それでは、また明日 | ナノ
 事に当たる



さくり、と草が鳴った。
今まさに風を切ろうとしていた刀が、縫い止められたように空中で静止する。腕を下ろしゆっくりと振り返った先には、もはや平素から人を小馬鹿にしているような男が立っていた。

「ご苦労だな」

髪を撫でつけつつその男―――尾形はこんな朝っぱらから、と続ける。
労いかと思いきやどことなく貶されている気になるのは、佐久楽が言葉を素直に受け取れていないのか。それともどうしようもない程にねじ曲がったその性根のなせる技なのか。

「嫌味でも言いに来たのか?」

胡乱な目を向ける佐久楽を尾形は鼻で笑う。まだ根に持ってんのかとは随分だ。

「悪いが、根に持つ性分だ。誰かさんと同じでな」
「道を間違えたのはそっちだろう」

向けた嫌味は、まるで肩の塵を払い落とすがごとく軽くいなされる。
昨晩のことを思い返せば、確かに先じて誤った方へ進んだのは佐久楽なのだろう。

「それでも普通、放って行くか? 放って! 行くか!?」

せめて声ぐらいかけたって罰は当たらない。

「夜の森で、ふと振り返ってみれば一人きりだ!慌てて名を呼んでみても返事一つ返らない。その時の私の気持ちが分かるか!?」

指した指の先へ目をやる尾形には欠片も響いていないらしく、その白けた目に「分からないだろうな!」と噛みつけば「まだ何も言ってねえよ」と呆れた声が返った。

「どの道一緒に戻る気は無かったんだろ?」

…それは、そうなのだが。

「そんなのは少し間を置くだけで十分じゃないか…!」

山の中へ一人置き去りなんてあんまりだ。しかも道を間違えているせいで帰りつけもしなかった。

「匂いで分かるかと思ったが」
「生憎人間だったものでな!」

これでもかと口角を下げた佐久楽とは逆の向きへ口の端を歪め、尾形はぐるりと辺りを見回す。

「で、こんな所で憂さ晴らしか?」
「だったらなんだ」

それにお前の事だけじゃない、言いつつ佐久楽は尾形へ背を向けた。
再び中段に構え直し、刀を止める。

「気に喰わない」

零した響き、こんな事を口にすることすら負けを認めたようで気に入らない。
気に入らないが、認めざるを得ない事もまた事実だ。

「私がどれだけ狭い世界で生きてきたか良く分かった。第七師団だかなんだか知らないが、もう二度と遅れは取らない」

勝敗が決した所で終わりではない。死に片足が浸かり、後は飲み込まれるだけと知って尚、完全に息の根が止まるその時まで消えない火も在るのだ。そんなことも忘れ下ばかり見て良い気になっていたというのなら、もはや愚か過ぎて目も当てられない。
己とてそうではないか。死に面したとして、一人でも多く道連れにと…。
そこまで考え、ふと思考は滞る。

―――それは…

真か?と頭の中で声がする。本当に、そんなことが出来る気でいるのか。

「……勝手にすりゃいいが、どう聞いても負け犬の――……」

ひゅ、と刃が風を切る。目前で止まった切っ先に合わせ、尾形の口も動きを止めた。

「……一度私をやり込めたことがあるくらいで良い気になるなよ」

持ち上げた手の甲で刀を退け、尾形は逸れた切っ先を見つめたまま、北鎮部隊という名を聞いた事はあるか?と意図の見えない問いを寄越した。

「知らないな」
「第七師団についた別名だ」
「ふうん…」

別名…と口の中で繰り返す。

「……強いのか?」

何も答えずいる尾形の表情に、もう一度ふうん…と呟いた佐久楽の目は、下げた切っ先が指す地面へと向いた。
と、視界に入っていた靴先がくるりと向きを変える。
結局何をしに来たのかと、向けられた背にそんな事を思い、次いで肩にかかる小銃に意識をやった時だ。

「ついてくるか?」

耳にした言葉に、一瞬聞き間違いかと目を瞬いた。
けれど肩越しに振り向いた尾形の視線は、確かに佐久楽へと向いている。

「―――っもちろん…!」

考える間もなく刀を鞘へ納め、佐久楽は早くも木々の間へ消えゆくその背を追った。




この男の性格からして、昨日の宣言を受けてという訳ではないだろう。
そんなものは、春の次にまた冬が来るようなものだ。真夏に銀世界が広がるくらいあり得ない。
ならば、またどういう向きに気が変わったかと、その後について歩きながら佐久楽は考えていた。
ざくざくと大小の石が入り混じる湿った土を踏みしめ、朝のキンと冷たい空気の中を進む。

