企画 | ナノ

  鉄のコルトに銅煙が陰る、明日は千秋楽か





「水兵リーベ、僕のふね」

かつり、かつり、硬質な音が机を叩く。
元素のためのやや強引な語呂合わせ。けれど妙に響きが良く、その意味が有るようで無い滅裂さは気に入っている。破れ砕いた言葉を並べ合わせたかのようなそれをまるで歌のように口ずさみながら、白黒のモニターの中を行きつ戻りつする客人達を眺める。
最後にくるりと回したペンの先を口元に当てて名前は薄い唇で弧を描いた。
キーボードに這う指がカタカタと数字とアルファベットを並べて行く。

「名前あるシップスクラークか」

カチ…とエンターキーが沈みきったと同時に懸命に走っていた“彼ら”が深い穴へ落ちてゆく。
アハ、と息の塊を吐き出すように笑い、名前は床を蹴りつけた。キャスター付きの椅子は黒ずみ変色したタイルの上をガリガリと悲鳴のような音を上げ滑ってゆく。
次第に勢いが抜け最後に僅かな引っかかりを残し椅子は止まった。

「閣下スコッチ暴露マン」

目の前にきた流し台に突っ込まれていたビーカーに水を注ぎ火にかける。
さてさて、お客人はコーヒーとアルコールどちらがお好みかな。
右手首に巻き付く腕時計を光に翳す。短針も長針も死んでいるのに、秒針だけが時折末期の痙攣のようにぴくりと動く。その様子に薄い笑みを浮かべ、つまみは無かったかと再びパソコンの前へ戻り片っ端から引き出しを開けて行く。

「鉄のコルトに銅鉛が陰る、明日は」

ぐるぐると引き出しの上を廻る目がいつから収まっているのか分からない開封済みのチータラを見つけたと同時に、空気の抜けるような自動ドアの開閉音がした。

「明日は…千秋楽」

語尾を跳ねさせ、にまりと目を細め振り返った名前の視線の先では、あちこちを赤黒い染みで飾り立てた青年が立ち尽くしていた。

「ようこそ私の城へ。ここへ辿りついたお客なんて初めてかも」

椅子の背を軋ませ汚れた白衣に埋もれた両手を上げて歓迎の意を示す。けれどお気に召さなかったようで青年の顔が見る間に険しくなった。

「たまんないね、その嫌そーなカオ。下の迷路はどうだった?よければ感想なんか聞かせてくれないかな」

なにせ生きてここまで来る奴がいないからデータも何もなくってね、と椅子の上で膝を抱えた名前に、青年は埃にまみれた服をはたきながらその目には似つかわしくない丁寧な口調で応えた。

「…随分古典的なものもありましたね」
「矢とか落とし穴とか?スタンダードがやっぱり一番楽しいかな」
「楽しんだつもりはないですが、毒針装備のアイアンメイデンに追い回されるよりはマシでしたね」
「嬉しいな自信作だったんだよ。ちゃんと動いてた?」

返事はない。
それで、お兄さんは何しにこんなところまで?次に口に出そうとした言葉を読んだように彼は自ら答えを提示してみせた。

「人を探しています」
「そうなんだ?人類って意味で良いならここにもいるよ」
「黄 名前。貴女の名前で間違いありませんか?」
「…イエスかノーかでいうと、イエス」

片目だけを細めた彼と同じ側の目だけを細くする。その名を音にして聞いたのは随分久々だ。粘着質な笑みを張り付けた名前を気に留める風もなく、彼は淡々とおそらくここへ来る前に彼が聞かされたであろう言葉を復唱する。

「爆発物製造、所持、及び使用についてとその他諸々窺いたい事があるそうで、長安まで御同行願います」
「まー立ち話もなんだから座りなよ。何か飲む?コーヒーとお酒どっちもあるよ」

勧めに彼は首を振る。

「その二つ以外は無いんだけどね」

それでさっきの返事なんだけど、と名前は話を巻き戻した。

「端的に言うとお断りだね。テロを起こした覚えもなければ企てた覚えもないよ」
「譲渡の覚えは?」
「さぁ?欲しいってやつらには譲ったかもね。だとしても、大した威力は無かったはずだよ」
「その方たちが改造しようとして家ごと吹き飛びました」
「アハッ馬鹿なヤツら。でもその延長線上に私がいたからってイコールにはならないよね」
「それに加えて」
「まだあるの?」
「えぇあと15件ほど」
「うげ、聞いてらんないや」

