意をする素振りを見せないのでいよいよ不審に思って訊ねてみれば、耳を疑う答えが返ってきた。

「信じられない!忘れてたって、普通こんなこと忘れる?招待状にも返事したんでしょ?」

てっきり一緒に行くつもりなのだとばかり思っていたけれど、そういえば尾形はスーツの一つも持ってきてはいなかった。気づかない私も私だ。
そこから慌てて尾形の家へ向かい、着替えさせての今である。
気付いてからも一切動じる素振りを見せないどころか、ぐずぐずと行きたくなさそうでさえある。
そもそも、本当に出席する気があったかすら怪しい。

縄が欲しい。首に巻き付けていっそ引き摺っていきたい。
おかげでメイクもなにもかもが中途半端だ。電車の中、ネックレスは、口紅は、と一つ一つ確認する始末。お祝儀、もちゃんと鞄に入ってる。





「ぎ…ぎりぎり…セーフ…」

辿りついた時には受付は既に無人になっていたものの、披露宴にはどうにか間に合ったらしい。覗いた会場の高砂に、まだ新郎新婦の姿はない。

間に合ったじゃねえか、と不遜な物言いが聞こえた方を睨む。なんだってこいつはほとんど息も切らさず涼しい顔をしてるのか。今日のヒールはその革靴の上からだって大ダメージを与えられるってことを思い知らせてやりたい。

当然とっくに着席していた友人達に笑われながら、そそくさと自分の名前が書かれた席に向かう。

「苗字ちゃん」

近くの卓から声をかけられて振り返れば、大学の知り合いの姿があった。

「走ってきたの?」

あ、久しぶり、と遅れて口にし、人懐っこさを顔に浮かべて彼は笑う。

「宇佐美君だ!久しぶりだね。よく名前覚えて…、っていうかそんなぱっと見でわかる程酷い?」
「うん」

語尾にハートでも付きそうな返事。変わらないねと口にしながら、化粧室が先だったかなと考える間に、司会の声が着席を促し、新郎新婦入場が始まった。

終わりを心待ちにしていると、唯でさえ長いスピーチが拷問のように感じられる。ようやくそれが終わり歓談が始まるなり、私は即座に席を立つ。まずは現状の把握が最優先だ。メイクも多少ならず大いに直したい。
一斉に給仕が始まり、たくさんのスタッフさんが行き交う中、ひらひらと振られる手が見えたと思ったら、宇佐美君だった。
片腕を椅子の背にのせ、私を見上げる目は相変わらず開き過ぎるくらいぱっちり開いている。

「どこ行くの?」
「化粧室。聞いた話だと相当酷いらしいから」
「あぁそれね、からかっただけ。遅れて来たら大体の人は走ってるに決まってるじゃん」

言ってけらけら笑うのに、ほんと変わらないなと思う。
いつも可愛い僕って感じに振る舞っている宇佐美君だけれど、実のところその意地は結構悪い。尾形といい勝負なんじゃないかな。怖いから絶対口には出さないけど。
じゃあまたあとで。そう言って切り上げようとしたけれど、何だかんだと質問は続き、なかなか離してもらえない。
懐っこい笑顔でこられては邪険にもできず、私は焦れながら当たり障りのない返事を続ける。

なんだろう、これ。

大学の時の宇佐美君は、私のことなんてほぼ眼中にないというか、いても、ふーん、いたんだぁ。ってぐらいのスタンスだった気がする。
するんだけどなー…、と痛みだした頭へ手をやる。

ほんと、なにこれ。

「でさ、さっき、苗字ちゃん尾形と入って来なかった?」
「え、うん……そうだっけ?」

うっかり泳いだ目が新郎側の席に向かうも、そこに尾形の姿はない。

「宇佐美君って、尾形と仲良かった?」
「まさか。知り合いの知り合いかな」
「遠いね」
「遠いよ。ねー尾形」

びくりと肩が跳ねた。何の冗談、と振り返れば、本当に尾形が立っていた。宇佐美君が尾形に向けてまだ何か喋ってるけど、全くもって完全なるシカトモードだ。憎まれ口も無ければ嘲笑いさえしない。
でもって、大変喜ばしくないことに、その視線を私は完全独占状態だ。

「な…何?」

無言で見下ろす目が…すっごい冷やか。
それが見えていないのか、あはは、と宇佐美君は乾いた笑い声を上げる。

「なんか尾形感じ悪くない?ちょっとお喋りしてただけなのにさ」

そうだそうだ、と内心で同意するのさえ危ない気がした。
電信柱の下、ゴミを漁り撒き散らすカラスでも見るように、尾形は宇佐美君を見下ろす。

あー…なんか見覚えあるなぁこれ、と私は鳥肌の立った腕を擦った。
まるで大学時代に戻ったみたいだ。
あの頃は遠巻きに見ていられただけ、今よりずっともっと平和だった。

ともかく、ここは出方を窺う方が賢い。
頼むから巻き込まないでと、ふかふか過ぎて足を取られそうな絨毯の上を慎重に後ずさった時だ。する、と指の間に何かが滑り込んだ。

「数年ぶりに見たら可愛くなっちゃってて、びっくりしたんだよねー」

思わず悲鳴を上げそうになった。持ち上げられた手が、何がどうなったか椅子に乗っていなかった方の宇佐美君の手と恋人繋ぎをしている。

「ね」

とびきりの僕可愛いよねスマイルと共に繋がった手を引き寄せられて血の気が引いた。

いやいやほんと、駄目だからこれ。見て。尾形の顔見て宇佐美君。

最近思い知ったのだけれど、尾形が許容しているのはどうもシライシだけのようで――あれは人間カウントされてないのかもしれない――他の人に対しては結構露骨にこうなる。
…いや、もしかしたら宇佐美君だからこそかもしれないけど。

