それでは、また明日 | ナノ
 半透明

 

窓という窓、扉という扉を打ちつけられて長いこと口を塞がれていたのだろう、廃墟らしく息を潜め湖畔にひっそりと佇む旅館の前、どうにも独り言のようなものが聞こえてくるのに表を覗いてみれば、そこに永倉佐久楽の姿があった。

その様子に牛山はほんの少しばかり目を瞠る。どうやら一人で口をきいていた訳ではないらしく、隣には尾形の姿もある。また娘が何か言い、対する尾形が何事かを答えればくすぐったそうに笑いだした。
と、牛山に気付いた娘が振り返る。今しがた隣に向けていた顔そのままにこちらを向いたようだったが、涼やかな目元に浮かぶ笑みは柔らかい。

何が功を奏すか分からんもんだと、牛山はその様子を見やる。いつ転げ回っての取っ組み合いを始めてもおかしくない具合だったのが、いつの間にか爪も牙もそっくりどこかへ置き忘れてきたようだ。少なくとも、娘の方は。
だが変わらぬ部分はちっとも変わらず、その娘に手招かれて近寄れば、かかる一言目は決まっている。

「先生達はまだ出てこないのか?」
「もう終わるだろうよ」
「本当か?」

花より団子。団子よりもジイさんだ。
途端に明るい顔をするその頭の中は、相も変わらずジイさん達の事でいっぱいらしい。

中ではまだ杉元や土方が都丹を交えて話をしている。気になるなら行って見てこいと告げるのに、話中なら邪魔は出来ないといくらか顔を引き締めた娘は、しかし落ちつきなく牛山の向こうを覗き込む。言葉の通り首を長くし待ち侘びるその体躯の後ろへちらつくのは尾形の姿だ。丸裸で銃一つを肩へ下げている様子だけ見れば、やれ露出狂の気でもあったか、若さゆえの熱が間違った方へなだれ込んだかと憐みの目を向けそうにもなるが、合流した者達の中で衣服を纏っていたのは女三人だけだった。少し離れた場所にも白石と十か九つくらいの男児が同じく褌一枚身に着けずに突っ立っている。
牛山の目が向く先に気付いたか、娘は然もありなんと笑ってみせた。

「風呂に入ってる所へ奇襲をかけられたんだと。道理で誰も彼も素っ裸なわけだ」
「笑うよりまず目を覆う方が先決だろうけどな」

言った尾形に、どうして私が恥じらう必要があると娘が開き直る。

「見られたくないのなら隠しておけばいいんだ」

視線を寄越す尾形に、牛山もまた目で応えて返す。当人は気にも止めぬ顔だが、全裸で何もかもをさらけ出す白石と子供を見つけた際、二人のすぐ隣に娘の姿もあるのに気付いた永倉が、肺腑の奥底から絞り出すような重い息を吐いていた。
一体何処で育てばこうなるかと尾形にまで溜め息混じりに零された娘は、ムッとしつつ凄腕剣士の道場だと答えて寄越す。

と、尾形が目で何かを指した。気付いた娘が、何か言いかけたのを途中でそっくり放り出し、一目散に駆けて行く。廃れた戸の前には話を終えて出てきたらしい永倉の姿がある。はち切れんばかりに尻尾を振るその背を見送り、隣へ一瞥をくれる牛山へ向け、尾形は再びちろりとした視線を寄越した。

「特に何かした覚えはないぜ」
「……自慢か?」
「これが自慢に聞こえるとはな。随分目出度い耳をしてるらしい」

先回りで答えを寄越したかと思えば、間髪入れずに牛山を嘲ってみせる。
自身の耳を指し、いつもに増して小憎たらしい台詞を吐き出すその頭を上からがしりと掴んだ。大抵のものなら握り潰せそうなその手に頭部を鷲掴みにされていてさえ、尾形は人を食った笑みと共に牛山を見上げる。

「口の利き方がなっちゃいねえな」
「いちいち探りを入れられるのが楽しいもんかよ」
「そりゃあ悪かった」
「全くだ」
「………」

誰かこの糞ガキに口の利き方を仕込んではくれねえもんか。
内心でぼやいた声が聞こえたかのように、低い位置からでさえ巧みに人を見下すその男は、愉快そうに口の端を歪めてみせた。






*********





「先生っ。お話は終わりましたか?」

建物を出た永倉が気付くよりも早く、矢のように佐久楽がすっ飛んできた。ここへ来る間にも問うていたはずだが、念を押すように本当にお変わりなかったですかと尋ねる佐久楽は、永倉が頷くのにも構わずぐるぐると円を描くように周りを回っては、前後左右からその具合を確かめ始める。

「腰は大丈夫ですか、足も、腕も有りますね。毛も、いえ怪我もないようで良かっ……痛いです先生」

手刀をくらった額に手をあてつつ、その顔には押し籠め切れぬ喜色が浮かぶ。もはや敬称など形ばかりだ。呆れ、永倉はわざとらしく構って欲しい時の常とう手段に打って出た娘を眺めやる。

「同じ事を訊いたばかりだろう」
「長らく顔を見ていなかったものですから。旭川を出てから随分日も経っていますし」
「ほんの一時だ」
「それでも、万が一ということが無いわけでは…」

じっと見つめた永倉に、先生?と佐久楽は不思議そうに首を傾けた。
拭えぬ違和感。いつ、どこからかと思い巡らせ、永倉は記憶の中の頼り無く細い糸を手繰った。月形で会った時には既にこの様子だった。初めは気のせいかと思っていたが、行動を別にし合流する度、過度に纏わりついてくるような気がしてならない。何かあったのは明白だが、当人が何も話そうとはしない。

肝心な事ほど口にしないのは昔からだった。
教え子達の中にいてもそんな様子だと聞いてはいたが、こと永倉に対してはそれが顕著に現れる。

代理のような間柄ならば当然か、それとも実の親の元で育ったとしてもこの子はそうだっただろうか。

いや…消えた道だ。

考えても詮無いことか。幾度も問いを重ねてきたそれに今さら時を費やす気にもなれず、首を振り頭から考えを追い払おうとした時だ。

「そうしているとやはり随分幼い子供の相手をしているように見えるな」

聞こえた声に、目の前の娘が跳ね上がりそうな程ぴんと背を伸ばした。

「土方さん…!」
「………」

そうして直ぐにも傍へ付くのに一度空を仰ぎ見ては、よく躾けられた犬の皮を被るその様を茫洋と眺める。

「色々あったようだが、そちらも変わりはなかったか?」
「お気遣い痛み入ります。私はもちろん、尾形もぴんぴんして…あそこに」

示す先に言った男の姿はなく、直立不動の牛山が見えるばかりだ。

「あいつ、いつの間に」

挨拶もなしかと不満げに呟く口が少しばかり尖る。
構わんさと告げる土方と言葉を交わしながら、ふと、佐久楽の目が土方から逸れた。朝の陽を透かした瞳が、牛山すら立ち去った空間へと向くのに、永倉は目を細くする。
けれど直ぐに目を閉じ、首を振り振り浮かんだ考えを押し込めた。
いつかも見せたその顔に感じた胸のざわつきが、思い過ごしであるようにと。



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