それでは、また明日 | ナノ
 泥と箒と


ある日、夏太郎が亀蔵と共に土方達が根城にしている家屋を訪れると、表を掃いている佐久楽の姿があった。この家に住まう、夏太郎達と同じ年頃の娘だ。
ようと声をかけると、あちらも箒を持つ手を止め短く応じる。

「暇そうじゃねえか」
「そう見えるか?」
「首尾はどうだ?」

訊ねた亀蔵に佐久楽は見ての通りだと首を振った。

「上々。と言いたいところだが、さっぱりだな」

初めこそ土方さんから役目を貰ったと気色ばんでいたが、その後どうなったかと言えば、追い回している男はのらりくらりと行方をくらませているらしい。
そんな男に最初こそ佐久楽も腹を立てていたが、ここのところは探し回ることもやめてしまった様子で、追えば追うほど巧妙に隠れるからなと苦々しく零していた。
どうやら佐久楽よりもあちらの方が上手のようだ。

「また逃げられたのかよ」
「そんなところだ」
「ところで今日土方さんは?」
「町だ。牛山達とな」
「なんだ、いねえのか」
「用事か?」

いやと首を振る。単に亀蔵と二人で暇を持て余していただけだ。
杖のように箒の柄の上で手を重ね、ニヤリ、と笑った佐久楽に夏太郎も含んだ笑みで返す。

「なら掃除でもしていくか?」
「駄賃は弾んでくれるんだろうな?」
「そこは土方さん次第だが、お前も亀蔵を見習ったらどうだ」

瞳が示した方を見てみれば、早々と腕まくりを済ませた亀蔵の姿があった。いつの間にか塵取りを手にしていた太い腕を肘で小突く。

「お前、自分だけ点数稼ごうったってそうはいかねぇぞ」
「佐久楽だって一人じゃ骨が折れるだろ」
「いいやつだなぁ亀蔵は」

重ねた手の上に顎まで乗せて、つくづく感じ入ったように佐久楽が言った。
そうして当てつけのようにこちらへチラチラと視線を寄越す。

「わかったやるよ、やればいいんだろ。その代り終わったら茶でも淹れろよな」

任せておけと二の腕に手加減なしの平手を入れてくるその頭へと手を伸ばせば、そうくると読んでいたかのように、するりと動いた箒の柄が容易く夏太郎の掌を押し退けた。
――そうだった。
こんななりをしていてもあの永倉新八の弟子なのだ。
茨戸で目の当たりにした、並みの相手じゃ歯が立ちそうもない二人の立ち回りを思い出し、小さく身震いをした。二人程ではないにしても、佐久楽だって決して弱くはないのだろう。庭でひたすら素振りを繰り返しているのは格好ばかりではなかったらしい。
夏太郎が怯んだのを見てとってか、その目を三日月形にした佐久楽は、また何か軽口でも叩こうとしたようだったが、ふとその視線が夏太郎を擦り抜け後ろへと流れた。

「尾形!」

振り返れば、ここの所しつこいまでの関心を一身に浴びていたであろう軍服姿の男が、小銃を担ぎ歩いて行くところだった。

「どこへ行くんだ?」

訊ねる声に眉を顰めたその人は一言森だと告げる。

「私も行こう」
「付いてくるな」
「やましいことでもあるのか」
「ねぇよ」
「ならいいだろう」
「………」

無言は肯定らしく、佐久楽は刀をとってくると夏太郎へ箒を押し付けた。捕まえていてくれ。そう言ってその姿は上がり框を越え、家の奥へと消える。雑に脱ぎ捨てられた草履が片方ひっくり返ったまま残されていた。

亀蔵に視線をやる。引き止めようというつもりではないだろうが、亀蔵が何かしらを訊ね、尾形の方も言葉少なに応じているようだった。あるいは大変ですねと長雨か大雪のように佐久楽のことを言っていたかもしれない。早くやめば良いのに。そんな言い草だ。
亀蔵だって同じだろうが…と夏太郎はちらりと尾形を見やる。

――苦手なんだよなこの人。

元は茨戸で敵方の用心棒をしていた男だ。何がどう転んだか、気づけばいつの間にかこちらについていた。
この人物と話す時、どうしたって背に薄っすらと冷や汗が滲む。田んぼに足を突っ込んだ心地に似ている。泥が足を取り、絡みつき、ずぶずぶと際限なしに沈んでいきそうな。気味が悪い。やばい臭いがぷんぷんする。
これが田んぼであれば完全な思い込みと笑えもするが、生憎こちらは人である。田んぼに殺される人間はいないが、人に殺される人間は五万といる。

それに気付いているのか知らないが、土方さんのことを抜きにしても佐久楽はよくこの人にかまう。その意味も分からない。
佐久楽は俺たちと同じだ。真っ当に生きられない馬鹿だ。難しいことや先のことなんか考えてもわからねぇから、その日その日、目の前のことだけ見てる。
最初はなんでこんな奴が土方さん達といるのかと思ったが、道を踏み外しちまったやつ特有の投げやり感があいつにはあった。

そういう馬鹿なら尚更、踏み入るべきではない領域がある。計算高くて、人を謀ることを簡単にしてのけるような人間には関わらないに越したことはない。良いように利用され、ちり紙を捨てるかの如く始末されるのがオチだ。

「何だ?」

じっと見ていた夏太郎に気づき、尾形はにやりと口の端を歪めて笑う。
出た。これが気味悪ぃんだと心の中で呟く。

「何でもないです」

今のも、夏太郎の腹の底を分かっていて、わざと聞いているのではと思えてくる。

「土方さん達とは行かなかったんですね」
「どうせ遊郭だろうからな」
「興味無いんですか?」
「何が楽しいのかとは思うぜ」

変わった人だ。
改めてそう思い直した所へ佐久楽が戻ってきた。腰にしっかりと刀を差して。
本人に言えばふざけるなと怒るに違いないが、どうにも散歩紐を咥えた犬が走ってくるような有り様だ。
後は任せたと掃除の件は夏太郎達へ丸ごとぶん投げ尾形の後をついて行く佐久楽の背中を見送る。
――沼地には近づかない方が良い。
そうは思えど、夏太郎自身見分けを付けられる自信はない。気付かず踏み入るから馬鹿なのだ。
傍から見れば明らかに沼へ向かって突き進んでいるのに、本人に足元は見えていない。そういうものだ。そうして動けなくなって初めて気付く。もう取り返しのつかない所まで来てしまってから。泥濘に胸まで呑まれてしまってから。
あるいは、何がどうなったかも分からないまま息を奪われ死ぬヤツもいるかもしれない。

「やるのか、掃除」

聞けば、任せられちまったからなと亀蔵が頷いた。



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