むりむりと零しながら椅子を弾き立ち上がる。背後で今度はデスクに向かって床を滑った椅子がごつと音をたて止まる。灰色の白衣の裾を翻し、流し台周りの戸棚を片っ端から開けて探し出したのは、古めかしいコーヒーセット一式だ。

「何でも、叩けばいくらでも埃が出るとか」
「そんなのは叩いてみてから言ってよ」
「そうする為に迎えに来たんですよ」

そっかーと間延びした返事の片手間にビーカー用トングで火から下ろした熱湯を粉の上に注げば、湧き上がる泡がふつふつと生き物のような音をたてた。

「コーヒーとお酒とあるけどどっち飲む?」

改めて訊ねてみるがちらりとビーカーに目をやってやはり彼は答えない。

「無口な男が最近の流行り?こんなとこに籠ってるとどんどん世間に疎くなってね」
「一番口が回る人なら生憎貴女の自信作とやらに追い回されて穴に落ちましたよ。お喋りがしたいなら回収してきたらいかがですか?」

よくもあんなタイミングで穴が開くもんですねとの台詞に、ひひ、と唇の端から笑いを洩らす。

「心配しなくても死んじゃいないよ。上がってくるまで然程時間もかからないだろうしね」

まるで野良猫にでもするみたいに離れた台の上にコーヒーを注いだマグカップを置く。相も変わらず眼光鋭くこちらを見ている様子を窺い、ついでに瓶の底に残っていたウィスキーもグラスに注いで隣に並べた。氷も浮かばない琥珀色の液体が水よりも重く揺らめく。