じろ、と一瞥をくれ、何も言わず尾形が会場を出て行く。
尾形の姿が消えてしまうなり、「なーんだ」と手が解放された。

…あぁ。あーそう。なるほど。

「宇佐美君…」
「んー?」

その笑みに鉄壁要塞ばりの難攻不落さを見てとれば、もう何も言えなくなる。
クラッチバックを持つ手がじんわりと汗をかいていた。
どうしよう、と重たそうな両開きの扉がずらりと並ぶ様を見やる。正直行きたくない。けど、出入り口はあそこだけだ。
化粧室、とご機嫌斜めな尾形。
天秤にかけて、やっぱりやめたと踵を返した。

「あれ、戻るの?」
「戻る。後で良いや」
「苗字ちゃーん」
「何ー…」
「前」
「え、わっ」

言われて向き直った時にはもう遅く、丁度卓で給仕を始めようとしていたウェイターさんにぶつかった。真っ先に目に飛び込んできた銀盆の上、シャンパングラスの底が浮き上がるのに、咄嗟に手を差し出す。

幸い、ガラスの割れる音を会場中に響かせ、この空気にヒビを入れるような事にはならずに済んだ。細みの可憐な曲線を描くグラスの口を、私の手はしっかりと掴んでいる。ただし、グラスは逆さまだ。

「す…すみません…」

謝る私に青褪めたのはウェイターさんの方だった。グラスを回収し、すぐに拭くものをとすっ飛んで行く。
後に残されたのはシャンパンまみれの片腕を無様に上げたままの私と、その長い毛足を萎れさせ、大きな染みを浮かび上がらせた絨毯だった。




友人たちには散々笑われからかわれ、片手は拭いてもまだべたべたする。
絨毯の後始末を手伝い、再三頭を下げ、そうして仕事に戻って行くスタッフさんの背を見送った。こちらでしますのでと恐縮しきりだった彼女は、何度も手を洗いに行くよう気遣ってくれたけれど、むしろ片づけが終わった事で、私はいよいよ沈鬱な思いで会場外へと繋がる扉を見やる。
正直、これ以上ほったらかすと後が怖いような気もするし。

い…行くか…。

宴会場を出てすぐの場所に設けられた喫煙スペースには、案の定尾形の姿があった。
ふてぶてしく煙草をふかすその前を通り過ぎる。出てきた時はワザとらしく見て見ぬふりをしたくせに、じっとこちらを目で追ったかと思うと、煙草を揉み消し立ち上がる。

「なんでついて来るの」

立ち止まって振り返れば、白けた顔で尾形は廊下の先を指した。そこにはレストルームの文字が金色に輝いている。
あっ……そう…。

「……で、言いたい事は?」
「ガードが緩い」
「そんなこと尾形に言われる筋合い…」
「ある」
「…あるね」

そうだった。
喰い気味に遮ってきた声がびしびしと棘を投げつけて来る。

「…あのさぁ」

辺りを見回してから、溜め息混じりにその顔を見上げる。
披露宴開始直後なせいか、喫煙所にも通路にも人の姿はない。今は扉も閉まっているから誰か出てくれば直ぐ分る。

「ほんと何なの?今日、ずっと機嫌悪くない?」

宇佐美君の一件は置いておくとして、朝からお世辞にも良いとは言えなかった機嫌だ。

「教えてどうなる。機嫌をとろうってんじゃねえだろ?」
「そういうこと言ってるんじゃなくて、何でかなって思っただけ。せっかくの結婚式なのに、そんな苛々されたら招待した方だっ、て…」

あ、やばい。
急に変わった旗色に、慌てて口を噤んだ。頭の中で警鐘が鳴る。
後ずさるのを追うように詰め寄られ、逃げ場がなくなった。無駄に豪華な絨毯に足をとられ、バランスを崩しかけた私の腕を尾形が掴む。

「ちょっと…ッ」

そのまま壁に押しつけられて、身動きも出来ずに尾形を見上げた。
近い、と口にするのを、その目はシンと凪いだままに見下ろす。

底の見えない目に、ぞくりと背が震えた。
大学時代、一度だけこの目を間近に見たことがある。
表情…。そう、表情が消えるんだ。
まるで空っぽになったみたいに。

「…離して。人が通る」

口に出せば、ようやくその口の端が持ち上がった。
けれどホッと息を吐く間もなく、壁と背中の間に尾形の手が滑り込んだ。
撫でられた背が居心地悪く伸びる。

「お、がた、ってば…ッ」

肩口に埋まるその頭を押しのけようとするも、ビクともしない。

「…痕、つけたら口きかないから」
「………」

首元で舌打ちが聞こえた。ついでにぱちんと背中の方でも音がした。

「―――ほっ」

ホック…!!!

思わず腕を抱いたのを鼻で笑って、尾形は悠々と歩いていく。

ふ、ふざけんな…ふざけんな尾形のやつ…ッ!!!

しかもトイレになんて真っ赤な嘘で、その背の向こう、丁度宴会場の扉が開いて人が出て来るのに、怒りに震えながら私の方がトイレへ駆け込んだ。
慌ててファスナーを下ろそうとしたら腕が攣って、ついでに中指の根元までが攣った。
激痛に加えて妙な角度に曲がったまま戻らない指に涙目になりながら、最ッ悪、と頭の中で何度も繰り返す。

本当に…なんて、
なんて日なんだ本日は…!!!





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