相変わらずその思考は読めない。言葉にも表情にも、あまり尾形という人間の色が浮かばない。
あやふやなわけではなく、形ははっきりしているのに中を覗こうにも一向に何も見えてこない。

そもそも、卵の殻のように隙間もなにも無かったりはしないだろうか。
そんな人間がいるものなのかは知らないが、もしいたとするなら、そこにはどんなものが籠っているのか。
何にせよ、殆ど何も分からないことは確かだ。分かるのは精々……

「少々意外だったんだが、」

かけた声に反応らしき反応は無いが、聞いていないわけではない。猫ならば耳だけがこちらを向いた状態だ。ガラス玉のような目が閉じているのか開いているのかはさておき。

「お前、人見知りをするタチだったのか?」

昨日から見ていた、と速足で横へ並べば、無言を貫く尾形の目がやや煩わし気に佐久楽を映した。

「妙に口数が少ないな。私以外には比較的口を開いていたお前がだ」

むしろ剥製屋ではぺらぺらとよく喋っていた気すらしたが、二手に別れた途端、誰を相手にするにも随分と言葉が減った。
考えられる理由があるとすれば、行動を共にする顔ぶれが変わったことだ。

「得意になるのはいいが、言ってて虚しくならんか?」
「ならないな」

じろじろと眺め回す佐久楽から、尾形はこれ見よがしに大きく一歩距離を取った。

「何で離れるんだ」
「近い」

近寄れば近寄っただけ避けるように遠ざかるその様子に、佐久楽はほうほうと頷く。

「照れてるのか?」
「…そういう台詞は自分を省みてから言うんだな」

言ってその口元は嫌味に弧を描く。それを真似て、佐久楽も口角を持ち上げた。

「知っているか?お前がこう、口の端を歪める時はな、大抵可愛げのない返事が返ってくる。人の神経を逆撫でるようなやつがな」

読めるのは精々これくらいのものだ。こんなものが読めたって何にもなりはしないが。
鏡みたいだろうと詰め寄る佐久楽を躱すその口がまた何かを言いかけたのを見てとり、手を伸ばす。

「そう、これだ。この顔だ」

頬を挟みこちらを向かせた顔が一転、不快そうなものへ取って代わり、一言「離せ」と告げる。
冷めた声音と眼差しに、言われたとおりぱっと離した両手を振って見せ、佐久楽は小さく噛み殺した笑いをもらした。



そうして歩くうち、ふいに尾形が足を止めた。何かいるのかと、身を屈めるその視線の先を覗きこむ。そこには数羽の鳥がいた。妙に丸っとしていて、嘴ばかりが細長い。

「ヤマシギだ」
「そういえば昨日もそんな話をしていたな」

ずんぐりした体には不釣り合いの、棒切れのような細い足。それを前後に動かし、少しずつ移動しては地面をつつき回しているその鳥は、確か尾形が撃とうとしてアシリパに止められていた鳥だ。けれど尾形は迷う様子もなく銃を構える。

「銃だと難しいんじゃなかったか?」

抑えた声で尋ねた佐久楽に、ふっと笑いにも似た息づかいが返った。

「並のやつならそうかもな」

糸のように空気がピンと張り、耳に殴りかかる銃声。まず一羽。
やはり好きにはなれないなと、鳥の体が地へと落ちる様を眺める。

伝播する緊張感は、鳥肌を立てる感覚に似ている。森全体が異変を察知し瞬時に神経を逆立てる気配。
驚いた他の個体が次々に羽を広げる。痺れる鼓膜が羽ばたきの音を拾うも直ぐにかき消され、木の高さほどまで飛び上がっていたもう一羽が落ちてくる。そこからほんの一呼吸にも満たない間を置いて、再度銃声が響いた。

「嘘だろう…」

三発が三発ともだ。

「ははッ」

どこか満足気な声と共に髪を撫でつけ、ボサッとするなよと言い残して尾形は撃ち落とした鳥の元へ歩いてゆく。その台詞の意味するところに行き当たり、佐久楽はつと片方の眉を上げた。

「尾形…まさかそのために私を連れて来たんじゃないだろうな」

尋ねてみれば、首だけで振り返るその口元がじわりと弧を描く。

「今日は冴えてるじゃねえか」

…本当にこいつは。
皮肉でしかない賛辞に悪態をつきつつ、どこへも行くなよと言い置いて、佐久楽は離れた場所へ落ちた三羽目を探しに向かった。





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