「逃げないんですか?それとも大人しく投降する気になりました?」
「逃げた方が簡単なんでしょ?」

お断りだよと名前は自分の分のコーヒーを口に含む。

「お兄さん怖いもの」
「ご冗談でしょう」

歪んだ名前の笑みに対する皮肉のように彼の唇は品行方正に弧を描く。けれど目はまったく笑わない。
お兄さん、と名前はマグを置いた台の上へ腰かけた。

「どうせ残りの三人が来るの待つんじゃない?トランプでもしてる?」

それか、と名前はマグを置いた台の上へ腰かけた。

「ゲームしよっか。名前、当ててあげるよ」

揺らす靴底が側板に当たる。秒針のように一定のリズムを刻みながら、彼のモノクルやカフス、衣服に次いで冷やかなその碧緑の瞳へ視線を這わせる。

「何かとっかかりある?色とか生物とか数字とか…、」

微動だにしない表情筋。それをじっと見つめ、名前は一指し指を立てた。

「一、二、三、四、五、六、七、八、…八?」

次々指を足し左手の薬指まで立てたところでポーカーフェイスに針でついたような穴が開いた。その事に気を良くし、もう一口黒く苦い液体を胃に落とす。

「――じゃあ、お兄さんは善人?悪人?」

それにも返る声はないが、時に目に見えるものの方が雄弁なこともある。

「……悪い人かぁ。罪とか罰だと面白くないよね」

悔い、改め、泡のようにふつふつと呟いた名前は、あぁと顔を上げ目を細めた。

「いましめ、なんてどう?八に戒めで、八戒」

取り繕うことすら投げ出し敵意を露わにする様がおかしくて声を上げて笑う。

「当たっちゃった?」
「どうせカメラか何かで僕らの会話を聞いていたんでしょう」
「…当たり。何だ、遊び心が足りないねお兄さん。でも漢字は当てずっぽう」

すごくない?と訊ねるも同意はない。

「頭の芯が冷えた人は好きだよ」
「ありがとうございます」
「邪魔されたくないから後の三人消しちゃってもいい?」
「やれるもんなら」

冗談めかして笑うと同時に冷やかな空気が首筋を撫でた。底冷えのする、酷薄な笑み。そうやって怒るタイプなのか、そういう所も思っていた通りだ。

「―――ずっと会ってみたかったんだよ」

言葉通りの熱を眼差しに乗せた名前に、今度こそ待ち望んだ視線が刺さる。飽和しそうなほど殺気を含んだそれだ。穴の底に澱む狂気をしっている目だ。

「………僕をご存知なんですか?」
「だって有名人じゃん、お兄さん」

なにせ聞いた時には久しく騒いでいなかった胸が躍った。

「科学的に証明できない事象をその身でもって証明したんだから」

モニターの中に彼の姿を見た時、夢の中にいるような心地がした。
もし会えたなら聞きたいことは山ほどあった。遺伝子云々は専門外とはいえ、純粋に、種族間の壁を飛び越えた身に興味があった。生物工学そのものに唾を吐きかけるような所業をしてのけた彼の見た世界が知りたい。五感は?痛覚は?身体能力は?前と後では何が違う?人であった己と妖怪となった己は寸分違わず同じ自我を持っているのか。叶うならばその内臓から骨の髄、そこに走る神経の一本一本に至るまで徹底的に開かせてはくれないか。

「だから僕だけがここへ来るように仕向けたんですか?」

どこでその情報をという問いにナイショ、と笑んで名前は台を飛び降りる。

「すいへい、リーベ」

妙に舌に馴染むそれに歩調を合わせ、彼の真ん前で足を止めた。

「リーベだよお兄さん」

小首を傾げ肩を竦める名前が、渇いた血がこびり付いたその頬に手を伸ばしても碧緑の瞳は揺らぐことさえしない。
あぁ残念。どうせなら苦悩のド真ん中にいる時が理想だった。

「イイ瞳だね。惚れちゃいそう」
「大人しく牢屋に放り込まれてくれるならお好きにどうぞ」

そう言って、彼は眼窩に至る骨の縁をなぞる親指をやわくどかせた。穏やかな目の奥に氷のような刃を忍ばせて笑いながら。

「まぁ一緒に行っても特に問題はないんだけどね」

どうせ私は何もしてやしないから。そう言う名前には明確な確信がある。綱渡りは得意分野だ。

「できるけどしない、もとい“できるからしない”。そんな蜘蛛の糸にナイフを添えた感じが良いんだよ。ゾクゾクする」
「僕には理解できませんね」
「そうかな?お兄さんは、分かる人だと思うけど」
「勝手に仲間扱いしないで頂けますか?…虫唾が走ります」
「――アハ、もっと蔑んでくれていーよ」
「お断りです」
「…お兄さんは、コルトみたいだね」

四角く引かれた線から足はおろか尻尾さえも出してくれない。

「無難で、正義の味方面して、でもいざとなれば冷徹に私の頭を撃ち抜ける」

言って、時間切れだと名前は惜しみつつ彼から離れた。
見計らったかのように空気の抜ける音をたて自動ドアが開く。
そこには彼と一緒にモニターの中を走り回っていた彼らの姿。
なにやら小競り合いをしていた様子の彼らが入ってくると、長らく灰色の静けさで満ちていた研究室の中が極彩色のラジカセでも持ちこんだようになった。
画面越しでも感じていたけれど、

「騒がしいなぁ、君達」
「あ?何だコイツ」

声に出せば一番品の無さそうな男がこちらを向いた。

「彼女が僕らが訪ねてきた相手ですよ悟浄」

彼の説明を受け、一目で禁忌のそれと知れる髪と瞳を持った男は怪訝そうに名前を見下ろした。

「こんなガキが?」
「…人を見た目で判断するのは感心しないなぁ。コーヒー飲む?」

そう言って背を向けた名前に投げられるのは静止を命じる声。けっして大きくはないそれは足を止めさせるに十分な響きを持っていた。

「生憎茶を飲みに来た訳じゃねぇ」

あぁ、コレが頭か。
振り返りその紫暗の瞳に目を止めたと同時に「悟空」と短く指示が飛ぶ。

「おう!」

無影灯を点けたかと思うような馬鹿みたいに明るい声がした。
三人よりも小柄な人影が名前に駆け寄り手を取った。一人だけやけに幼い。少年特有の僅かに硬い皮膚の感触の後ガチャリと重たい錠が落ちる。

「えー…重た…。絶対もっと軽量型のやつあるでしょ」

言って両手首をがちりと噛んだ手枷から伸びる鎖を持ち上げた。幸い手首に巻き付いていた時計は無事だ。

「手枷なんてほんとの犯罪者みたい」
「犯罪者だろーが」
「それは家ごと自分を吹き飛ばしたやつらであって私じゃないよ」
「つか何だよあのダンジョンみてーなの。悪の秘密結社でもここまで手の込んだ事しねぇわ」
「あぁそうそう、お兄さん達は楽しめた?感想聞かせてくれると嬉しいな」
「作ったやつの神経も根性も疑う出来栄え」
「わ、ありがとう」
「褒めてねーよ」

嫌そうに顔を歪めるその服のあちこちがズタズタに裂かれている所を見ると、さぞ気持ちよく引っかかってくれた事だろう。
このお兄さんが例の回収するべきお兄さんだよね、と名前がほくほく顔で碧緑色の瞳を振り返れば、冷やかな視線に迎えられた。

「…お前よくこんなのの相手してたな」
「…やっぱりそう思います?」

雰囲気一転、その表情に浮かぶ棘が抜け落ちた様子に「へぇー」と名前は並ぶ二人を見比べる。にやつく口を開こうとしたその時、重たい音をたて鎖が持ち上がる。握っているのは先ほどの少年だった。
名前の笑みの矛先が彼へと変わる。

「君が連れてってくれるの?」
「おう、悟空っていうんだ。長安までよろしくな!」
「ッのバカ猿!」

底抜けに明るく笑ったその頭にハリセンが振り下ろされた。加減容赦ないことを物語る風圧。煽られた名前の前髪が大きく靡く。

「いッてぇ!何すんだよ三蔵!」
「さっそく懐いてんじゃねぇ!相手がどういうやつかわかってんのか」
「だってさ、このねーちゃん全然抵抗しねーし」
「そうだよ無抵抗な一般市民だよ」
「一般市民はこんな悪趣味な研究所つくらねーよ」
「爆弾魔の容疑もかけられませんよね」
「いいからとっとと行け」

どやしつけられながら長くのびる廊下を抜け外に出る。久々に太陽とご対面だと思っていたら日は既に暮れ、控えめな星ばかりが夜空に穴を開けていた。

「なんかめちゃくちゃあっさりだったな」
「…こんだけズタボロになってよく言えんねお前」

あんだけ駆けずり回ったの忘れた訳じゃねーだろなんて会話を聞き流しつつ、ある程度建物から離れたところで、名前は膝に手首を打ち付けた。
上げた片足がもう一度地に着く前に自分に突き付けられていた銃口や錫杖を見下ろし、名前が口の端を歪めた時、辺りが真昼のように白々とした光に包まれた。爆音に続いて熱風や細かな破片が吹き付ける。
驚き振り返る四人からいくらか遅れて背後に目をやれば、瓦礫と化した住処があった。

「泥棒が入ったら困るしね」

変わり果てたその様に、ほんの少し胸の中にも風が吹いた。
拘り抜いた遠心分離機やお気に入りの器具たち、趣味の限りを詰め込んだ抜かりのない防犯設備を兼ね備えた要塞。名前だって惜しいなぁと思わなくもないのだ。
何か言いたげな視線を寄越す紫暗の瞳の前に、腕を掲げる。文字盤に蓋をするガラスにヒビが走った時計。秒針はもうピクリとも動かない。

「衝撃与えると起爆する仕組みになってんの」
「それ日常生活もヤバくねーか?」
「うっかりぶつけでもしたら吹き飛びますよね」
「そのギリギリがいいんじゃん」

三人に加え少年までがドン引きという顔をしたのを見渡し、名前はアハッと空気の塊を吐き出すように笑った。

本当は皆揃って吹き飛ぶのも良いかもなんて思っていたけれど。いざ実物を前にしてみれば彼を散り散りにしてしまうのはどうにも躊躇われた。
科学の手を離れた至高品。
それが手の届くところに転がり込んできたのは偶然ではないと思いたい。点で交わっただけの線だとは思えない。
自分の生がどこでどんな形で終わろうが特に拘りはないけれど、こうして好奇心をかきたてる存在に出会った時だけは生きていたくなる。今まで生を放り出さずにいた自分を少しだけ褒めてやりたくなる。

「ね、お兄さん」

自分にかけられた声だと分かっていながら、やや間を置いてその碧緑の瞳が名前を捉える。
両手を持ち上げると鎖が擦れあって音を立てた。

「せっかくだからさ、しっかり引き金絞っててよね」

銃を模した手を自身のこめかみに向け、名前は熱をもった目を細めて笑った。






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